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お母さんは魔王さまっ~朝薙紗凪が恋人になりたそうにこちらを見ている~

詩一

第53話 炎、哭く

「私、幸せを感じてしまっている」
自分の部屋に紗凪さなぎを招き入れると、彼女はそんな事を呟いた。幸せになって良いんだと言いたいところだが、彼女はそれを拒み続けている。
「感じるくらいはいいんじゃないか? 流石に感情を操作するのは無理だろ」
「そう、なのかな」
その疑問に、更にメロンが疑問を投げる。
「なぜ幸せを感じてはいけないとお考えになるのですか?」
「それは……」
「もしも自分が幸せを感じるに値しない人間であるとお考えならば、ご安心ください。魔王の討伐が成功すれば、そのような不安を感じる事は無くなります」
「そんな事は無いわ。私は、私を許せないから」
「その負の考えすらなくなります」
「え?」
「嫌な事や、消してしまいたい過去は忘れ去られますので」
紗凪は困惑している。俺よりもメロンと話すことが少ないから、言っている意味がいまいち解らないのだろう。
――ポツポツッ。
窓ガラスに雨粒が当たる音がした。
遠く、雷鳴のようなものも聞こえる。本格的に降り出したらしい。
しかしながら、メロンが言う本当の世界とは、果たして本当に理想郷なのだろうか。
確かにこの世はバグっている。
紗凪や律己りつき先輩や陽織ひおりさんの様に、優しくて思いやりがあって頑張っている人が報われない一方で、ただ親が金持ちだからと言う理由で贅沢の限りを尽くして、人の役にも立たないのに無駄に出世して、長く世にはばかっている人間もいる。不公平だ。
ちょっとしたことでいさかいが起きて、その積み重ねで戦争にまで発展して、全く関係の無い子供たちが機関銃をぶっ放し、幼き生命が殺されていく。不条理だ。
こんな世界が正しいのかと問われて、正しい、間違いないと言える人は居るのだろうか。俺は言えない。間違っていると思う。正せるものなら正したいと思う。
しかしその為には母さんを殺さなければいけない。
その上、メロンが言う本当の世界というものの全貌が、いくらメロンから詳細を聞いても浮かび上がらないのだ。いや、浮かび上がってくるものが全て夢想的で、俺が望む平等で平和な世の中ではないような気がしてならないと言うべきか。
メロンの言葉を借りるなら、バグった世界の住人である俺だから、考えが至らないという事なのだろうが。
三人で会話していると、不意にインターホンが鳴った。
「はーい」
他の部屋に居た母親が玄関の方へ行く足音が聞こえた。
しばらくすると何やら揉めているらしい声が聞こえてきた。
なんだろう。こんな遅くに宗教勧誘だろうか。雨も降っていると言うのに。
三人は会話をやめ、耳をそばだてた。
「娘を返せ!」
叫ぶような怒号を聞いていち早く動いたのは紗凪だ。俺も後を追う。
部屋を駆け抜け、玄関があるダイニングへ行くと、背の低い中年男性が玄関の扉の前に立っていた。
先の言葉で予想は付いていたが、紗凪の父親だ。
それを確認したのと同時に自分がメロンを持ってきてしまった事に気付く。慌てていた所為だ。小声で喋るなよ。と制する。
紗凪の父はまともな様相には思えなかった。目を見開き、鼻息も荒い。肩で息をしている。自身においての最たる平常である呼吸が乱れているという事は、心が静かではないと言う事だ。
「お父様が、紗凪ちゃんに愛情を持って接して、しっかりと育てると約束するのならお返し致します。ですが今のお父様には到底返せません。今のままの貴方に返してしまったら、紗凪ちゃんは消耗しきってしまう。他の家の問題です。他人の事と言って見捨てる事も出来るかも知れません。けれど、こんなに健気で可愛くて頑張っている彼女が、報われないなんて事を、私は見過ごすことが出来ません! ですので、お帰りください」
毅然きぜんと立ち向かう母さん。
その精神的姿勢を崩す企みか、彼はふところからナイフを取り出した。
息を呑む音が聞こえた。
「俺は、ただ娘と一緒に暮らしたいだけなんだ! 俺から娘を取り上げないでくれよぉ!」
