私が「彼女」であった頃

椋畏泪

24歳の時、3回目の夏祭りが、マサちゃんとの最後のデートだった。あの時はお互いに忙しく、二人の時間をなかなか持つことができなかったので、なんとなくもう終わりかななんて思いながらも、長く一緒にいたことでの恋愛感情とはまた別の情が湧いてきてしまっており、自分からは別れを切り出せずにいた。彼もそのことには気がついていたようで、なんとなくお互いに本心を隠したまま騙し騙し祭りの露店を回っていた。花火大会が始まったところで、彼は今までのこと、思い出、そして現在の心境を話し始めた。今思い返すと、彼には損な役割をさせてしまったと感じるが、当時の私は彼の言葉に共感しながら相槌を打っていた。「別れよう」と言う彼の言葉にも、ショックを感じることは無かったが、不思議と涙が溢れてきた。それを見た彼は、何も言わずに私を優しく抱きしめてくれた。彼の表情は私から見ることはできなかったが、多分彼も泣いていたんだと思う。一つの人生が終わったように感じて、彼との思い出が走馬灯のように流れてきたが、彼の腕の中で私は、やはり別れることこそが最善の選択なのだと感じていた。
そのあとのことは、正直よく覚えていない。彼が最後に駅まで送ってくれと時に、震える声で小さく「さようなら」と言ったのが、本当にもう会うことはないだろうと、確信めいた感情で聞いて、私も「元気でね」と言って、電車に乗り込んだ。
お互いに、喧嘩をしての別れとか、浮気だとかではなかったので、別れ方の中では良かったのだろうが、少しの未練が私の中には残っていた。
数日経って、彼との未来についてイメージしてみたが、やはり二人で家庭を持って、子供を育てて、おじいちゃんとおばあちゃんになっても二人で生活をしているところと言うのは、どうしても想像ができず、思い出の中だけの彼氏と彼女でしかなかったのだと思う自分自身を、冷徹な人間だと、心の奥のところでは考えていた。
自分自身の感情を整理して、日常のタスクをこなせるようになるまでに、少し時間は必要だったが、彼との時間が無駄ではなかったことに気がつくのは、しばらく立ってから、旦那と結婚をして、出産を経験してからだった。

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