女将軍 井伊直虎
第28話決戦準備
『古渡城 城外』
「御注進! 義直勢が津島湊を調略しこちらに向かっております!」
古渡城に今川義元を押し込める為の工事を続けていた信長の下に、伝令が駆け込んでいた。
「なに! そんな馬鹿な? 大橋殿はどうした?」
大橋重俊の娘を母に持つ森可成が驚愕して問い返す。
「まだそこまでは分かりません。ただ津田湊が降伏し、義直軍1万がこちらに向かって来たので、急ぎお知らせに参りました。」
「おくらの方さまの様子は分からんか?!」
森可成は、大橋重長に嫁いだ信長の姉・くらの心配してさらに質問する。
「分かりません。」
「勝幡城は!?」
「持ちこたえておりました。」
「抑えの兵は?!」
「分かりません、次の者が確かめて注進に参ります。」
「うむ、よく分かった、義直を迎え討つ準備をする。」
「「殿!」」
信長にとっては大誤算だった、津島湊これほど簡単に降伏や制圧をされるとは思っていなかったのだ。少なくとも熱田湊に入るまでは、津島湊は持ちこたえてくれると思っていた。
『津島砦』
「母上様、勝幡城の抑えには誰を残すべきでしょうか?」
「義直様は誰がよいと思われますか?」
「地の利を考えると服部殿ですか?」
「確かに地の利は服部殿にあります、だからこそ服部殿に任せてはいけません。」
「どう言う事でございますか?」
「例え味方であろうとも、迂闊に信じてはいけないと言う事です。」
「服部殿が裏切ると言う事ですか?」
「全ての味方に裏切る可能性があります。そんな状況のこの時代には、特に大切な所は裏切る可能性の低い者に任せなければならないのです。」
「勝幡城はそれほど大切なのですか?」
「いえ津島湊が大切なのです。」
「津島湊が大切なのと、勝幡城が大切な事は違うのですか? 津島湊が大切なら勝幡城も大切なのではないのですか?」
「優先順位の問題です。勝幡城が大切と思ってしまうと、無理をしても勝幡城を落とそうとしてしまいます。指示する優先順位を間違えると、愚かな者が勝幡城を重視して、津島湊を切り捨てる決断をしてしまいます。」
「母上様、勝幡城よりも津島湊の方が大切なのですか?」
「大切です、くれぐれもその事を忘れてはいけません。津島砦・萱津砦・美和砦を活用して津島湊を守り切るのです、そして津島湊の利益を義直様の手に入れなければなりません。」
「はい、でしたら直盛御爺様に残って頂くしかないと思います。」
「そうですね、では兵はどれほど残すべきですか?」
「今までの事を考えれば3つの砦に各500兵と思いますが、津島湊にも兵を入れるべきでしょうか?」
「津島衆と話し合わねばなりませんが、入れる事が出れば大きいでしょう。」
「しかし2000兵を残して信長との決戦は大丈夫でしょうか?」
「さきほど話していた服部友貞殿は1000の兵を伴って来ています。服部殿は、川並衆などの野武士を集めているのでしょう、それだけでも津島周辺が美味しい場所だと言うのが分かります。」
「でしたらここを離れるのは嫌がるのではありませんか?」
「信長の首を取った者に勝幡城を与えるとみなに申されませ、そうすれば喜んでついて来ます。」
「それでは津島湊に悪影響は出ませんか?」
「井伊一門で信長の首を取れば問題ありません。それに他の者が信長の首を取っても、津島砦・萱津砦・美和砦を強化すれば大丈夫です。」
「はい、では母上様の申されるように命じます。」
「それは違いますよ義直様、後見役と軍議した上で決めた策を命じられるのです。決して母親の言い成りに動いておられる訳ではありません、軍議を重ねた上で義直様がよい策を選んだのです。」
「はい母上様。」
義直軍は井伊直盛を大将に任じて、2000兵を津島湊の防衛・監視兼勝幡城の監視・抑えに残して移動した。信長との決戦に動員出来るのは、義直直卒の5500兵、松平勢1500兵、関口勢1500兵・服部勢1000兵に、降伏した尾張勢500兵の合計1万兵だった。
『日置城 城外』
