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克全

第123話一八三四年、予言ではなく啓蒙

今年は特に予言しなければいけない事はなかった。
だが、史実通りなら天保の飢饉が起こっているはずの年だ。
大塩平八郎による兵火も一八三七年に引き起こされていただろう。
だがこの世界では、俺の政策による米は不作だったが小麦や蕎麦はとれた。
食糧が不足している藩には小麦や蕎麦を貸し与えたから、餓死者はでていない。
そもそも餓死するような貧民は松前藩に移民している。

それは江戸大阪も同じで、特に五十五万もの野非人がいなくなった江戸では、必要とされる食糧が三分の二なっている。
まあ、その分米問屋や米屋の中には商売に行き詰まってしまう所もある。
振売をしても売れる数が三分の二になってしまっているが、その日暮らしの振売が松前領に移民しているから問題はない。
江戸に残っているのはちゃんと店を構えている町人だや、沽券で証明された土地を所有している町人だ。

「いいですか、疫病を身体の中に入れないためには、手に着いた疫病を手洗いで洗い流す事が最初の技です。
次に喉にまで侵入した疫病を、うがいをして身体に入らせない技です。
技が未熟で身体に疫病を入り込まれては恥です。
城砦を出て戻ったら、まずは手洗いとうがいをしてください。
それと城砦から出るのに、防具をつけないのは油断以外の何もでもありません。
布口面で口と鼻を覆って護るのです」

公衆衛生を大名や旗本といった江戸城に登城する面々に指導します。
江戸幕府の指揮を執るべき面々が疫病で斃れてしまっては最悪です。
日本のマスクの歴史は、史実では大正時代に始まっていたはずだ。
最初は工場内の粉塵よけに使われていて「工場マスク」と呼ばれていた。
一八一九年(大正八年)にインフルエンザが大流行すると、その予防品としてマスクが大流行して、製造が追いつかないほどだったと聞く。

だがこの世界では、すでに俺が導入していて、貧しい下級武家の内職にしている。
疫病と戦うための防具だから、籠城中に自給自足できるようにという理由で、武家が内職にしても恥ではない事にしたのだ。
だが問題はマスクというネーミングだった。
世界的には一七世紀にペストに対処するために発明されていた。
日本で導入する時のネーミングが、口頭巾や口覆いや口面貌ではいやだった。

だから能や狂言で使われている仮面、能面と狂言面から口面とした。
特に布で作っているので布口面として。
身分や財力に応じて口面の中に布を入れてもいいし、布だけの口面を使ってもいいのだが、意外とおしゃれとして流行してしまった。

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