魔法武士・種子島時堯

克全

第45話筑後侵攻

1536年11月『筑後国・三原城』種子島左近衛将監時堯・8歳

俺は一条・大内との話し合いがついたので筑後侵攻を開始する決意を固めたが、大友兄弟の内紛と種子島家の影響に筑後の国衆も四苦八苦していた。それでも筑後国十五城と呼ばれた国衆の中で、問註所親照・五条鑑量・下蒲池武蔵守鑑久などは、大友家に忠誠を尽して種子島家の誘いに応じなかった。

俺が城壁・土塁破壊して脅してもそれに屈する事無く、大友家に忠誠を尽そうと半農半武で種子島家改革の影響をあまり受けなかった地侍を率い籠城の準備をしていた。

忠誠無比で筋の通った国衆の配下には、やはり忠誠心の厚い武士が育つのかもしれない。中には種子島家に内通する者もいるが、それは簡単に種子島家に寝返った他の筑後国十五城に比べればごくごく少数だった。

1番末端の地侍が種子島家の直臣となれば、国衆の勢力などないも同然で、8万石の支配地を持っていた上蒲池家も、下は地侍クラスから上は城主クラスにまで裏切られ、当主以下一族一門衆全てが単騎の騎馬武者として雇われることになった。

「三池殿、種子島家に忠誠を誓われるか?」

「はい、石見守殿、我が三池家は今は亡き石見守殿の父上・肥後守殿に味方してきました。この度の大友家との戦争で左兵衛佐殿に御味方したのも、菊池家の当主だからです」

俺は徹底的に脅してから筑後占領の軍を侵攻させたが、肥後から最初に入るのは筑後国十五城の1人・三池親盛8000石の三原城だった。俺も同席したが、直接交渉は菊池家の当主となった菊池石見守重次に任せた。彼が菊池家の第22代当主・菊池能運の隠し子だと大々的に明かしたため、能運の味方をした事のある筑後国衆は降伏臣従しやすくなったのだ。

三池家を降伏させた後は、そのまま海岸線を進んで田尻家・上蒲池家と降伏臣従させたが、筑後国十五城筆頭の下蒲池家は頑として降伏臣従を拒否してきた。そこで下蒲池家は放置して海岸線を離れ山側に侵攻し、溝口家・西牟田家・丹波家と降伏臣従させた。最終的には大友家の本国・豊後と領地を接する問註所家・五条家以外の筑後国十五城を降伏臣従させる事に成功した

事ここに至っても、大友家は筑後に1兵の援軍も送らなかった!

いや送る事が出来なかったと言うのが正確だ、日向国土々呂城に1万を超える陸軍と4千を超える海軍が駐屯している以上、困窮する大友家に援軍を送る余裕など全くなかったのだ。

「石見守、敵味方1兵も傷つける事無く筑後国を平定したい、手伝ってくれるか?」

「お任せください! 菊池家を正しい血統に戻して下さった御恩に報いさせて頂きます!」

「では一緒に柳川城に行ってもらうぞ」

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