転生 徳川慶勝 日露開戦 日米開戦

克全

第94話一八三〇年、収支と五〇個若党鉄砲組

この年、史実ではお伊勢参りが大流行していた。
六〇年周期を意識する人たちが抜け参りをするし、お伊勢講によって村落の代表者がお伊勢参りする。
当時三〇〇〇万人程度の人口しかいなかった日本で、四二七万六五〇〇人もの参詣者がいて、経済効果も八六万両以上と推定されていた。

お伊勢参りで使われる街道沿いの物価上昇が大きく、大阪で通常一三文で売られている草鞋が二〇〇文で売られたり、京都で通常一六文で売れられている柄杓が300文に高騰したという記録があるので、前もって物資を置いておけば大儲けできた。
試合による毎年三〇〇〇人の藩士採用に加え、二〇〇〇人の別枠採用を行った。
ドライゼ銃量産のための部品生産も、日本中の鉄砲鍛冶に発注させた。

北米に派遣される「若党鉄砲組」だが、穢多非人志願に触発され、先に試合で採用されて「若党鉄砲組」に編成されていた者の大半が、北米派遣に志願した。
それだけにとどまらず、元薩摩藩士も多数志願した。
瞬く間に百組二百組が編制できる数になったが、編制予定は五十組だった。

「一八二九年の松前松平家収支と軍事力」

備蓄金 :△三千三百二万七千九百八両

二朱銀益:六百万両
北前船 :△百七十四万両(百七十四隻は船団を組み清国や東南アジア)
北前船 :△十六万八百両(自家以外の四百二隻運上金)
快速丸 :△百二十万両(六十隻)
迅速丸 :△二百四十万両(六十隻)
商場運上:△八万両
試合興行:△十八万両
小計  :△千五十六万八百両

藩士扶持:▲十四万七千九百三十六両(二万三千兵)
旧薩摩藩:▲三十一万八千(五万兵)
野非人 :▲五十五万両
食費役費:▲二十四万八千両
鉄砲部品:▲一万両(六千丁)
小銃生産:▲六万両(ドライゼ銃六千丁)
(鉄砲部品:七千丁分一万四千両)
玉薬代 :▲五万両
鉄銅鉛代:▲百万両
鍛冶職 :▲二万両(日本刀、槍、鏃)
練炭  :▲五千両
豆炭  :▲五千両
七輪  :▲一万両
陶磁器 :▲二万両
艦艇修理:▲一万七千四百両(百七十四隻)
快速丸 :▲七千五百両(五十トン十五隻×五百両)
迅速丸 :▲一万五千両(百トン十五隻×千両)
三十六門フリゲート艦:▲二万八千両(三百五十トン八艦×三千五百両)
五十二門フリゲート艦:▲四万両(二艦×二万両)
農耕牛 :▲三十万両(十万頭×三両)
軍馬駄馬:▲二十万両(十万頭×二両)
小計  :▲三百五万千八百三十六両

総計  :△七百五十万八千九百六十四両

「現有戦力」
反射高炉:高須藩・独立四炉を四基
反射高炉:江戸韮山二炉一基を二基
反射高炉:松前藩函館二炉一基を六基
反射高炉:松前藩福山館二炉一基を六基
反射高炉:松前藩小樽二炉一基を八基
反射高炉:松前藩室蘭二炉一基を六基
反射高炉:松前藩釧路二炉一基を二基
反射高炉:松前藩網走二炉一基を二基
反射高炉:松前藩石狩二炉一基を二基
三十六門フリゲート艦:三五〇トン=二〇艦
五十二門フリゲート艦:一五七六トン=三艦
快速丸 :五十トン=六十隻
迅速丸 :百トン=六十隻
合の子船:百七十四隻
火縄銃 :一万二千丁
後装火縄銃:三千丁
ドライゼ銃二万九千丁
農耕牛 :十万頭
軍馬駄馬:十万頭

コメント

コメントを書く

「歴史」の人気作品

書籍化作品