魔法武士・種子島時堯

克全

第192話石山本願寺戦開始前

1543年7月15日『摂津国・石山本願寺』種子島権大納言時堯・15歳

俺は一通りの調略を終えてしばらく時間を置いた。これは逃げる者に時間を与える為であり、無関係な者を戦いに巻き込まない為でもある。また種子島家に召し抱える事になった、摂津国の国衆・地侍を軍に加えて簡単な訓練を施し、後方で裏切ったりしないように盾を持たせて防御役に使う為の時間だった。そして何より敵対する者を完全にあぶり出すためでもあった。

種子島家に加えた有力摂津国衆は、明石長行・安威弥四郎・山中又三郎・高山重利・中川重清・荒木義村の一族に能勢郡の三惣領家だった。

阿波国の三好長慶を頼って逃げて行ったのは、伊丹親興・池田正久・三好長直の一族と、父親が三好長慶に敵対しているにもかかわらず三好政康だった。

大内家を頼って逃げて行ったのは、茨木長隆・塩川政年の一族だったが、大内家が受け入れるとは限らないし、途中で誰かに殺されてしまう可能性もあった。

そしてこれが本命なのだが、本願寺の誘いに乗って俺と戦う事にしたのは、池田信正・三宅国村・三好政長・芝山宗綱の一族だった。だが石山本願寺に入って戦うくらいなら、最初から自分の城地を守って戦えばいいと言う事になるのだが、それは家臣や地侍・農民に逃げられ戦える状況になかったからだ。しかし、本願寺の一向衆は死ねば極楽に行けると狂信している為、俺がどれだけデモンストレーションを行っても戦意を失わないのだ。

受け入れてくれる守護や守護代がいなかったり、法外な褒賞を約束され欲に目が眩んだり、どうしても城地を取り返したくて駄目元で命を懸ける事になったり、それぞれの事情で本願寺の誘いを受け入れたのだ。

本願寺にしても、命知らずの狂信者は履いて捨てるほどいるものの、実戦指揮をとれる将が不足していた。本願寺の歴戦実戦指揮官である下間坊官一族は、親衛部隊とも言える僧兵を指揮しなければならない。早い話が使い捨ての信者と同じように、使い捨ての将が必要だったのだ。

だが本願寺証如と後見人・顕証寺蓮淳は強かだった、いや卑怯と言った方がいい!

下間光頼・真頼・融慶の3兄弟の内、下間光頼に石山本願寺を任せて、自分たちは播磨国英賀の英賀御堂に莫大な私財と真頼・融慶に僧兵を指揮させて移った。しかも下間光頼には、摂津国衆・地侍や信者を使い捨てにしてでも、出来る限り俺を討ち取れと命じていた。

さらにどうしても討ち取れないならば、英賀に種子島軍が押し寄せないように、時間稼ぎをするようにとも命じていた。

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