魔法武士・種子島時堯

克全

第162話井口経親降伏臣従

1542年12月1日『近江国・井口城』種子島権中納言時堯・14歳

「どうだい越前守、ここは血脈と家名を残すために素直に降伏して臣従を誓ってはどうだ?」

「しかし、私の姉は浅井久政様に嫁いでおります」

「だが俺の手の者が調べた範囲では、久政は阿古殿を邪険に扱っていると言う事だが?」

「それは・・・・・」

「新婚で互いにまだ若いにもかかわらず、女を集めて遊興に耽っていると聞く。亮政が生きているから離縁されていないが、亮政が死ねば離縁されるのではないか?」

「・・・・・」

「井口家は、富永庄総政所を主宰する荘官として、高時川右岸を灌漑する伊香郡用水を管理する井頼りだったのだろう」

「はい・・・・」

「その権利を浅井は阿古の持参金として取り上げた!」

「はい・・・・」

「それだけではない、父上の井口経元殿が浅井亮政の身代わりとなって討死までしているではないか! それにもかかわらず阿古殿を邪険にするなど、久政は信用も信頼も出来ないのではないか?」

「・・・・・」

「阿古殿を助け出して浅井家から離れよ、再婚先は鷹司家の家名と権中納言の官職にかけて悪いようにはせん」

「井口家はどうして頂けるのですか?」

「我が家臣を養嗣子に迎えるなら城地は保証しよう、男子に跡を継がせたいのなら、既に聞き及んでいるだろうが、他の北近江の国衆と同じように城地に見合う扶持を支給しよう」

「我が男子に跡を継がせます」

1531年に六角定頼勢と戦った「箕浦城の戦い」で、浅井亮政の身代わりとなって討死した井口経元だが、高時川の用水をめぐり各岸を代表する浅井氏(左岸の代表者)と井口氏(右岸の代表者)の融和を目的として、娘の阿古を浅井亮政の嫡男・浅井久政に嫁がせていた。これにより浅井家領国の不安定要素を取り除くことに成功し、浅井家の最大の経済基盤であった小谷城下の生産を安定させていた。

だが浅井久政は阿古を嫌い邪険な扱いをしていた為、父親の融和策も討ち死にも全く報われない嫡男・井口経親は浅井家を恨んでいた。このような状況であったため、俺の降伏勧告に素直に応じた。そしてそれが湖北四家(磯野・赤尾・雨森・井口)と呼ばれた有力国衆が俺に降伏し臣従を誓う事に繋がり、その後の雪崩現象とも言える北近江の国衆・地侍に一斉降伏臣従に繋がって行った。

もちろん遠藤主膳・直経親子は伊賀衆を率いて浅井家の諜報を受け持っていた為、種子島家に太刀打ちできないことは重々承知しており、素直に降伏して臣従する事を誓った。

更には浅井亮政の養子で後継者と目されていた娘婿の田屋明政は、浅井久政が浅井家の後継者に決まったことで浅井家から離反することを決断し、俺に降伏臣従を申し込んで来た。

種子島家畿内方面軍・近江侵攻軍団を、比叡山延暦寺城と観音寺城に待機させたまま、俺単独で北近江を次々と攻略して行った。

京極家では高吉が足利義晴将軍と共に若狭に落ちて行ったが、もはやなんの力もなかった。

浅井亮政は越前国の朝倉孝景を頼って城地を捨てて逃げて行った。

京極高延は縁戚の斎藤家を頼って美濃に逃げて行った。

六角定頼は娘婿の土岐頼芸を頼り美濃に移動したが、近江から三々五々集まる忠臣を戦力化することが出来た為、土岐頼芸の援軍として一定の戦闘力を保有することが出来た。そのお陰もあって土岐頼芸は、大桑城に勢力を持ち美濃守護を争う甥・土岐頼純や、下克上を狙う斎藤道三に対抗できるようになった。

井口経元(15??~1531)
京極高清家臣。井口城主。官途は越前守。湖北四家のひとつ。内紛により京極高清の勢力が衰えると、湖北で勢力を拡大した浅井亮政に属して成道寺城主に任じられた。娘の阿古は浅井久政に嫁いだ。1531年、「箕浦城の戦い」で六角定頼勢と戦い、浅井亮政の身代わりとなって討死した。

井口経親(1524~15??)
井口経元の男。1531年、父井口経元の討死により井口家の家督を相続した。1553年、三田村忠政の間で用水論争が起こり、赤尾清世に支援を依頼した。

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