女将軍 井伊直虎

克全

第17話尾張侵食

『大草城・井伊直虎・みわ』
「直虎様、直盛様が山崎城と戸部一色城を落とされ、桜中村城主の成田弥六と鳥栖城主の成田助四郎を、降伏臣従させられました」
「父上は御隠居様に報告されたのですが」
「いえ、義直様から御隠居様に、戦果報告するようにと御指示でした」
「全てを、先鋒軍総大将の、義直様の手柄にするようにとのことですね」
「はい、左様申しておられました」
「岡部元信殿と鵜殿長照殿は、動く様子はあるのですか」
「いえ、今の所は、岡部元信様は御器所西城を、鵜殿長照様は御器所東城を、死守する心算のようでございます」
「佐久間信盛が逃げ込んだ伊藤城と、川名南城と川名北城に攻め掛かってくれると、我らが助かりますね」
「誑し込んだ男達を使って、岡部様と鵜殿様が城攻めをするようにを煽りますか」
「悟られて危険な思いをしないようにして下さい」
「心得ております」
上社城に籠る信長軍に対して、瀬名氏俊に五百の兵を預けて山崎城に向かわせ、蒲原氏徳に五百の兵を預けて戸部一色城に向かわせた。
義元の論功行賞に従った上で、直盛父上が動きやす状況を作り出す為だ。
父上には城を修築する物資を集めて貰い、古渡城・末森城・龍泉寺城・川村北城・小幡城を占有修築し、信長を袋のネズミにする予定だ。
これで信長が撤退すれば、知多郡に続き、愛知郡の半分を手に入れる事が出来る。

川名南城:佐久間彦五郎
川名北城:佐久間半左衛門
伊勝城 :佐久間盛次・佐久間信盛が逃げ込んでいる。
末森城 :信長の弟・信勝が謀殺された後は城主不在
古渡城 :信長の父・信秀が末森城を築いて移った為廃城となった
上野城 :下方左近貞清「小豆坂の七本槍」の一人
新居城 :織田家城代
米田城 :織田家城代
大森城 :織田家城代
猪子石城:横地秀次
龍泉寺城:信長の弟・信勝が謀殺された後は廃城
川村北城:牧長義が小林城を築いて移り廃城
川村南城:水野右京進清忠
小幡城 :織田信光が弘治元年(一五五五年)殺され廃城
小林城 :牧長清・織田信長の妹婿・尾張守護・斯波義銀の従兄弟

直盛父上が露骨な城攻めの準備をする中、瀬名氏俊と五百兵が山崎城に援軍に入り、蒲原氏徳と五百兵が戸部一色城に入った。
これが岡部元信と鵜殿長照の功名争いを刺激したのか、岡部元信が二千五百兵を率いて川名南城を夜襲し、鵜殿長照が二千五百兵を率いて川名北城を夜襲した。
しかし佐久間彦五郎と佐久間半左衛門は、一族の佐久間信盛の逃亡を恥じており、決死の思いで籠城戦を展開した。
岡部元信と鵜殿長照が、川名南城と川名北城に攻め掛かった事を知った井伊直盛は、戸部城に五百兵を残し、五千五百兵を率いて古渡城跡に入り城の修築に取り掛かった。
これで信長の資金源の一つ、熱田の湊を封鎖する事が出来た。
一方信長は、この急展開を知らなかった。
何故なら、己が失態を糊塗したい佐久間信盛が報告しなかったからだ。
だが小林城の牧長清が、信長にこの緊急事態を知らせたことで、上社城と岩作城で対陣していた、織田信長と井伊義直の均衡が崩れることになった。
この報告を受けた信長は激怒した。
信長の力の源泉は、熱田湊と津島湊からの利益が大きい。
織田信秀が尾張の一大勢力に成れたのは、熱田湊を勢力下に置く事が出来たからだ。
その一つが今川の勢力圏に取り込まれる事は、信長の経済力が大きく減じることになる。
信長の楽市楽座は有名だが、税務署の無い時代に、楽市楽座でどうやって税収を上げるのか。
これは大問題なのだ。
誰だって、素直に税金を払うはずがない。
そこで信長が採った政策が、生活必需品の専売だった。
信長は誰もが使う塩を専売制にして、塩の売り上げを軍資金としたのだ。
人間は誰だって塩を必要とする。
塩の専売制を認めて織田家から買えば、関所が無くなり、自由に商売できるのだ。
多少の値の違いなど、気にすく事もない。
織田信長の勢力圏では、全ての人が塩を買うことで、信長に軍資金を提供するのだ。
商業が盛んになり、人が増えれば増えるほど、資金力が大きくなっていく。
だが今はどうだろうか。
佐治水軍が織田から離れて今川についた事で、伊勢湾の制海権を失ってしまった。
それにより、熱田湊と津島湊への、船と商品の出入りが激減してしまっている。
その上で、熱田を喪失してしまったのだ。
信長領内の経済が低迷すれば、商人と日雇いなどが流出する。
そうなれば人口が減少して、専売品売り上げの税収も減る。
熱田を失った直接税収だけでなく、間接税収も激減するのだ。
信長はこの状況に対応するために、五千兵を率いて上野城の下方左近貞清のもとに向かった。
だが、後に残す上社城・下社城・一色城も心配だった。
何故なら、今川の大軍が近くにある状況で見捨てるように移動すれば、多くの国衆地侍は簡単に今川に寝返りを行う。
国衆地侍から見れば、敵が来た時に援軍を送らないような者の傘下に入っていても、何の利益もないからだ。
しかもこの三城は、柴田勝家一族の城だ。
勝家は、信長を裏切って信勝についたために、今は蟄居に近い状態で不遇を囲っている。
この状況下では、今川の調略が入れば、容易く寝返ってしまうだろう。
柴田勝家を残して、兵だけを引き抜いていく事は、他の国衆地侍の信頼を失ってしまうからできない。だから、柴田勝家を一手の将として伴うと共に、柴田一族の妻子を人質として引き連れて、上野城に向かった。

