立見家武芸帖

克全

第75話徳川家基9

上様の怒りは激烈を極めた。
上様は男二人女二人の御子に恵まれられたが、今年万寿姫が夭折されてしまい、唯一人残られているのが西ノ丸様だ。
その西ノ丸様の御名に泥を塗るような真似が、下々には温厚な名君と評判の上様の逆鱗に触れたようだ。

西ノ丸衆は、全員が閉門蟄居謹慎となった。
激烈な取り調べが行われ、西ノ丸の警備に当たっていた、小姓組番や書院番にまでその追及が及び、番内で新人に対して過度な接待要求をしていた事や、家柄差による差別や暴行までもが次々と発覚した。

御老中の話では、上様は愛妻家で、正室の倫子女王との間に男子が得られず、近臣が側室を薦めても、なかなか側室を選ばなかったそうだ。
御老中が強く進めたため、仕方なく側室を置かれたが、御老中も同じように側室を置くことを条件にされるような方だ。

御二人の男児がお生まれになったら、御二人ともを倫子女王のもとで養育させ、それ以後はもう側室の元に通わなくなるようなお方だ。
そこまでして得られた男児も、御一人は夭折され、今は西ノ丸様しかおられない。
その西ノ丸様の名誉を穢し、汚名を着せるような者を、許されるはずがないのだ。

それに、将軍として先々代吉宗公のような名君にならんと欲し、吉宗公以上の質素倹約に努め、大奥の経費をさらに三割削減されるような上様だ。
先輩だの家柄だのを笠に、後輩や下の者を強請り集るような者が、虫唾が走るほどお嫌いなのだろう。
多数の旗本が改易処分となり、綱紀粛正が図られた。

それが終わるまで、半年ほどの時間がかかった。
その間我が何をしていたかと言えば、特に何をしたというわけではない。
出稽古を約束している藩邸で剣と槍術を教える。
気儘に河や浜辺に向かい、魚を獲り貝を集める。
試し斬りを行い、鑑定書を書いて礼金三十両を手にする。
いたって平穏な日々である。

問題があったとすれば、山名の殿様の上の姫君、鶴様の縁組が決まった事だ。
旗本五千石時枝小笠原家の当主、小笠原大膳様だそうだ。
だが、まだ御年九歳の幼さで、今は婚約しただけで、輿入れはまだまだ先の話だ。
鶴姫様からは、季節の着物と一緒に、思いの丈を切々と綴った手紙を頂いたが、武辺者の我には気の利いた返事を送る事などできぬ。
ただ正直に祝いの言葉と品を送るだけだ。

問題は伊勢甚屋の娘つなをどうするかだった。
つなはまだ行儀見習いの途中ではあるが、伊勢甚屋は我のために浅草に土地を買って沽券を手に入れ、着々と道場を建てている。
このままではつなを側室にしなければいけなくなる。
正室もまだなのに、先に側室というのもおかしな話だ。
本来ならば、御老中や白河公から嫁を貰えと言われるところだが、山名家のこともあり、そういう話も出てこない。
我の奥向きはどうなるのであろう。


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