「ざまぁ」「婚約破棄」短編集3巻

克全

第1話

幼い頃から料理が大好きでした。
小料理屋を経営する父と、店を切り盛りする母の姿を見るのが大好きでした。
物心つく頃には、お手伝いしていました。
今思えば邪魔だったでしょうに、私の思い通りに手伝わせてくれていました。
本当に幸せな幼少期だったと思います。

父からは日本料理のイロハを学びました。
母からは家庭料理を学びました。
叔父の一人からは中華料理を教わりました。
もう一人の叔父からは、フランス料理を教わりました。
叔母からはパン作りを教わりました。
もう一人の叔母からは、菓子作りを教わりました。

料理が作りのが楽しくて、多くの人に食べてもらいたくて、喜んでくれる笑顔が見たくて、夢中になって覚えました。
たくさんの人に食べてもらうには、有名になった方がいいと、フランス料理の叔父さんに言われたのがきっかけで、料理大会に出場するようになりました。

地元の市で行われる料理大会で優勝し、県が主催する料理大会でも優勝した。
いろんな料理学校が主催する料理大会でも優勝しました。
JAなどの各種団体が主催する料理大会でも優勝しました。
パティシエの大会は全国規模だったので、優勝して日本一の栄誉をいただき、小学生一年から六年まで、六連覇することができました。
ただ父も母もお店が忙しくて、親子クッキング大会には出場できませんでした。

私は一躍有名人になりました。
私の料理を食べたいという人が、父の店にたくさん来てくれるようになりました。
私が考えた料理は、叔父や叔母たちの店でも食べられるようになりました。
週刊誌やテレビで、本当は父や親族が私の料理を考えていると叩かれました。
私は心をズタズタに傷つけられ、料理を作れなくなりました。

父と母は断固戦ってくれました。
親族も全力で支援してくれました。
名誉棄損とPTSDを発症したと訴えてくれたのです。
それだけではなく、総務省を相手に、公共の電波を使って児童を傷つけて金儲けしたと、電波の使用権停止を訴えてくれました。
公平をうたい文句に各種団体を叩いてきたテレビ局に対し、公平を期すために電波の入札をすべきと、総務省を訴えてくれたのです。

膨大な時間と訴訟資金が必要になりましたが、父も母も親族も、一歩も引かず戦ってくれました。
テレビ局は、従姉がネットを使って、テレビ局は反社会組織であるという運動をしたことに激しく動揺したようです。
莫大な金を積んで示談に持ち込もうとしましたが、父も母も親族も金に転ぶような人間ではありませんでした。

最終的に私たちが全面勝利しました。
週刊誌の親会社は、週刊誌の廃刊し社長も退陣となりました。
四大テレビ局は、社長が画面に出て全面謝罪したうえで退陣しました。
そこまでしても、放映権の入札は回避したかったのでしょう。
ですが、この裁判で、私の家族は恨まれてしまいました。
テレビ局の手先に家を放火されるくらいに……


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