女将軍 井伊直虎

克全

第26話津島湊・四家七苗字四姓

『勝幡城外』

「母上、ここはどうなさるのですか?」

「信長の援軍に備えつつ攻め滅ぼします。」

「ここはそれが必要な場所なのですね。」

「そうなのです、勝幡城は津島湊を支配する為の城、そして津島湊は信長の最大の資金源なのです。」

「熱田湊のように占領して支配下に入れられるのですか?」

「出来ればそうするつもりですが、津島湊の有力者・大橋重長には信長の姉が嫁いでおります。そのため調略は中々難しいと思われますから、場合によって焼き滅ぼす事も考えています。」

「大橋家が完全に津島を牛耳っているのですか?」

「いえ、津島は南朝方の15家が惣を作り、話し合って自治しています。」

「ならば大橋が特に有力であっても、他の14家を取り込めはいいのではありませんか? 我が今川家で御屋形様と母上様が敵対しているように、津島でも敵対している家もあるのではありませんか?」

「その通りで、よくぞ自分で気付かれました。」

「お褒めに預かり嬉しく思います、母上様、他の14家の事を教えて下さいますか?」

「いいでしょう、よくお聞きなさい。昔、宗良親王を主君と仰ぎ足利将軍家と戦った南朝の方々がおられました。吉野から供奉(ぐふ)されて各地を戦われた新田4家が、大橋家・岡本家・山川家・恒川家です。」

「はい、母上様。」

「それに加えて吉野より供奉された公家庶流7家、堀田家・平野家・服部家・鈴木家・真野家・光賀家・河村家が七名字と呼ばれています。」

「はい母上様。」

「あとの南朝方実力者、宇佐見家・宇都宮家・開田家・野々村家を四姓と呼んでいますが、母も謂れまでは知りません。」

「母上様でも知らない事がるのですね。」

「当然です、白拍子や歩き巫女たちが調べてくれる事以外は知らないので。、ですが義直様は母よりも若く時間があるのです、もっと色々と知って頂かねばなりません。今川・武田・北条・織田・斉藤などを知り、つけ込まれる事が無いようにして頂かねばなりません。」

「はい、肝に銘じます母上様。」

「それととても大切な事なのですが、今川家は北朝ですが母の実家・井伊家は南朝方なのです。」

「はい、それは大爺様からお聞きしいます。宗良親王の元に参じて南朝方として挙兵し、その為今川家と戦って来たと。」

「今話した津島の方々が奉じられた宗良親王は、井伊家を頼り井伊谷におられました。そして井伊谷で、宗良親王の御子・尹良親王がお生まれになっているのです。」

「ならば直平大爺様に14家の調略をお願いすれば、味方に成ってくれるのではありませんか?」

「そう思われるのなら、義直様の言葉で堂々と調略をお命じになられませ。」

「はい母上様。」

井伊直平・直盛の爺孫は、井伊一門を総動員して南朝方末裔「四家七苗字四姓」の本家分家と接触、白拍子や歩き巫女が準備していた調略の仕上げを行った。

応永四年(1397)に宗良親王を主君として戦い津島に土着した「吉野十一党」

吉野より供奉武士「新田家の四家」
大橋修理大夫定元
岡本左近将監高家
山川民部少輔重祐(朝祐)
恒川左京大夫信規

吉野より供奉公家庶流「七名字」
堀田尾張守正重
平野主水正業忠
服部伊賀守宗純
鈴木右京亮重政
真野式部少輔道資
光賀大膳亮為長
河村相模守秀清

それに加えて「四姓」の実力者
宇佐見家
宇都宮家
開田家
野々村家

併せて津島湊の有力15家を南朝方15党「四家七苗字四姓」と言う。

一方勝幡城の攻略も着々と行われていた。城兵が討って出れないように城門の外側濠を掘り、掘った土で土塁を築き、柵・木盾で防御力を強化し、城兵を兵糧攻めで飢え死にさせる戦法を取った。主眼は信長を誘き寄せて殲滅する事だった。

