魔法武士・種子島時堯

克全

第154話青地家・小倉家・吉田家始末

1542年11月20日『京・種子島屋敷』種子島権中納言時堯・14歳

他の六角家家臣団も、縁のある公家衆を通して降伏条件交渉を仕掛けて来たが、城地の没収は絶対条件だった。

「権中納言さま、私には嗣子がおりません。そこで一族の方を娘の婿にお迎えさせていただき、養嗣子として青地家を継いでいただくわけにはまいりませんでしょうか?」

「ふむ、確かに私には多くの弟がいるが、長綱殿にも思惑があるのだろうな?」

「先祖代々守ってきた城地を私の代でおめおめと失う訳には参りません!」

「城地を守る為なら何でもするという訳だな、だが後に実子が産まれたらどうするつもりだ?」

「分家させていただき、城地を分けて頂ければ何の問題もありません。権中納言さまの弟君なら後々大身となられ、分家でも今の青地家に匹敵する城地を賜る事も可能でございましょう」

「分かった、そこまで種子島家に賭けているのなら、大切な弟を任せても大丈夫だろう」

青地長綱と言う国衆は男子がいなかった事もあり、種子島家の一族を養嗣子に迎える事を条件に城地の安泰を図ってきた。父上様が俺の助けとなるように多くの弟妹儲けてくれていたので、俺としても悪い条件では無かったので、この条件を受け入れることにした。

だが今回は長綱一族の娘との年齢的な問題があった事と、後々近江国の旗頭になってもらう事を考慮して、1番年下の叔父・種子島時貞の名前を青地時綱として養嗣子に送り込むことになった。

他にも小倉家などは主に3つに一族が分かれ内紛状態であり、一族を纏めるべき強い旗頭が無い状態だった。そこで幸いと言うべきかは別にして小倉宗家嫡男・小倉実光に男子がいないので、小倉宗家当主・小倉実重の英断で娘に種子島家から養子を迎え、義兄となった小倉実光の養嗣子として小倉家の家督を継がせたいと申し出て来た。

養嗣子となったのはすぐ下の弟・種子島時式で、名前を小倉時実(種子島時実)と改め小倉家の旗頭となり、小倉西家・小倉東家を統制することになった。もちろん実際に差配するのは種子島家でも老練な家臣であり、小倉時実(種子島時実)の傳役を務める者だ。その代わり小倉一族一門の城地は安堵という条件交渉をしてきたので、俺はそれを認めて種子島家の血と家臣団を送り込むことにした。

次弟・種子島時式(10)
三弟・種子島時法(8)
四弟・種子島恵期(7)
五弟・種子島恵恩(7)
六弟・種子島恵利(6)

吉田重賢・重政親子は、日置正次が創始した革新的な射法を修めており、俺が種子島家陸軍に正式採用している弓術に通じる物もある。だから孫の重高たちや弟子たちを種子島家弓隊の下級指揮官として召し抱えることにした。弓術家として誇りある吉田家としても、種子島家の弓術を学びたいと言う意欲があり、進んで種子島家の扶持武士となった。

他にも1525年の「黒橋の戦い」で六角定頼に敗れ、滅亡したと思われていた九里家・伊庭家の一族を始め、六角家に反抗した事があって逼塞していた一族が臣従したいとやって来た。

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