本当に大切なものとは何か?

生生くりーむ

本当に大切なものとは何か?

最近、フランツ・カフカの『城』を読み返してふと気づいたことがある。

ざっくりとあらすじを話すと自称測量士の主人公が城の真ん中に辿り着くために出会う人たちに城の入り口を聞いて回るのだがそれぞれみんな違うことを言い、結局城の周りをぐるぐると回り続けて一向に目的地に辿り着けないという悪夢にも似たものだが、私達は気がつくとこの主人公のように目的地を漠然と設定したまま何時までも辿り着けないというジレンマに陥りかねない。
特に若いときは色々なものへの憧れから色々なものが輝いて見える。それ故、社会に振り回されてしまうことによって、いつしか自分の頭で考えることをやめた結果、情報弱者に成り下がれば、ビジネスを仕掛ける側にしてみれば格好の餌となる。ただ、ここが問題なのは、そのビジネスにはまってしまうのも、情報弱者に成り下がってるのも、また情報商材やセミナーなどに高額のお金を払うのもすべてその人の選択であり、その人の中にコンプレックスが強ければ強いほどその穴埋めとして自分を特別な存在として演出してくれるものに容易に心を傾けやすい。

私は情報商材やセミナーなどを否定している訳ではないし、世の中弱った心を何かしらで奮い立たすために自己啓発やスピリチュアル等によく見られるキラキラした言葉に救われたりもすることもあるのでそれはその人の自由だと思う。
ただ勘違いしてはいけないのは、そこで自分にとって大切なものを見失わないために、今の自分の立ち位置をはっきりとさせていくことであって漠然とした『城』のイメージに惑わされないことだ。
カフカの小説だけでなく昔から“灯台下暗し” とはよく言ったもので、私達はそれだけいつの時代も自分の足下さえ簡単に見失う生き物なのだと思う。
ありふれた月並みな表現かもしれないが、本当に大切なものは遠くにある漠然としたものではなく、自分のすぐ近くにある。それが具体的であればあるほど具体的に今自分がどうする必要があるのかが見えてくる。
本当のビジネスの始まりもそのような地道な過程から見えてくる。

コロナ下で大変な方も多くいらっしゃるだろうが、こんな時期こそ
“ローマは一日にしてならず。”
焦らず、一歩ずつ歩んでいきたい。

「エッセイ」の人気作品

コメント

コメントを書く