また津島湊と勝幡城の連絡を阻み、信長を迎撃する為の砦も急ぎ築いている。津島砦・萱津砦・美和砦を築いて、連携して信長を迎え討てるようしたかった。


『伊藤城』

「殿、どうなされますか?」

「・・・・・・・・」

「殿、勝幡城を見捨てられるのですか!」

「落ちぬ。」

「されど義直は1万の兵に裏切った前田・奥村・土方・福留の兵を加えております、いかに勝幡城に2000の兵がいようとも、守り切れるとは思えません。」

「勝家殿、それくらいになされよ。殿には殿のお考えがあるのだ、桶狭間でもそれで義元を追い詰める事が出来たであろう。」

「だが止めを刺す事が出来ず、今こういう状態ではないか可成殿。」

「だが今ここを離れれば、義元の本隊が熱田湊を完全に支配するぞ。」

「ならばどうすると言うのだ秀隆殿。」

「先の合戦のように誘い出せばよい。義元を古渡城から誘い出して叩いてしまえば、残った今川勢など烏合の衆、離散して消えてなくなるわ!」

「だが秀隆殿、桶狭間でも義直が援軍に駆けつけて、今川勢を立て直したではないか、義元1人を倒してもどうにもならぬのではないか?」

「義元を誘き出せ!」

『殿!』

柴田勝家
森可成  母は大橋重俊の娘
河尻秀隆

信長には今川の弱点など明白であっ。織田家の跡目を狙って謀叛を起こした実弟・信勝を殺している以上、今川家が跡目争いで揺らいでいるのは自明の理だ。義元さえ討ち取ってしまえば、今川は氏真と義直が跡目を争って内乱を起こし分裂する。今川家で内紛が起こった場合、武田信玄と北条氏康が座してみているはずもない。

そうなれば氏真を後援する武田・北条に対して、織田は義直を後援してやればいい。もし武田・北条が駿河を狙って氏真を攻撃すれば更に好都合だ、孤立した義直を滅ぼすなり後援して三つ巴や混戦にしてやればいい。

だがこんなことは義元も百も承知だろう、それに桶狭間の教訓もある。早々城から出てくるはずもないだろうが、それをどうやって誘き出すかが信長の知恵の見せ所だ。だが同時に、誘き出せなかった場合の次善の策も考えておかなければならない。暗殺出来ればそれが1番楽で、将兵の損耗もなくて最高の策なのだが、当然義元も警戒しているだろう。それでも義元を騙せる程の罠を仕込まなければならない。

ここまで考えれば自然と義元の限界が見えてくる、それは義元が城を討って出る事が出来ないことだ。野戦で奇襲を受ける危険は絶対冒せないし、本軍の5000兵分派する事も不可能に近い。つまり津島湊を狙って勝幡城を囲んでいる義直を攻撃しても、義元も本隊も古渡城を出る事はあり得ない。精々御器所西城の岡部元信と、御器所東城の鵜殿長照を援軍に送る程度だろう。だがこの2人は戦意が乏しく連戦連敗、恐らく氏真派で義直に隔意を抱いているのだろう。

だからと言って、素直に義直に攻撃を仕掛ける訳にもいかない。相手は1万を越える軍勢を持ち、その数を生かして、陣地を築いて迎え討つつもりだろう。そこに何の策もなく、6000の兵で攻撃をかけても勝ち目はない。ここで負ければ、雪崩を打って尾張の国衆・地侍は今川に降るだろう。信長は確実に勝てる相手と戦い、常に勝ち続けるしかない。

あとは今川・北条・武田の同盟に楔を打ち込む事だ。北条と武田が同盟を重視するなら、義直は目障りだろう。それぞれの当主が義兄弟で、背後・側面を気にする事無く戦える利益は計り知れない。

関東公方・関東管領を敵に回す北条家にとっては、今川と武田が味方になるのか敵に回るのかは死活問題だ。同時に越後の上杉と上野の長野を敵に回している武田にとっても、今川と北条が味方に成るのか敵に回るかは死活問題だ。

武田に今川を攻撃させる事が可能なのか?

北条に今川を攻撃させる事は可能なのか?

武田に今川を攻撃させるには、上杉・長野との和議・同盟を締結させなければならない。それを成し遂げることができれば、武田も安心して駿河・遠江に攻め込むことが出来る。

武田に義直を攻撃させて遠江を切り取らせるように仕向ける。
これを氏真・北条が認めるか?
認めるはずがない!

遠江が武田に取られたら、氏真は四方を同盟国に囲まれどこにも攻め込むことが出来なくなる。

武田に氏真を攻撃させて駿河を切り取らせるように仕向ける。
これを義直の井伊家が認めるか?
追い込まれれば認める可能性がある!

もちろん織田家が仕組んでいると知られなければだ。

武田は駿河の海を手に入れた後でも、上野・越後・飛騨などどこでも攻め込むことが出来る。もちろん同盟を破棄した、北条の相模・伊豆・武蔵なども隙さえあれば侵略対象だろう。関東管領を継ぐと言う上杉と手を組めば、相模・伊豆は格好の獲物だろう。

一方井伊家は遠江・三河を支配し尾張平定に専念できる。こういう絵を武田と義直を思い描かせれば今川家に内乱を起こさせる事も可能に成るかもしれない。だがまずは確実な勝利を掴まなければならない。

「馬引け! 出陣じゃ!」

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