女将軍 井伊直虎
第61話1566年6月・越前侵攻
『越前・金ケ崎城』
「景紀殿、景垙殿の敵は必ず取って差し上げよう。」
「有り難き幸せでございます。」
「朝倉家は景恒殿が跡を継がれればよいだろう。」
「重ね重ね御厚情、有り難き幸せでございます。」
「だが今は公方様が不在故、越前守護職を賜る事は出来ない、それは理解してもらいたい。」
「十分承知しております、三好家の謀反で公方様が弑逆されてしまわれ、今は世が乱れてしまっております。義直様がこの世を正される御力になりたいと、心から思っております。」
「頼りにしておりますよ。」
義直は浅井長政に根こそぎ動員を命じた。田植えが終わって全力で合戦が出来る時期になったから、越前を攻め取ることにしたのだ。最大の動機は、息子が朝倉景鏡に殺されたと信じ込んだ朝倉景紀が、次男・景恒親子と共に義直に味方したからだ。
義直は銭で雇っている直轄軍4万を全力投入し、近江・美濃・北伊勢・尾張・三河から3万の国衆地侍を動員した。国衆たちは近江に陣取り、御隠居様の指揮で三好に備えると共に輸送を務めた。先鋒を賜った浅井長政は、1万余の兵力を率いて全力で出陣した。
浅井軍1万は、北国街道を通り木の芽峠を抜けるように進軍した。一方義直は金ヶ崎城に入ってから、朝倉景紀の道案内で海岸線を侵攻した。
越前の国衆・地侍は大混乱に陥った。加賀との国境線には一向衆が集結しており、朝倉景鏡が主力軍を率いて既に出陣していたからだ。朝倉義景も、幾ら景鏡と景紀が対立しているからと言って、景紀が裏切り今川軍を越前に引き入れるとは想像もしていなかった。
兵力が加賀国境に移動させられている越前国衆は、朝倉景紀の調略を受けて次々と義直に降伏臣従を誓った。一乗谷城までは破竹の勢いで侵攻した義直軍だが、朝倉家に忠誠を誓う少数の国衆・地侍が籠城を行った。
『越前・一乗谷城』
「裏切り者め! おめおめと何しに参ったのだ!」
「黙れ不忠者共!」
「なに!? 殿を裏切ったのは貴様ではないか!」
「殿の遊興を御諫めせず、佞臣・景鏡の専横を許し、景鏡が我子・景垙を切腹に見せかけて殺したのを見過ごしたではないか! そのような追従(ついしょう)の輩に裏切り者と言われる筋合いはない!」
「景紀、余が遊興にふけって当主としての責任を果たしてこなかったと申すのだな。」
「残念ながらそうです。」
「それで余を殺し貴様が朝倉家の当主となるのか?」
「阿君丸が御成人されるまで御預かりします。」
「空々しいことよ、下克上ならはっきりそう言えばよい、景垙の事を言い訳にするなど漢らしくないぞ!」
「漢らしくないだと!? それは殿の事であろう、公家のように芸事に興じるなど武家とは思えん!」
「さもしい言い訳など聞く耳もたん、早々に攻めてくるがよい。朝倉武士の武芸を見せてくれようぞ! のう皆の者!」
「「「「おう!」」」」
朝倉景紀は、朝倉義景に降伏を説きに行ったが追い返される事にになった。景紀は土壇場で主君を殺す事を躊躇い、義景の隠居・得度で命だけは助けて欲しいと義直に願い出て許されたのだ。
義直がそのまま城攻めすると皆は思っていたのだろうが、抑えの兵3000を一乗谷城残して、朝倉景鏡が留守にしている大野郡・亥山城に攻め掛かった。殆どの兵力を加賀方面に出し、一乗谷城の後方であったため、自分達が先に攻められるとは思っていなかったのだろう。亥山城は僅か半日で脆くも落城し、義直はそのまま加賀方面に侵攻した。
朝倉景鏡率いる加賀攻撃軍は、越前国内に攻め込んだ一向衆を撃退した。そして逆に加賀国内に攻め込み、大聖寺城を落として更に進軍して松山城を囲んでいた。いよいよ総攻撃を開始しようとした頃に、義直の越前侵攻を知ったのだ。そこで越前国内に戻ろうとしたものの、撤退時に一向衆の逆撃を受け大きな損害を受けてしまった。一向衆の越前侵攻も、簡単に負けて撤退した事も、松山城に釘付けにされた事も、義直(直虎)と一向衆が示し合わせた罠だったのだ。
