転生 徳川慶勝 日露開戦 日米開戦

克全

第126話一八三四年、婚約

俺は皇室からの降嫁問題からは逃げ続けていた。
色々な欲が出て来てしまって、誘惑されることも多かった。
だが将軍家と敵対するのは、当初の目標から外れ過ぎてしまう。
だから徳川家慶将軍とも直談判して、内親王の降嫁だけは避けようとした。
祖父と父の虚栄心を満足させて、今上陛下と徳川家慶将軍の面目も潰さず、皇室の財政問題を支援するとも言った。
行き場の決まっていない、伏見宮家の隆子女王の嫁ぎ先か門跡入りする寺社を探すとも言ったのだが、色よい返事はなかった。

これは俺が一生懸命色々とやって来た結果で、自業自得だったのだ。
三百諸侯はもちろん、旗本御家人の多くが俺の将軍継承を望んでいた。
徳川治済による徳川家基暗殺は、忠孝を重んじる朱子学が基本の今の武家社会では、絶対に許されない事だった。
薄々分かっていた事でも、証拠や自白がなければ黙認するのが人間なのだが、徳川家斉が自白した以上誤魔化しようがない。

それに、俺が権力を握ってからは幕府による手伝い普請がなくなった。
特産品を指導してもらえて、生産した物は全部買い取ってもらえる。
天候に左右されない寒冷地用の穀物でもいいので、天候不順に怯えることもない。
能力も未知数で、これからどんな性格に育つか分からない徳川家慶の子弟よりも、まだ十五歳の俺の治世が長く続いて欲しいと心から願っているようだ。

まあ、何より大きいのは、松前藩に仕官した子弟の事だろう。
松前藩には五万二千家もの新しい武家が誕生している。
これだけ多いと、三百諸侯や旗本御家人、陪臣の子弟一族も数多くいる。
そんな一族が、俺が将軍になれば幕臣、旗本御家人になれるのだ。
一族に将軍の側近がいれば、色々と都合がいいと考えるのは普通の事だ。
しかもこれからも毎年二千の武家が誕生するのだ。

だが、狂信的なまでに俺を憎む者も少なからずいる。
全ての人間に好かれる事などありえない。
彼らの凶刃が何時俺に襲い掛かってくるか、心配でたまらない。
結局、伏見宮貞敬親王殿下の第九王女、宗諄女王を霊鑑寺門跡から還俗していただき、正室に迎えるという俺の願いはかなえられなかった。

結局抵抗むなしく、前天皇、百十九代光格天皇の第七皇女、蓁子内親王を宝鏡寺門跡から還俗させて正室に迎えることになってしまった。

婚約の勅許を下した今上陛下は、「松前は水戸の血を引き高須に生まれ尾張との所縁も深し、水戸は二代光圀以来、尾張は初代義直以来、高須は先代以来、世々勤王の志厚し、政教能く行われ内親王の為には良縁なるべし」と満足されたというが、俺は時限爆弾を押し付けられた心境だ。

俺は敗北に打ちひしがれて、絶望感に捕らえられてはいたが、伏見宮の隆子女王の事を忘れたわけでもなければ、報復に放置するような情のない人間でもない。
田安徳川家三代当主、徳川斉匡に隠居してもらい、史実では廃嫡された次男の徳川匡時を四代当主にして、隆子女王を正室に迎える。

徳川匡時の母親は閑院宮美仁親王第一王女の裕宮貞子女王だから、家格も心情も問題ないだろう。
史実では天保十年に徳川匡時は死ぬが、この世界では長生きするかもしれない。
それに徳川匡時の生死は寿命ならどうにもできないが、隆子女王が史実のような家出騒動を起こさなくなるだけでもいいのだ。

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