転生 徳川慶勝 日露開戦 日米開戦

克全

第26話一八二五年、軋轢と暗闘。

「恐れながら申し上げます。
尾張藩士の方々は、幕府将軍におもねる高禄の方々と、初代様以降の御血筋に忠誠を誓う微禄の方々に分かれ、激しい暗闘を繰り返されておられます」

実に困った事だった。
俺が放った密偵が、尾張徳川家の厳しい内情を調べてきてくれた。
前世でウェブ小説を書くときに調べた、この時代の情報通、越中富山の薬売りを味方に引き入れて密偵に仕立て上げ、日本中の情報を集めてもらっている。

彼らが持ち帰ってくれた情報は、俺の前世の記憶と一致していた。
俺の記憶では、初代尾張徳川家当主、徳川義直の血筋が付家老竹腰家に残っていたはずだ。

調べたところ、美濃今尾藩竹腰家第八代目当主の竹腰正定が、徳川義直の直系男子だった。
尾張徳川家の八代目当主徳川宗勝の五男が、美濃今尾藩竹腰家の第五代当主竹腰正武の養子になり、竹腰勝起を名乗ったのだ。
つまり竹腰正定は徳川宗勝の曾孫になる。
同じく下総国高岡藩の第八代藩主、井上正瀧も徳川宗勝の曾孫になる。

だから微禄藩士達が、血筋に拘って二人のどちらかを尾張藩の藩主にしようとしているかといえば、そうではなかった。
恐らくだが、分家ではなく家臣筋に下ったから、藩主と認めたくないのだろう。
それよりは、高須松平家の俺を藩主にしたいのだそうだ。

正直な話、俺から見れば噴飯ものだ。
俺の祖父は、水戸徳川家から高須松平家に養子に入っている。
御三家筆頭で、将軍家に何かあれば後継者をだすべき尾張徳川家に、尊王思想に染まった水戸徳川家の血筋を後継者にしようなんて、可笑し過ぎるのだ。

早い話が、紀伊徳川家に対する怨念だろう。
尾張藩の微禄家臣達は、徳川吉宗が二人の兄と父を殺して紀伊徳川家を奪い、二人の将軍と尾張徳川家の徳川綱誠と徳川五郎太を殺して、将軍位を盗んだと思い込み、根深く恨んでいるのだろう。

だから、紀伊徳川家の血筋、いや、徳川吉宗の血筋に尾張徳川家を継がすのが我慢ならないのだろう。
それくらいなら、水戸徳川家の血筋である、高須松平家から当主を迎えたいと思っているのだと思う。
まあ、俺が東照神君の巫覡だという評判も大きく影響しているのかもしれない。

だが、そもそも水戸徳川家は、紀伊徳川家の同母弟の血筋なのだ。
徳川家康の血筋であることを一番大事にするのなら、御三家のどこの家系であろうと忠誠を尽すべきだ。
徳川義直の血筋が大切だと考えるのなら、一度臣籍に下ろうとも、命懸けで竹腰正定か井上正瀧を藩主に迎えるべきなのだ。

「八代将軍徳川吉宗に関係する死亡」
紀伊徳川家の三代藩主徳川綱教は徳川綱吉の後継者と考えられていたが死亡
紀伊徳川家の二代藩主徳川光貞は長男の死から三ケ月で死亡。
紀伊徳川家の四代藩主徳川頼職は兄の後を継いで僅か四ケ月で死亡。
六代将軍の徳川家宣が在位して三年で病死
七代将軍の徳川家継がわずか八歳で死亡。
尾張徳川家の三代藩主徳川綱誠が食中りで死亡。
尾張徳川家の四代藩主徳川吉通が二十五歳の若さで不可解な悶絶死。
尾張徳川家の五代藩主徳川五郎太が後継後わずか二ケ月で死亡。

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