勇者の帰り道

こんぱす

3. アリンの実 ーディダクトの村ー Tempting fruit ~at Didact village~

 神域ダスタニアを出て二日ほど。私たちはダスタニア半島を縦に貫くシャルフェル山脈の麓にある小さな村に宿を取った。
 往路でも訪れたこの村では、遠い昔、アリンの実という果実が取れることで有名だった。しかし、魔物たちが果樹園を占拠してしまったことでアリンが採れなくなり、村民たちは困り果てていた。アリンの実はすり潰して服用すると色々な病に効く薬になるという果実。それが長い間採集できなくなったことで、病に倒れる者が激増していたのだ。また、病に罹らなかった者もアリン貿易を行えなくなったことで困窮していた。さらには村を去る者も増えるという悪循環に陥ってしまっていた。そこで、私たちは果樹園に巣くっていた魔物の群れを討伐したのだ。
 そういう過去の経緯もあって、私たちは村長から大歓待を受けた。
「勇者様にはもう、感謝してもしきれません」
 若い女村長は大袈裟に高い声で言った。ソファの上の勇者様は後頭を掻いている。普通に照れているようだった。
 以前来た時よりも家が立派になっているのは、アリンの貿易が再開したからだろうか。いずれにしても皆が幸福になったなら、それでいい。
「あれ以来、アリン畑には異常はないですか」
 そう尋ねると、「ええ、ええ。もう、絶好調すぎるくらいですよ」と村長は笑った。
「そ、そうですか。ならよかったです」 半ば気圧されつつ愛想笑いを浮かべて返す。
「宿の主人には料金を取らないように言ってあります。どうぞゆっくり滞在していってください」
 勇者様に再会できたことが嬉しいのか、自分の代で成し遂げることのできた偉業の立役者にへりくだっているのか何なのかわからないが、彼女は恍惚の表情を浮かべていた。こちらが、一歩引いてしまいたくなるくらい。
「ありがとう、村長さん。ルラ、行こう」
「はい、勇者様」
 村長の屋敷を出て、村の中央広場に立つ。村長の家だけでなく、他の家々も少し大きくなったように思える。アリンの富は本当に馬鹿にならないということなのだろうか。しかし……。
「……」
「勇者様、一つ気になることがあるのですが」
「うん」
「何というか、活気がないように思えるのですが」
 以前来たときは、平屋の家が密集していて貧しい空気こそあったが、市も開いていたし、アリンが占拠されていると愚痴をこぼす住民たちの声が、耳を塞いでいても入ってきそうなくらいに響いていた。
 その時を思うと今は、人々の往来も無ければ市も開いていない。一体、どういうことなのだろう。単純に市を開く頃合いではないということなのか。
「うーん……」
 勇者様は腕を組んで考え込んでいる。
「アリンは解放されたのに」
「ルラ」
「はい」
「ちょっと、情報集めしようか。勇者の特権で」

""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""
 無遠慮に家の中に入っても怒られないのが勇者様の特権だ。大体は箪笥の中を物色したりしても特に何も言われない、はずだったのだが。
「いくら勇者様と言えど、勝手に入られたら困るね」
 勇者様は住民に首根っこを掴まれて追い出されてしまった。
「あれ、おかしいな」
「……まあ、今までが逆におかしかったような気もしますけどね」
 貴族上がりのハインリヒなどは許可なく人家に入れるか、と言っていつも外で待機していた。私も同感で、今も外で待っていたのだが、まさか追い出されるとは。しかし、よく考えればこれが普通の応対だ。
「大魔王を倒すための非常事態だから許されたのですよきっと。大魔王が世界を滅ぼしてしまうかもしれないというのに物惜しみをしていても仕方ないですし」
「そっか……。じゃあどうしよう」
「普通にノックすればいいじゃないですか」
「ああ、確かに」
 頷いた勇者様は追い出された向かいの部屋の扉を叩いた。その向こうから、髪の毛に白いスカーフを巻いたエプロン姿の若い女性が出てくる。その次の瞬間、彼女はぎょっとした表情を見せた。
「え、も、もしかして勇者様、ですか?」
「うん。少し話聞きたくて」
「は、はあ」
「村中、随分と閑散としているようだけれど、どうかしたの?」
「ああ、そのことでございますか」
 女性は扉を閉め、掌に顎を置いた。
「アリンの実が、どのようなものか、お二人はご存知ですか?」
「え? なんか、あれだよね、果物だよね?」
 勇者様は私を見上げた。思わずため息を吐く。
「確か、すり潰して使う薬でしたよね? この地域の疫病にも効くとか」
「ええ。おっしゃる通りです」
「よく覚えてたね」
「逆によく忘れてましたね。そんな昔の話じゃないのに」
「そこらへんは、バスティアとかが覚えててくれたからだし」
 勇者様は機嫌を損ねたらしく、頬を膨らませてそっぽを向いてしまった。私が悪いとでもいいたげな仕草だ。
「もう七十年以上も魔物に占拠されて、絶望していたところを、勇者様に救っていただいたのです。私たちは、本当に歓喜しました。ですが、魔物たちに占拠されている間に、アリンにはが出来てしまったようで」
「副作用?」
「はい。一種の中毒症状が出て来てしまうそうなのです。多量に服用してしまうと、幻覚が見えたりするようにもなるらしくて」
 ちょうど麻薬のようなものだろうか。医薬としても使えるが、使い方を誤ると大変なことになるものというのは。
「それで、中毒者たちが増えて、市をやっている暇もなくなってしまったのです。食材などは出戻りの商人たちが売ってくれるので、困っているわけではないのですが、活気は、賢者様のおっしゃられる通り、今はないかもしれませんね」
「じゃあ、もしもぼくが魔物を倒さなかったら、こうはならなかった…?」
「い、いえ! そんなことはないです。勇者様のおかげで、疫病に苦しむ者はいなくなりましたし、村の経済も回るようになりました。村民は皆、勇者様に感謝しているのですよ」
「なら、いいんだけど……」
「ごめんなさい。時間を取らせて。ありがとう」
 女性にお礼を言って、私たちは通りまで戻る。
 勇者様はどこか物憂げだ。当然ではあるけれど、けれど、勇者様のせいではない。
「勇者様」
「わかってる。ぼくは、別に後悔はしてない」
「本当ですか?」
「本当だよ。でも、そうだね……」
 最適解の選択。勇者様は、自分の主観で最も良いとされる解答を導き出して選択する。けれど、それにはどうしてももれてしまう観点や人々がいる。ダスタニアで化外の民が最適解から漏れ出てしまったように。
 最適解から逸脱した者が不幸になるとは限らない。けれど、そうなってしまうことも、あるのだ。
「勇者様…」
 なんとも声をかけられずにいると、勇者様は数度頷いてから微笑みを浮かべて言った。
「ちょっとさ、アリン畑に行ってみようか」

「ファンタジー」の人気作品

コメント

コメントを書く