信長は古渡城・御器所西城・御器所東城からの奇襲を恐れて、濠を掘り土塁を築き抑えの兵を残して日置城に向かった。残して行くしかなかった兵は1000兵で、海上封鎖された熱田湊で餓えていた者達を兵に加えて、総勢5000兵で日置城外に陣を張った。
「殿、大丈夫でしょうか?」
「お前達次第だ。」
「どう言う事でございますか?」
「柴田殿、奇襲を防ぐ為に古渡城・御器所西城・御器所東城には抑えの兵を置きました。次に倍する兵を擁する義直を迎え討つための陣を敷きました。更に敵が攻め寄せて来たら矢玉でお見舞いすべく、鉄砲隊と弓隊を揃えました。最後は我らが働けばいいだけです。」
「しかし森殿、相手が我らに攻め掛からず迂回したらどうされる?」
「挑発して誘き出せばいい。」
「そう容易く誘き出せるのか?」
「義直は次男、跡目争いと出自を突けば怒り狂って攻めてくる、以前もそうだった。」
「う~む、そう容易く引っかかってくれればいいのだが。」
『米野城』
「母上様、織田を攻めないのですか?」
「織田の鉄砲隊は強力です、対抗策がない限り迂闊にこちらから攻め掛かる訳にはいけません。」
「ならばどうされるお心算ですか?」
「義直様はどうすればいいと思われますか?」
「迂回して御隠居様と合流するのがいいと思われます、そうすれが織田を圧倒する兵数になります。岡部元信殿・鵜殿長照とも合流すれば、いくら織田の鉄砲隊が強力でも勝てるのではありませんか?」
「それはよい考えですが、その為には何をする必要がありますか?」
「織田の勢力圏を抜けなければいけませんね、那古屋城・小林城・日置城の間を抜ける時に隊列が長く伸びるかもしれません。そこを信長に攻められれば、私や母上様が討ち取られる危険がありますね。」
「ならばどうします?」
「行軍中に襲われるのは危険ですが、陣に攻め掛かるのも危険です。ならば信長を陣から引き出し、信長の側面を叩くべきですね。」
「その為にはどうするべきですか?」
「信長が見捨てられない城地を攻めて誘い出す事でしょうか?」
「そこはどこですか?」
「信長の勢力圏奥深くに入り込む事なく、比較的安全に攻撃できる城は那古屋城ですね。那古屋城を攻めると見せてかけて、信長を誘き寄せ叩きます。」
「信長がその事に気が付かないと思いますか?」
「そうですね、気が付くでしょうね。そうなると、既に周辺の城には罠の連絡が行っていると考えた方がよいのですか? だとすると、信長と連携出来ない城から攻め取るか調略すべきなのですね?」
「そう思われますか?」
「母上様は私を試されておいでなのですか?」
「これは軍議でございますよ、義直様は私の傀儡ではありません、あくまでも私の話を聞いているだけです。考え決断するのは義直様なのです。」
「そうですね、確かにそうでなくてはいけませんね、愚かな事を申しました。」
「それでどう思われるのですか?」
「先ずは那古屋城・稲葉地城・日比津城・栗山城に調略の使者を送ります。その返事次第ですが、信長に囲まれる恐れのない、稲葉地城から攻め取る事でしょうか?」
「はい、それがいいと思われます。ですがもっと近くに拠点があれば、彼らへの圧力を強める事が出来ます。廃城になっている大秋城を修理して拠点にしましょう。」
那古屋城
林秀貞が城主
稲葉地城
織田玄番充信昌・織田与三郎宗政・津田小藤次
現在は宗政が桶狭間で討ち死にした為、津田小藤次が城主
日比津城
野尻掃部が城主、東西約58メートル・南北約54メートルで、広い堀があり板橋の取り外しができる橋が架けられている、東に正門・北に裏門。
栗山城
野尻掃部の家老・野尻藤松の城、日比津城の北東・定徳寺の東側一帯に築かれている、城には二重堀が巡らされている。
押切城
今川氏豊が那古屋城を築城した頃には大屋秋重が城主であった。秋重は今川氏豊に属していたが、天文元年(1532)織田信秀が那古屋城を攻略した際に攻められ落城し、廃城となっている。
大秋城
今川氏豊に属した大秋村の大秋十郎左衛門一族が住んだ城だったが、今川氏豊追放後は織田信秀に味方する、しかし稲生合戦の時に米野城と共に信勝側として信長に敵対し廃城となっている。
「御注進! 義直勢が津島湊を調略しこちらに向かっております!」
