魔法武士・種子島時堯

克全

第288話越前国始末

1548年8月:西谷城

「若殿、加賀への備えは今のままで宜しゅうございますか?」

「構わぬ、無理にこちらから攻め込む必要はない。大聖寺川を境に堤防を築き、弾薬を惜しまず鉄砲隊を駆使して護りきれ」

「承りました、降伏臣従した国衆・地侍はそのまま防衛に加わらせてよろいいのですか?」

「丹後守が選んだ古参家臣の与力にしたのであろう、ならば大丈夫だ」

「は、有り難き御言葉を賜り、恐悦至極でございます」

伊勢・美濃・尾張て立て続けに攻め取ったが、同時に新たな部隊編成も行っていた。九州在地守備部隊から、中核となる優秀な古参幹部を選出、第1第2第3軍からも、中核となる武将を配下と共々転属させた。そこに種子島家の畿内・山陰道・山陽道の制圧時に家が滅び、六衛府に志願した国衆・地侍を配下に加えて第4軍団を編成していた。ここに更に一条家が四国制覇をした時に、逃げてきた国衆・地侍が加わっている。

軍団長には、度重なる戦功を重ねた大和国軍総司令官・薬丸兼将が昇進転属していた。彼らは海軍艦艇からの上陸訓練を重ねており、尾張制圧が完了した翌日には三国湊に電撃上陸作戦を実施した。

「第4軍」
薬丸兼将:軍総司令官
問註所親照:軍副総司令官
税所但馬守篤清:軍副総司令官
渋谷重厳:種子島家軍学校出身・養子組
九里浄遠:種子島家軍学校出身・養子組
種村貞数:種子島家軍学校出身・養子組
永田賢政:種子島家軍学校出身・養子組
楢崎倫道:種子島家軍学校出身・養子組

10万兵

三国湊は古代から三津七湊と呼ばれるくらい栄えた湊で、朝倉家にとっても無くてはならない重要拠点だった。だがその近くに拠点を置く国衆・地侍は、朝倉家を裏切り生き残る道を模索していたのだ。

1番上陸地点近くに城を構えていた小山豊後守は、わずかながらも船を持っており、種子島家と関係のある商人とも昵懇で、降伏臣従条件を事前交渉していたのだ。小山豊後守は交易艦隊に配属され、九州に新知を与える事を条件に、西谷城と領地を明け渡し、上陸作戦に協力することになった。

次に近い場所に拠点を持っていたのは、僧兵を多く抱える真宗高田派の専光寺であったが、本山の指示と寺領の安堵を条件に、上陸作戦に協力することになった。

堀江館・向氏館・清永館などの拠点を持つ国衆・地侍も、秘かに種子島家と誼を結び、上陸作戦に協力する事を誓った。彼らには検地のうえで、領地と同じ石高の代地を与える約束をしたが、このような条件でも味方をする事を誓った。彼らがこのような不利な条件お受け入れなければいけなかったのは、美濃・尾張と同じように、領民の逃亡で戦う事が不可能になっていたのが大きかった。

専光寺屋敷:真宗高田派の拠点
西谷城  :小山豊後守の拠点
下番堀江館:堀江景忠の拠点

電光石火の上陸作戦を成功させた俺は、瞬く間に越前の国衆・地侍を降伏臣従させ、加賀との国境である大聖寺川まで5万兵を進出させ、吉崎御坊のあった場所に野戦陣地を築かせると共に、大聖寺川を遡って拠点を確保させた。

残った5万兵には三国湊を確保させると共に、九頭竜川を遡って拠点を確保させ、朝倉勢の逆撃に備えさせた。

夜明け前に行われた上陸作戦は完璧に成功し、朝倉家がその事実を知るのに21日間もの時間を要した。だがそれは朝倉家が愚かだった訳ではなく、同日同時間に開始された、種子島家北陸道軍(旧第3軍)による、若狭からの越前侵攻に対応するため手一杯だったからだ。

「北陸道軍(旧第3軍)」
戸次丹後守鑑連(勇将・立花道雪):北陸道軍総司令官
角隈石宗:北陸道軍副総司令官
酒井守道:種子島家軍学校出身・養子組
井上宗貞:種子島家軍学校出身・養子組
内藤国兼:種子島家軍学校出身・養子組
須知元起:種子島家軍学校出身・養子組

10万兵

朝倉宗滴殿が老齢を押して最前線に立ったことで、一部の国衆・地侍の忠誠心は維持出来たものの、過半数の国衆・地侍は種子島家に進んで降伏臣従してきた。だが一部の国衆・地侍は、足利義晴・義輝親子と共に尻に帆かけて逃げ出した。

足利義晴・義輝親子は、匿ってくれた朝倉家を見捨てて、一顧だもせずに飛騨の姉小路家を頼って逃げ出したのだ。そして愚かにもその逃避行に従う国衆・地侍も存在したのだ。

決死の覚悟で出陣した朝倉宗滴殿ではあったが、軍勢としての数を占めるはずの農民兵・雑兵が逃げてしまっていた。忠誠心のある国衆・地侍が集まってくれたものの、彼らも主戦力である農民兵を失っており、平安時代の一騎打ちのような戦闘か、騎馬武者による突撃しか出来ない状況だった。

さて、俺も戸次丹後守も、このように宝玉のように貴重な武士を無駄死にさせるような愚か者ではない。防衛線をしっかりと固めた上で、身体強化魔法を纏った俺が、俺が負ければ朝倉義景の命と城地を保証を約束し、彼らが負ければ家臣になる事を条件に一騎打ちを挑み、見事に彼らを負かして家臣に加える事に成功した。

まあ彼らも噂を聞いているし、京や畿内に送って密偵の報告で俺の実力は把握していただろうから、あくまでも武家の体面を守る為の儀式のようなものだが、その体面を守る事が大切なんだ。朝倉宗滴と彼が率いた国衆・地侍の降伏により、朝倉家は武家として滅ぶ事になり、越前国は俺の支配下に入った。

コメント

コメントを書く

「歴史」の人気作品

書籍化作品