魔法武士・種子島時堯

克全

第265話石見国始末

1547年4月:温泉津城砦群:種子島権大納言時堯と大内晴持

「皆の者、よくぞ戦い抜いてくれた! あれほどの大敗を喫したにも拘らず、大内家に忠誠を尽してくれたこと、心から感謝いたす」

「何を申されますか、普段から大殿や若殿の厚恩を御受けしている我ら一同、身命を賭して奉公させていただきます」

「よくぞ申してくれた、この度の働きと共に今の言葉、この晴持決して忘れぬ」

「「「「「はっはぁ~」」」」」

今回月山富田城をガッチリと包囲した上で、有り余る兵力を使って石見に攻め込んだ。しかし石見侵攻に当たって1つの問題があった。それは大内軍が月山富田城で大敗を喫したにも拘らず、大内家に忠誠を尽して、尼子晴久の逆撃に籠城で対抗してくれた国衆・地侍が多くいてくれたのだ。

忠誠を尽してくれた彼らを慰撫するためには、大内義隆が直接石見に乗り込むのが1番だ。だが出雲・石見に関しては俺が制圧した上で、安芸・備後・備中に代えて譲渡すると言う約束をしていた。だから相談を持ちかけると言う形態で、大内義隆に石見入りを打診してみたのだが。陶隆房などの重臣たちの猛烈な反対があり、実現できなかった。

だが俺が護衛を兼ねて軍師・側近を送り込んでいた大内晴持は、岩見入りがいかに重要かを理解してくれていた。義父・義隆を説得して、一条家と種子島家からつけられた護衛軍に護られながら岩見入りをしてくれた。安芸・周防・長門の国境にある、大内に味方する国衆の城砦を巡り、兵力を結集していった。

そんな彼らを安全に迎え入れる為、尼子家の城砦の1つ櫛山城を攻め取り、そこを中核に1大城砦群を築いた。櫛山城は元々元寇防塁の石見十八砦の一つであったが、尼子家の家臣が拠点としていた。艦隊の停泊に便利な場所に築いた海軍城と櫛島地区の櫛山城を中核に、港を守るように岬・尾根・山頂を内包した大城砦を築いた。

ここは種子島艦隊の艦砲射撃による支援が可能であり、大量の物資を揚陸することも出来る。月山富田城を攻める後詰の城としては、逆撃された場合も想定すれば最良の場所だろう。それにここなら、将来大内晴持が家督を継いだ際には、石見銀山の産物を日本海側から積み出す場合に最適だ。

大内晴持を囲んで、種子島家が供与した酒食を石見の大内方国衆が酌み交わしている。喜びに輝く顔の奥底に、僅かな不安が見え隠れしている。周防・長門の大内衆に比べて一段低く見られていると言う不安と不満が、どうしても心の奥底にあるのだろう。

問題は彼らが大内義隆よりも大内晴持に忠誠を誓い、次代での繁栄を図る事だ。これは当然で、若い頃から大内義隆の側近くに仕えた周防・長門の国衆には敵わない。だが今回の一連の出来事で、大内晴持の側近は土佐一条家と種子島家の者が務めている。その次に石見の国衆が位置することが出来れば、周防・長門の国衆を見返す事が出来るかもしれない。

問題は、そんな石見国衆の想いと大内晴持の事を、大内義隆の寵愛を受けている今の大内家重臣達が受け入れるかどうかだ。今の権勢を持ち続けるために、大内義隆に実子が産まれるように仕向け、その子を傀儡として大内家を意のままに操ろうとする可能性があるのだ。

そんな事になれば背後が気になって東征に全力を注げなくなってしまう。はてさて、どうしたものだろう。

ああそうだ、大内家と尼子家の間で裏切りを繰り返した国衆・地侍は城地を召し上げて追放した。

最後まで尼子家に忠誠を尽し、農民兵や雑兵が逃げてしまい、僅かな一門衆と本丸に籠城した国衆もいた。彼らには敬意を表し、以前のように一騎打ちの上で生け捕りして、私財を持ち出す事を許して好きな所に逃がしてやった。

京で六衛府の募集に応募してくれればいいのだが。

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