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克全

第118話一八三三年、正室候補

俺がネイティブアメリカンを支援してアメリカ合衆国を内部分裂させようと考えていた頃、少し判断力が落ちてきた祖父と父がとんでもないことを企んでいた。

だが元々の原因は俺にあったのも確かだった。
数々の予言を的中させて、天災の犠牲を最小限に抑えていた。
疫病を防いしまったのが、最も悪かったのだろう。
それは天皇陛下の最も大切な役目、国家と国民の安寧と繁栄を祈り病気や疫病、地震や火災、天災といった災いを起こす祟り神を抑える役目を肩代わりしたことになり、天皇陛下不要論につながってしまう。

祖父と父は、今上陛下や宮中の重鎮に俺を取り込めと唆したらしい。
その為には、皇女の臣籍降下も仕方がないと献策したそうだ。
俺が強国ロシアと戦い、強国アメリカに謀略を仕掛けている時に、足元を弱くするとんでもない行為なのだが、祖父と父は俺を助けている心算だが困る。
そんなことを強行すれば、せっかく築いた名声が地に落ちてしまう。
将軍家はもちろん朝廷内にも敵を作ってしまう。
祖父がボケたとしか思えない愚かすぎる行動だった。

だが、降嫁の前例がないかと言えばそうでもない。
ほとんどが藤原家、五摂家への降嫁なのだが、平安時代中期か後期辺りで、村上源氏の源俊房に後朱雀天皇皇女、娟子内親王が降嫁している。
平安時代前期から中期には、陽成源氏の源清蔭に醍醐天皇皇女、韶子内親王が降嫁して、光孝源氏の源清平にも醍醐天皇皇女、普子内親王が降嫁している。

徳川家で言えば、文化元年九月三日(一八〇四年一〇月六日)に、有栖川宮織仁親王王女、喬子女王が将軍襲職前の徳川家慶に正室として降嫁している。
俺が 徳川斉昭を死に追いやったから現実にはならなかったが、史実では有栖川宮織仁親王王女、吉子女王が徳川斉昭の正室として降嫁している。

歴史が大きく変わってしまっているので、史実通りになるかどうかは分からないが、一橋徳川家の七代当主、徳川慶壽には伏見宮貞敬親王王女、直子女王が降嫁している。
史実で有名なのが、江戸幕府第十四代征夷大将軍の徳川家茂に降嫁した、仁孝天皇皇女の和宮親子内親王だろう。

だが流石に、武家に内親王を降嫁させるのは無理がありすぎる。
婚期を逃された有栖川宮織仁親王王女、吉子女王を引き取るという事はあるかもしれないが、十三歳でしかない俺が三十歳の吉子女王を正室に迎えるというのは、流石に無理がある。

まあ、降嫁とはいっても宮家の女王を正室に迎えるのならまだよい。
吉子女王の姉の織子女王は広島藩主、浅野斉賢の正室となっているし、幸子女王も長州藩主、毛利斉房の正室となっている。
女王は内親王とは全く格が違うし、猶子の内親王と実子の内親王でも全く格が違うから、側室に男子が生まれたら吉子女王で、尼寺に送られてしまっている女王でもいいから、形だけ正室に迎えるのがいいかもしれない。

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