『尾張・大草城・井伊直虎・さゆり』
「直虎様、信長が上社城から移動したようでございます」
「上社城に入り込むことは出来ますか」
「歩き巫女なら大丈夫です。籠城で男達の欲望は高まっております」
「気を付けて行かせなさい」
「はい。それで何を探らせますか」
「あの城は、信長を裏切った柴田勝家の一族の城です」
「はい」
「今川に味方すれば、城地を安堵した上で、何かあれば信長と違い、必ず援軍を出し守り切ると伝えなさい」
「はい。他には何かございますか」
「もし裏切る素振りがなかったら、一門や陪臣の中で、今川に味方しそうな者を探し出しなさい。城主を殺したら、今川で召し抱えると伝えなさい。城主を殺すほどの決意が出来ないようなら、城門を開けて今川を招き入れたら、城主一族も家臣も助けて逃がしてやると伝えなさい」
「承りました」
「ただし、命を大切にして、相手の気性を探った上で、上手に持ちかけるようにさせなさい」
「お任せ下さい。皆長年に渡り、危険な陣中で身を売って来ております。男が危険かどうかを見分ける目は、十分養われております」
「任せました」

上野城に入った信長は、川名南城と川名北城まで攻められている事を初めて知った。
本来なら援軍に駆けつける所だが、既に御器所西城と御器所東城を今川に奪われている状態では、両城を助けても熱田の開放は出来ない。
今川が古渡城の修築を完了させるまでに攻撃を開始して、古渡城を奪い返さねばならない。
信長は、腸の煮え繰り返る思いで小林城に向かった。
下方左近貞清を味方に加えて小林城に入った信長は、牧長清を先方に抜擢して、古渡城に攻撃を仕掛けた。
五千強の兵力で強襲を仕掛けた信長軍に対して、直盛率いる軍は五千五百兵。
急遽修築した貧弱な城とは言え、攻守三倍の法則を考えれば、圧倒的に直盛有利である。
一方の信長軍は、圧倒的多数の鉄砲を活用して攻め掛かる。
しかも、熱田を取られる事の意味を十二分に知る信長は、軍勢の先頭に立って士気を煽った。
古渡城は、四方を二重の堀で囲った東西百四十メートル、南北百メートルの平城で、防御力は大きくなかった。
だが埋もれかけた堀を再度掘り返し、掘った土を土塁のように盛り上げて、木盾や柵で補強したのが大きかった。
信長軍の鉄砲を活用した猛攻を、何とか凌ぎきる事が出来た。
両軍多大な損害を出しながら、一進一退の攻防を三日三晩続けたが、ここで信長軍に衝撃的な内容の伝令が駆け込んで来た。

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