古渡城に今川義元を押し込める為の工事を続けていた信長の下に、伝令が駆け込んでいた。
「なに! そんな馬鹿な? 大橋殿はどうした?」
大橋重俊の娘を母に持つ森可成が驚愕して問い返す。
「まだそこまでは分かりません。ただ津田湊が降伏し、義直軍1万がこちらに向かって来たので、急ぎお知らせに参りました。」
「おくらの方さまの様子は分からんか?!」
森可成は、大橋重長に嫁いだ信長の姉・くらの心配してさらに質問する。
「分かりません。」
「勝幡城は!?」
「持ちこたえておりました。」
「抑えの兵は?!」
「分かりません、次の者が確かめて注進に参ります。」
「うむ、よく分かった、義直を迎え討つ準備をする。」
「「殿!」」
信長にとっては大誤算だった、津島湊これほど簡単に降伏や制圧をされるとは思っていなかったのだ。少なくとも熱田湊に入るまでは、津島湊は持ちこたえてくれると思っていた。
『津島砦』
「母上様、勝幡城の抑えには誰を残すべきでしょうか?」
「義直様は誰がよいと思われますか?」
「地の利を考えると服部殿ですか?」
「確かに地の利は服部殿にあります、だからこそ服部殿に任せてはいけません。」
「どう言う事でございますか?」
「例え味方であろうとも、迂闊に信じてはいけないと言う事です。」
「服部殿が裏切ると言う事ですか?」
「全ての味方に裏切る可能性があります。そんな状況のこの時代には、特に大切な所は裏切る可能性の低い者に任せなければならないのです。」
「勝幡城はそれほど大切なのですか?」
「いえ津島湊が大切なのです。」
「津島湊が大切なのと、勝幡城が大切な事は違うのですか? 津島湊が大切なら勝幡城も大切なのではないのですか?」
「優先順位の問題です。勝幡城が大切と思ってしまうと、無理をしても勝幡城を落とそうとしてしまいます。指示する優先順位を間違えると、愚かな者が勝幡城を重視して、津島湊を切り捨てる決断をしてしまいます。」
「母上様、勝幡城よりも津島湊の方が大切なのですか?」
「大切です、くれぐれもその事を忘れてはいけません。津島砦・萱津砦・美和砦を活用して津島湊を守り切るのです、そして津島湊の利益を義直様の手に入れなければなりません。」
「はい、でしたら直盛御爺様に残って頂くしかないと思います。」
「そうですね、では兵はどれほど残すべきですか?」
「今までの事を考えれば3つの砦に各500兵と思いますが、津島湊にも兵を入れるべきでしょうか?」
「津島衆と話し合わねばなりませんが、入れる事が出れば大きいでしょう。」
「しかし2000兵を残して信長との決戦は大丈夫でしょうか?」
「さきほど話していた服部友貞殿は1000の兵を伴って来ています。服部殿は、川並衆などの野武士を集めているのでしょう、それだけでも津島周辺が美味しい場所だと言うのが分かります。」
「でしたらここを離れるのは嫌がるのではありませんか?」
「信長の首を取った者に勝幡城を与えるとみなに申されませ、そうすれば喜んでついて来ます。」
「それでは津島湊に悪影響は出ませんか?」
「井伊一門で信長の首を取れば問題ありません。それに他の者が信長の首を取っても、津島砦・萱津砦・美和砦を強化すれば大丈夫です。」
「はい、では母上様の申されるように命じます。」
「それは違いますよ義直様、後見役と軍議した上で決めた策を命じられるのです。決して母親の言い成りに動いておられる訳ではありません、軍議を重ねた上で義直様がよい策を選んだのです。」
「はい母上様。」
義直軍は井伊直盛を大将に任じて、2000兵を津島湊の防衛・監視兼勝幡城の監視・抑えに残して移動した。信長との決戦に動員出来るのは、義直直卒の5500兵、松平勢1500兵、関口勢1500兵・服部勢1000兵に、降伏した尾張勢500兵の合計1万兵だった。
『日置城 城外』
信長は古渡城・御器所西城・御器所東城からの奇襲を恐れて、濠を掘り土塁を築き抑えの兵を残して日置城に向かった。残して行くしかなかった兵は1000兵で、海上封鎖された熱田湊で餓えていた者達を兵に加えて、総勢5000兵で日置城外に陣を張った。
