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克全

第224話:一八四五年・領土交換交渉

 オスマン帝国は俺が思っている以上に研究熱心で進歩的だった。
 バルカン半島からオーストリア帝国を侵攻したが、ウィーンを包囲する軍を残して他の軍を敵部隊殲滅や統治や屯田に分派したのだ。
 単に侵攻占領するのではなく、後々の統治も考えて丹念な領地開発を行い、新しい領地を豊かにして民の心を掴もうとしている。

 まあ、徳川軍が侵攻したので、これ以上北上できないというのはある。
 だがやろうと思えば内戦で組織的抵抗ができないイタリア王国に攻め込むことはできるのだ。

 いや、ここで下手にイタリア王国に侵攻すれば、せっかく内部争いしているイタリア王国を一致団結させてしまう可能性がある。
 その事も考えて侵攻を手控えているのだろう。
 オスマン帝国がイタリア王国に侵攻する時は、新たに手に入れた領地の統治が成功して、イタリア王国に疲弊がもっと酷くなった時だな。

 その頃徳川軍はプロイセン王国に侵攻していた。
 圧倒的な強さでプロイセン王国軍を蹂躙していた。
 国王であるフリードリヒ・ヴィルヘルム四世と、宰相である叔父のフリードリヒ・ヴィルヘルム・フォン・ブランデンブルクの対立が徳川軍には有利に働いた。
 まあ、俺が命じてプロイセン王国内に色々な噂をばらまかせて、貴族や将軍を対立させたり疑心暗鬼にさせたりしていたのだけれどね。

 オスマン帝国と徳川軍がほぼ戦略目的を達して、残りは残敵の討伐と統治体制の確立になった頃に、以前から考えていた領地の交換交渉を現地司令官に行わせた。
 とても重大な交渉だから、最悪新たに手に入れたドイツ各国とチェコやスロバキアを手放す覚悟もしていた。
 だができるだけ手放す領土は少なくしたいので、現地司令官では交渉が厳しいようなら、ジブラルタルから胤昌叔父上を派遣する事も考えていた。

 実際に厳しい交渉をするのは外交交渉能力に秀でた家臣だが、頭になる者は俺の血縁でなければ格違いで条約交渉に支障がでてしまうのだ。
 そういう意味では父上にオスマン帝国まで出向いてもらう可能性まで考えていた。
 だが、幸いな事に交渉はこちらが考えている以上に簡単に進んだ。
 俺が瀬戸内海や日本海を徳川家の内海にしたかったのと同じように、オスマン帝国も黒海を内海化したかったようだ。
 
 いや、それだけではなく、歴史的にずっと争っていたロシア帝国の黒海沿岸部を手に入れられる事が、国民に対する大きな手柄になったのだ。
 更にオスマン帝国とペルシア帝国とロシア帝国の三カ国で争奪戦を繰り返していた、カフカス地方の黒海沿岸部を手に入れられるのだ。
 実際に割譲される領地が細長く狭くても満足感が大きかったのだろう。

 しかもその沿岸部には近代西洋帆船を建造できる造船所が多数あるのだ。
 不毛の大地だと思い込んでいるアラビア半島の宗主権との交換なら、安いモノだと判断してくれたようだ。
 まあ、こちらがシリアの宗主権は要求せずに、イラク、ヨルダン、イスラエル以南の宗主権に限ったのがよかったのだろう。
 正直想定していたよりもずっと少ない領土ですんだ。
 ペルシア帝国北部を割譲しなくてすんで本当によかった。

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