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克全

第43話一八二六年、官位官職と養子縁組

「おめでとう」
「「「「「おめでとうございます」」」」」

「ありがとうございます、全ては皆様の御力添えの御陰です」

俺が従三位に昇叙し、権中納言に転任し、右近衛権中将に兼帯することになり、その御祝に親族が集まってくれているのだ。
有難い話ではあるが、堅苦しい席が苦手な俺には苦行でしかない。
預かる領地が増え、官職が上がる度に、肩にずしりと重圧がのしかかる。

特に、以前は薩摩藩が琉球王国を服属させていたが、東照神君の御告げだという事にして俺が海外貿易を独占することになったので、目論見通り琉球王国を支配下に置くことになったのだ。
そこで多禰国と対馬国を加えて、正式に高直しをすることになったのだ。

蝦夷樺太の十万石格に、加増された対馬国六千二百六十九石と多禰国の三万九千百十三石を加え、更に支配下に置いた琉球王国の十二万石を加えたので、合計で二十六万五千三百八十二石となった。

二十六万五千三百八十二石の大名ならば、朝鮮との交渉をやっても家格が足らないという事はない。
だが問題は大名家の極位極官だった。
本来なら、各大名家には極位極官と呼ばれる官職の上限があるのだ。

俺は最初に松前藩主となったのだが、松前藩主だった松前家の極位は従五位下となっている。
歴代の松前家当主は従五位下なのだが、史実の松前崇広は幕府の老中になっており、老中の極位極官である従四位下で侍従となっている。

俺の実家である高須松平家の極位極官は、従四位上で左近衛少将であるが、父上がが継承された尾張徳川家では、従二位、大納言、右近衛中将が極位極官となる。

徳川幕府は、徳川家門大名、松平庶流大名、徳川外戚大名、譜代大名、外様大名という区分けで大名家の序列をつけている。

他にも幕府の基準では、領地の規模で大名家の格を分けていて、国持大名(国主)、国持大名格、城持大名(城主)、城持大名格、陣屋大名と区別している。

以上の力関係を考慮して、徳川幕府は極位極官を決めているのだが、俺は国持ち大名で、高須松平家の出身で、現尾張徳川家当主の長男でもある。
その俺の極位極官をどうするかは、大名家の序列、特に御家門でも徳川姓を名乗ることを許された、御三家御三卿には大問題だったのだ。

今の尾張徳川家からは文句は出ないと思うが、他からは激しい文句が出る可能性がとても高いのだ。

紀州徳川家の極位極官が、従二位、大納言、右近衛中将であるので、それを超えるのは大問題だ。

同じ意味で、水戸徳川家の極位極官が、正三位、権中納言、右近衛中将なので、すでに水戸徳川家に並んでしまっているのだ。

男の嫉妬は醜い。
これが原因となって、桜田門外の変のように、水戸徳川家の連中に襲われてはたまらない、いや、他の松平庶流の中にも妬んでいる奴がいるかもしれない。

それと、俺は少し罪を償うことにした。
福岡藩主の黒田斉清が黒田長溥との養子縁組を解消した事で、黒田家には跡継ぎがいなくなってしまったので、徳川斉温を跡継ぎに押し込んだ。
彼が名古屋の火事で廃嫡にされた事に、罪の意識を感じていたのだ。
だからこそ、彼に大好きな鳩を数千羽飼わせてあげて、伝書鳩に使わせてもらっている。

徳川斉温改め黒田斉温

「松平斉恕」
蝦夷樺太:十万石格
琉球王国:十二万石
対馬国 :六千二百六十九石
多禰国 :三万九千百十三石
合計  :二十六万五千三百八十二石
従三位
権中納言
右近衛権中将

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