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克全

第137話:一八三五年、モンゴル傭兵と藩王

俺は馬鹿だ、どうしようもない大馬鹿だ。
前世の知識以外には何の能力もない、愚か者だと思い知った。
モンゴルの諸部族を傭兵にできないかと軍師役に聞いたら、既に交易で友好関係を結び、味方に加わっていると言われてしまった。
俺は蝦夷や樺太はもちろん、ユーラシア大陸に侵攻する時から、先住民族と友好関係を結んでくれと言っていたのだが、その中に既にモンゴルの部族がいたのだ。

しかも大馬鹿な事に、一番大切イルクーツクの油田地帯を後方で支援する、いや、イルクーツクを確保するために通過したブリヤートが、モンゴルのブリヤート部族だったのだ。

そこで改めて協力関係にあるモンゴル諸部族を軍師役に確認した。
正直情けなくて顔から火が出そうだったが、聞かないわけにはいかなかった。
モンゴル族の中には、清国の蒙古八旗に取立てられた者もいたが、チベット高原の中央部に居住する七十九族と呼ばれた諸部族は、そのまま現地の留まっていた。

清国の歴史と共にタンラ山脈を境界とした青海の四十族と西藏の三十九族に分割されてしまい、西藏の三十九族はダライ・ラマの所領にされた。
青海はグシ・ハン一族が領有する青海草原と、玉樹四十族が分散居住するカム地方北部に大別されていたが、理藩院のよって管理されていたから、早い話が宗主国と属国の関係だと思う。

松前藩に味方してくれているのは、ロシアとの国境に近い外蒙古四部八十六旗の末裔と、新疆地区十三旗の末裔だった。
その中のブリヤートのモンゴル族は、伝説ではモンゴル族の始祖と言われるほどの名門部族だった。
彼らが味方に付いてくれたことが、他の部族と友好関係を築くのにとても役立ったと、軍師役が教えてくれた。

トヴァのモンゴル族は、エニセイ川源流域、サヤン山脈とタンヌ・オーラ山脈の間にあるトゥバ盆地を中心に遊牧生活をしている。
トゥバ盆地にはエニセイ川水系の河川と多くの湖かあり、農業用水に恵まれているにで、大麦や黍、蕎麦や砂糖大根を育てさせてみたい地方だった。

カルムイクのモンゴル族はカルムイク・ハン国の末裔だったが、ロシア帝国に圧迫されていたそうだ。
清国にジュンガル・ホンタイジ国が滅ぼされて、故地である東トルキスタンのイリ地方にが空白地帯となっていたので、帰還して清の乾隆帝の庇護下に入りトルグート部と呼ばれている。
彼らが味方に付いてくれたことで、現在の新疆ウイグル自治区バインゴリン・オイラト自治州から、ヴォルガ川流域やカスピ海沿岸に影響力を持つことができた。

他にもキルギス人、キルギス人と近いハカス人、オイロート人、タジク人とも友好関係を結ぶことができている。
軍師役の者達は、コーカンド・ハン国、ブハラ・ハン国、ヒヴァ・ハン国とも同盟すべく下交渉してくれていた。
俺が征東大将軍に就任した事で、各国と対等の同盟を結ぶことも、各国を藩の大名、いや、藩王として遇する事も可能となっているのだ。

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