魔法武士・種子島時堯

克全

第176話若狭侵攻占領

1543年1月19日『若狭国・武田氏館』種子島権中納言時堯・15歳

「周玉殿・永恩殿、この度は御苦労だった」

「とんでもございません権中納言さま、兄や甥を約束通り公家にして頂いたばかりか、他の武田一門も末流に至るまで全て召し抱えて下さったこと、心から感謝いたします」

「感謝いたします」

潤甫周玉・春沢永恩も心から感謝しているようだったが、最初から1兵1人たりとも殺す気はなかったのだ。それに働く気さえあれば、誰だって召し抱える準備は何時も出来ている。将兵として戦って出世したいものだけでは無く、戦いたくない者は民百姓としての仕事も幾らでもある。政教分離を守り、政治や軍事に口出ししないのなら僧侶や神官としての職もある。

入念に事前準備を整えていたから、種子島陸軍4万が若狭国に侵攻した時には何の抵抗もなかった。足利義晴将軍の奉行衆・家臣団も大半が裏で俺と通じているから、将軍に若狭国から逃げ出して越前国の朝倉を頼るように勧めて、何の抵抗もする事無く逃げ出した。

若狭国に城地を持つ家臣には種子島陸軍に抵抗して戦うように命じたが、自分はとっとと尻に帆かけて逃げ出したのだ!

丹後国の守護・一色義幸は、この若狭の混乱につけ込んで恨み重なる若狭武田家に報復し、若狭国を奪いたかったようだ。だが一色家自体が足利将軍家・細川管領家・一色家の家督争いで激しい骨肉の争いを重ね、国衆・地侍・領民から見放されていた。その為若狭国との国境線に領地を持つ国衆に切り取り勝手を許可する事と、海賊衆に略奪を許可することしか出来なかった。

一方足利義晴将軍が頼った越前国の朝倉孝景だが、朝倉宗滴と言う名将を一族家臣に持っているとはいえ、北に加賀一向衆と言う大敵がおり、越前国内にも一向衆・朝倉景高と言う敵を抱えていた。

弟の朝倉景高とは父・朝倉貞景の遺領を巡る争いがあり、迂闊に軍勢を若狭国の進める事が出来なかった。何より俺が朝倉家内を争わせようと画策して、朝廷に自分の優位を訴える朝倉孝景の言い分を聞かないように根回ししていた。

俺の資金力で丸抱えしている御上や朝廷は、僅か100貫文や200貫文で朝倉孝景の弟・朝倉景高追放願いを承認するはずもなく、まして朝倉景高の謀反協力願いを聞き届けるはずもなかった。御上や朝廷に危険な橋を渡らせる事無く、ただ家中一族の事は自分たちで話し合うように使者を送るように朝議を誘導した。

その一方で御用商人や交易許可を出している商人を通じて、朝倉景高に軍資金を貸し与えて越前国内で内紛が起こるように仕向けた。大野郡司を罷免され追い詰められた朝倉景高は、想像もしていなかった莫大な軍資金を借りる事が出来たので、兄・朝倉孝景に対する反乱を起こした!

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