「殿、大丈夫でしょうか?」
「お前達次第だ。」
「どう言う事でございますか?」
「柴田殿、奇襲を防ぐ為に古渡城・御器所西城・御器所東城には抑えの兵を置きました。次に倍する兵を擁する義直を迎え討つための陣を敷きました。更に敵が攻め寄せて来たら矢玉でお見舞いすべく、鉄砲隊と弓隊を揃えました。最後は我らが働けばいいだけです。」
「しかし森殿、相手が我らに攻め掛からず迂回したらどうされる?」
「挑発して誘き出せばいい。」
「そう容易く誘き出せるのか?」
「義直は次男、跡目争いと出自を突けば怒り狂って攻めてくる、以前もそうだった。」
「う~む、そう容易く引っかかってくれればいいのだが。」
『米野城』
「母上様、織田を攻めないのですか?」
「織田の鉄砲隊は強力です、対抗策がない限り迂闊にこちらから攻め掛かる訳にはいけません。」
「ならばどうされるお心算ですか?」
「義直様はどうすればいいと思われますか?」
「迂回して御隠居様と合流するのがいいと思われます、そうすれが織田を圧倒する兵数になります。岡部元信殿・鵜殿長照とも合流すれば、いくら織田の鉄砲隊が強力でも勝てるのではありませんか?」
「それはよい考えですが、その為には何をする必要がありますか?」
「織田の勢力圏を抜けなければいけませんね、那古屋城・小林城・日置城の間を抜ける時に隊列が長く伸びるかもしれません。そこを信長に攻められれば、私や母上様が討ち取られる危険がありますね。」
「ならばどうします?」
「行軍中に襲われるのは危険ですが、陣に攻め掛かるのも危険です。ならば信長を陣から引き出し、信長の側面を叩くべきですね。」
「その為にはどうするべきですか?」
「信長が見捨てられない城地を攻めて誘い出す事でしょうか?」
「そこはどこですか?」
「信長の勢力圏奥深くに入り込む事なく、比較的安全に攻撃できる城は那古屋城ですね。那古屋城を攻めると見せてかけて、信長を誘き寄せ叩きます。」
「信長がその事に気が付かないと思いますか?」
「そうですね、気が付くでしょうね。そうなると、既に周辺の城には罠の連絡が行っていると考えた方がよいのですか? だとすると、信長と連携出来ない城から攻め取るか調略すべきなのですね?」
「そう思われますか?」
「母上様は私を試されておいでなのですか?」
「これは軍議でございますよ、義直様は私の傀儡ではありません、あくまでも私の話を聞いているだけです。考え決断するのは義直様なのです。」
「そうですね、確かにそうでなくてはいけませんね、愚かな事を申しました。」
「それでどう思われるのですか?」
「先ずは那古屋城・稲葉地城・日比津城・栗山城に調略の使者を送ります。その返事次第ですが、信長に囲まれる恐れのない、稲葉地城から攻め取る事でしょうか?」
「はい、それがいいと思われます。ですがもっと近くに拠点があれば、彼らへの圧力を強める事が出来ます。廃城になっている大秋城を修理して拠点にしましょう。」
那古屋城
林秀貞が城主
稲葉地城
織田玄番充信昌・織田与三郎宗政・津田小藤次
現在は宗政が桶狭間で討ち死にした為、津田小藤次が城主
日比津城
野尻掃部が城主、東西約58メートル・南北約54メートルで、広い堀があり板橋の取り外しができる橋が架けられている、東に正門・北に裏門。
栗山城
野尻掃部の家老・野尻藤松の城、日比津城の北東・定徳寺の東側一帯に築かれている、城には二重堀が巡らされている。
押切城
今川氏豊が那古屋城を築城した頃には大屋秋重が城主であった。秋重は今川氏豊に属していたが、天文元年(1532)織田信秀が那古屋城を攻略した際に攻められ落城し、廃城となっている。
大秋城
今川氏豊に属した大秋村の大秋十郎左衛門一族が住んだ城だったが、今川氏豊追放後は織田信秀に味方する、しかし稲生合戦の時に米野城と共に信勝側として信長に敵対し廃城となっている。
「歴史」の人気作品
書籍化作品
-
-
1512
-
-
59
-
-
55
-
-
6
-
-
440
-
-
35
-
-
2265
-
-
127
-
-
52
コメント