『越前・加賀国境線 吉崎御坊跡付近』
「皆の者待たれよ!」
「「「「何者じゃ!」」」
「儂は今川家家臣・新野親矩と申す、和議の使者に参った!」
「無道に越前に攻め込んでおいて、今更和議とは片腹痛いわ!」
「貴殿は何者じゃ?」
「無道の今川に名乗る名などないわ!」
「そうか、ならば当方の条件だけ申しておこう。君側の奸で、朝倉景垙殿を切腹に見せかけた殺した朝倉景鏡の首と大野郡だけが条件じゃ、他の者は本領安堵だ。」
「なに! 儂の何所が君側の奸だ!? 景垙は勝手に腹を切って死んだのだ。」
「宗滴殿に嫉妬していた景鏡は、敦賀朝倉家を潰そうと策謀していたと朝倉景紀殿は申しておられる、方々は思い当たる事はないのか?!」
「「「「「ざわざわざわざわ」」」」」
「繰り返すが、景鏡以外の国衆・地侍には何の問題も無い、本領安堵だ! 朝倉義景殿には責任を取って隠居して頂くが、阿君丸殿が当主となり景紀殿が後見される!」
「おのれ! 皆の者かかれ!」
景鏡は全軍に攻撃を命じたが、多くの国衆・地侍は命令に従わなかった。それどころか合戦に巻き込まれ無いように、後方に逃げ出してしまった。
義直軍は最初からこの状態を想定しており、後退しながら弓と鉄砲で攻めかかって来る景鏡を迎え討った。義直にしても損害が大きくなれば、加賀一向衆が約定を破って越前に侵入する可能性があったから、ただ勝つのではなく、一向衆が攻め込むことを躊躇うほどの大軍を維持した上で勝つ必要があったのだ。
義直は景鏡軍を殲滅した後で、残った国衆・地侍と和議を結んだ。その上で彼らに一向衆の侵攻に備えさせ、自らは再度一乗谷城に向かった。
「景紀殿、景垙殿の敵は必ず取って差し上げよう。」
「有り難き幸せでございます。」
「朝倉家は景恒殿が跡を継がれればよいだろう。」
「重ね重ね御厚情、有り難き幸せでございます。」
「だが今は公方様が不在故、越前守護職を賜る事は出来ない、それは理解してもらいたい。」
「十分承知しております、三好家の謀反で公方様が弑逆されてしまわれ、今は世が乱れてしまっております。義直様がこの世を正される御力になりたいと、心から思っております。」
「頼りにしておりますよ。」
義直は浅井長政に根こそぎ動員を命じた。田植えが終わって全力で合戦が出来る時期になったから、越前を攻め取ることにしたのだ。最大の動機は、息子が朝倉景鏡に殺されたと信じ込んだ朝倉景紀が、次男・景恒親子と共に義直に味方したからだ。
義直は銭で雇っている直轄軍4万を全力投入し、近江・美濃・北伊勢・尾張・三河から3万の国衆地侍を動員した。国衆たちは近江に陣取り、御隠居様の指揮で三好に備えると共に輸送を務めた。先鋒を賜った浅井長政は、1万余の兵力を率いて全力で出陣した。
浅井軍1万は、北国街道を通り木の芽峠を抜けるように進軍した。一方義直は金ヶ崎城に入ってから、朝倉景紀の道案内で海岸線を侵攻した。
越前の国衆・地侍は大混乱に陥った。加賀との国境線には一向衆が集結しており、朝倉景鏡が主力軍を率いて既に出陣していたからだ。朝倉義景も、幾ら景鏡と景紀が対立しているからと言って、景紀が裏切り今川軍を越前に引き入れるとは想像もしていなかった。
兵力が加賀国境に移動させられている越前国衆は、朝倉景紀の調略を受けて次々と義直に降伏臣従を誓った。一乗谷城までは破竹の勢いで侵攻した義直軍だが、朝倉家に忠誠を誓う少数の国衆・地侍が籠城を行った。
『越前・一乗谷城』
「裏切り者め! おめおめと何しに参ったのだ!」
「黙れ不忠者共!」
