魔法武士・種子島時堯

克全

第71話筑前国侵攻

1537年10月『大隅国・国分清水城』種子島右近衛権少将時堯・9歳

「父上様、そろそろ筑前国を攻め取り、大宰府を確保しようと思います」

「国衆や地侍からの侵攻依頼を断り切れないか?」

「はい、城地を召し上げられることになっても、早急に支配下に置いて欲しいと懇願して来ております」

「まああれだけの家臣に叛かれたら、意地も張れなくなるだろうからな」

父上様の言われる通り、種子島家の農業革命以来、筑前国からも民百姓が種子島家に逃げ出してきている。いや民百姓だけでなく、職人・商人や足軽・地侍までも逃げて来ていた。あれだけ隆盛を極めていた博多湊も芦屋湊も住人が逃げ出しゴーストタウンになっていた。

宗像大社大宮司の血統で、有力な水軍を有していた宗像一族も、水夫や海賊衆が船を盗んで種子島海軍に馳せ参じたり、盗んだ船を活用して種子島領内の商人として活躍しだしてしまっているのだ。

侵攻の手順は、いつものように俺が空を駆けて先行し、侵攻先の城門や土塁を破壊して威圧し、後続の侵攻軍団に城地を接収させるとうものだ。今回も陸海軍を連携させるべく、肥前国唐津方面から陸軍を進める侵攻路を採用した。海軍は玄界灘を沿岸沿いに航行させ博多湾に入り、陸軍の侵攻に合せて周防灘にまで航行した。

総司令官・種子島右近衛権少将時堯
副総司令官・福丸朱雀

「種子島家・筑前侵攻軍団」
騎馬隊・2000騎
鉄砲隊・2000兵(士筒)
弓隊 ・1000兵
投石隊・1000兵
投槍隊・1000兵
長槍隊・1000兵
徒侍隊・4000兵
工兵隊・5000兵
看護隊・1000兵
輸送隊・5000兵
総計・2000騎・2万1000兵

「種子島家・筑前侵攻艦隊」
第5艦隊・司令官・新里右衛門尉良雄
第51戦隊・関船   12船(1080兵)
第52戦隊・関船   12船(1080兵)
第53戦隊・関船   12船(1080兵)
第54戦隊・関船   12船(1080兵)
第6艦隊・司令官・鮫島因幡守宗勝
第61戦隊・関船   12船(1080兵)
第62戦隊・関船   12船(1080兵)
第63戦隊・関船   12船(1080兵)
第64戦隊・関船   12船(1080兵)
第7艦隊・司令官・検見崎播磨守兼堯
第71戦隊・関船   12船(1080兵)
第72戦隊・関船   12船(1080兵)
第73戦隊・関船   12船(1080兵)
第74戦隊・関船   12船(1080兵)

まあいつものごとく簡単に筑前国は種子島家の領国となった。大内家で筑前守護代を務めた杉太宰少弐興長も、僅かな城地を保証した上で一族一門家臣を全て種子島家の直臣とする事を認めた。

同じく大内家に味方していた、後漢霊帝の後裔を称する渡来系古代氏族の大蔵家を遠祖とする、秋月種時・原田興種などが僅かな城地の保証と一族一門家臣を全て種子島家の直臣とする事を認めた。全面的に降伏臣従する家もあれば、鞍手家・岩門家・別府家・高橋家、田尻家、三原家などのように、1部の一族一門を大友家に付けて、種子島家が負けた場合でも家と血脈が残るようにする家もある。

他にも大内家に味方していたり中立を保っていた、西重国・麻生家春・細川若狭守光行・吉井隆光・大村重継・河津興光なども、僅かな城地の保証と一族一門家臣を全て種子島家の直臣とする事を条件に降伏臣従してきた。もちろん宗像正氏も同じ条件で降伏臣従した。

さらに大友家に味方していた臼杵民部少輔鑑栄・大鶴上総守宗秋・小田部隼人佐鎮隆・立花鑑光は、一族一門家臣に次々と叛かれ、籠城することも出来ずに僅かな忠臣と家族と共に、大友修理大夫義鑑の本拠のある豊後国に逃げて行った。

コメント

コメントを書く

「歴史」の人気作品

書籍化作品