立見家武芸帖

克全

第78話家臣1

「御老中、御貸ししていただいている長屋をお返ししなくていいのですか」

「ああ、構わん。
むしろ今まで通り借りてやってくれ。
そしてこれまで通り、獲った魚を振舞ってやってくれ」

我は、相良田沼家、白河松平家、古河土井家から貸していただいていた、武家長屋を返そうと思ったのだが、どの家でも借り続けて欲しいと言われた。
建前上は、出稽古の時の着替えや休息、時に宿泊する時に使えるという事だった。
だが宿泊は兎も角、着替えや休息は道場に付属している和室を使えばいい。
よくよく理由を聞けば、それは下級武士の貧乏が原因だった。

裏長屋の町民が、月に一二度しか魚が喰えないのと同じで、下級武士もぎりぎりの生活をしており、月に三四回しか魚が喰えないそうだ。
だが我が長屋を借りている間は、毎日三度も魚料理がお裾分けされる。
単身で江戸に来ている勤番侍は勿論、妻子持ちの江戸詰め藩士家族も、我が御裾分けする魚料理を心待ちにしており、我が長屋を返上する事に大反対したそうだ。
これでは家臣の誰かを長屋に常駐させて、魚を飼い続けなければいけない。
家臣の数が少ないのに困った事である。

まあ、武芸を習いに来ている門弟を家臣代わりに使う方法もある。
我は拝領した麹町の武家屋敷で剣術と槍術を教えだした。
我が西ノ丸様の武芸指南役なったことで、剣術や槍術を習いたいという、旗本御家人の子弟が多数現れたのだ。
中には家を継げない部屋住みもいて、我の家臣になりたいという者もいた。

だが直ぐに家臣に召し抱えるというわけにはいかない。
我には先に家臣に召し抱えらなければいけない者達ができたのだ。
叔父達の子孫、一度は武士を捨てた従兄弟や従甥が、できれば若党、せめて中間にしてくれないかと頼んできたのだ。
我の兄達でさえ、同心株や大家株を買うのに苦労したのだ。
従兄弟や従甥、さらに遡って大叔父の子孫達まで面倒を見る事などできず、皆町人となっていたのだ。

兎も角、彼らを一度武芸の修行の通わせることにした。
幾ら一族一門とは言え、我の家臣が戦えないのでは困る。
我の家臣は、若党は勿論、中間も一騎当千の武芸者であるべきだと思っている。
戦えない武家奉公人など不要である。
だから厳しく修行させることにしたが、厳しい修行をさせるには、腹一杯飯を喰う必要がある。

知行二百石と七十人扶持を頂いているので、刀剣の鑑定書料や道場の束脩や謝儀といった現金収入は別にして、百十人を食べさせていくことができる。
見込みのある部屋住みや浪人者は住み込みの内弟子にして、我が武芸を伝えることにしたのだが、その一環として魚を獲る方法も教えた。
生きた魚を槍や剣で突くのは、いい修行になるのだ。

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