「なに!? 殿を裏切ったのは貴様ではないか!」
「殿の遊興を御諫めせず、佞臣・景鏡の専横を許し、景鏡が我子・景垙を切腹に見せかけて殺したのを見過ごしたではないか! そのような追従(ついしょう)の輩に裏切り者と言われる筋合いはない!」
「景紀、余が遊興にふけって当主としての責任を果たしてこなかったと申すのだな。」
「残念ながらそうです。」
「それで余を殺し貴様が朝倉家の当主となるのか?」
「阿君丸が御成人されるまで御預かりします。」
「空々しいことよ、下克上ならはっきりそう言えばよい、景垙の事を言い訳にするなど漢らしくないぞ!」
「漢らしくないだと!? それは殿の事であろう、公家のように芸事に興じるなど武家とは思えん!」
「さもしい言い訳など聞く耳もたん、早々に攻めてくるがよい。朝倉武士の武芸を見せてくれようぞ! のう皆の者!」
「「「「おう!」」」」
朝倉景紀は、朝倉義景に降伏を説きに行ったが追い返される事にになった。景紀は土壇場で主君を殺す事を躊躇い、義景の隠居・得度で命だけは助けて欲しいと義直に願い出て許されたのだ。
義直がそのまま城攻めすると皆は思っていたのだろうが、抑えの兵3000を一乗谷城残して、朝倉景鏡が留守にしている大野郡・亥山城に攻め掛かった。殆どの兵力を加賀方面に出し、一乗谷城の後方であったため、自分達が先に攻められるとは思っていなかったのだろう。亥山城は僅か半日で脆くも落城し、義直はそのまま加賀方面に侵攻した。
朝倉景鏡率いる加賀攻撃軍は、越前国内に攻め込んだ一向衆を撃退した。そして逆に加賀国内に攻め込み、大聖寺城を落として更に進軍して松山城を囲んでいた。いよいよ総攻撃を開始しようとした頃に、義直の越前侵攻を知ったのだ。そこで越前国内に戻ろうとしたものの、撤退時に一向衆の逆撃を受け大きな損害を受けてしまった。一向衆の越前侵攻も、簡単に負けて撤退した事も、松山城に釘付けにされた事も、義直(直虎)と一向衆が示し合わせた罠だったのだ。
『越前・加賀国境線 吉崎御坊跡付近』
「皆の者待たれよ!」
「「「「何者じゃ!」」」
「儂は今川家家臣・新野親矩と申す、和議の使者に参った!」
「無道に越前に攻め込んでおいて、今更和議とは片腹痛いわ!」
「貴殿は何者じゃ?」
「無道の今川に名乗る名などないわ!」
「そうか、ならば当方の条件だけ申しておこう。君側の奸で、朝倉景垙殿を切腹に見せかけた殺した朝倉景鏡の首と大野郡だけが条件じゃ、他の者は本領安堵だ。」
「なに! 儂の何所が君側の奸だ!? 景垙は勝手に腹を切って死んだのだ。」
「宗滴殿に嫉妬していた景鏡は、敦賀朝倉家を潰そうと策謀していたと朝倉景紀殿は申しておられる、方々は思い当たる事はないのか?!」
「「「「「ざわざわざわざわ」」」」」
「繰り返すが、景鏡以外の国衆・地侍には何の問題も無い、本領安堵だ! 朝倉義景殿には責任を取って隠居して頂くが、阿君丸殿が当主となり景紀殿が後見される!」
「おのれ! 皆の者かかれ!」
景鏡は全軍に攻撃を命じたが、多くの国衆・地侍は命令に従わなかった。それどころか合戦に巻き込まれ無いように、後方に逃げ出してしまった。
義直軍は最初からこの状態を想定しており、後退しながら弓と鉄砲で攻めかかって来る景鏡を迎え討った。義直にしても損害が大きくなれば、加賀一向衆が約定を破って越前に侵入する可能性があったから、ただ勝つのではなく、一向衆が攻め込むことを躊躇うほどの大軍を維持した上で勝つ必要があったのだ。
義直は景鏡軍を殲滅した後で、残った国衆・地侍と和議を結んだ。その上で彼らに一向衆の侵攻に備えさせ、自らは再度一乗谷城に向かった。
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