確かに俺は紗凪を無理矢理連れてきたが、それにしても大した被害者っぷりだ。自分が紗凪にしでかした事は、何もかも棚上げにしてここまで言えるのは、何より自分が大切で仕方の無い人間だという事なのだろう。
なんなのだろう。
この男は。
俺はともすれば切れそうになる血管が額に数本ある事を自覚しながら、一歩前に出た。
娘だけでは飽き足らず、俺の母親まで傷付けようってのなら、容赦はしない。
首の付け根辺りが燃えているのか、耳や顔が熱く、景色も陽炎かげろうに揺らいでいる。
耳元で激しい脈動を感じる。
その癖、呼吸は深く穏やかに鼓膜を撫ぜている。
意識が徐々に後退し、自分の頭一個分後ろに位置する。
一定して鳴り続けているはずの換気扇の音が断続的に聞こえる。音の一つ一つを明確に捉えているようだ。
先程まで自分を覆っていた熱は消え失せ、代わりに冷気が立ち込めた。
指先が異様に冷たい。
同時に今までそれほど汗ばんでいた事を自覚する。
相手がナイフを持っていようが関係ない。俺には紗凪の様に身を守る武術は無い。だが周りに居る人間を守る覚悟はある。
怒りを超えた世界で、俺は冷静に手順を考えていた。まずは顔面に掌底しょうてい、刺されても目に指をねじ込んで眼球をえぐり出しつぶす、失明させたらナイフを奪って、それから――。
燈瓏ひいろう君」
声と共に、柔らかな手が俺の腹にそっと添えられる。
冷え切っていた体に熱が戻る。
後ろで控えていた意識が前進する。
荒くなっていた呼吸を、自覚する。
俺は今何をしようとしていた。
怒りのままに、取り返しのつかない事をしようとしてはいなかったか。
紗凪は俺よりも一歩前に出る。
「紗凪……」
「これは親子の問題だから」
「だけど」
「大丈夫。私には古武術が有る。それに、お父さんはそんなに悪い人じゃあないよ。そう、信じているから」
信じている。
その言葉の意味と解釈は、俺と彼女では大きく異なる。だが今は彼女に任せるしかないのか? 俺が出張ったところで、多分紗凪の親父さんを殺して終わりだ。俺も大怪我をする。それは誰の望むところでもない。
考えている俺を置いて、紗凪は更に一歩前に出て父に語りかけた。
「お父さん」
「紗凪……」
「まずはナイフをしまって欲しい。お父さんには誰かを傷付けて欲しくない」
「じゃあ、帰って来い……!」
そう言って、ナイフをしまう様子はない。構わず紗凪は続けた。
「その前に私の我儘わがままを聞いて欲しい。私は今までずっとお父さんの為に家事やバイトを頑張ってきた」
父親は紗凪の言葉に耳を傾けて、小刻みに頷いている。
「それはお母さんの事があったから。お母さんが居ない分、お父さんの為に頑張らないといけないって思ったから。でも、比々色ひひいろ家に来て、藍香あおかさんと燈瓏君がお互い助け合って家事をしているのを見て、こうなりたいと思った。藍香さんは燈瓏君のお母さんだけど、私のお母さんじゃあないけれど、まるで本当の娘みたいに触れ合ってくれて、嬉しかった。幸せになってはいけないはずの私が、いつの間にか幸せを感じてしまえるほどに、ここは暖かくて明るい場所だった。
お父さんは病気で辛いかも知れないけれど、ほんの少しでいいから家事をして欲しい。お父さんが作った料理を食べてみたい。バイトの時間を減らして、友達と遊ぶ時間を作りたい。大学に行くお金なんてないけれど、勉強したい。ほんの少しだけでいいから。お父さんにも働いて欲しい。正社員じゃなくていい。アルバイトでいい。それも無理だと言うなら、それでもいい。ほんの少しだけ節約してくれれば。それだけで物凄く助かるから。……お願い」
言い終わり、祈る様に俯く。
切実な「当たり前をください」と言う我儘。
本来この日本で生きる人のほとんどが、口に出さなくても享受きょうじゅできるはずの日常。
紗凪だって言いたかったわけじゃあない。
彼女はこんな父親でも、共に生きたいと願ったから、それを叶える為に言ったのだ。
母さんが言うように、このままでは彼女が擦り切れてしまうから。そうなってしまっては父子ふし共に死ぬしかなくなってしまうから。
母さんに視線をやると、泣いていた。
それはそうだ。
自分が親なら涙で前が見えないだろう。娘の心からの叫びを聞いて、己の情けなさに打ち震えるだろう。
遠く雷鳴が、ゴロゴロと低く唸っている。
流石に、紗凪の父親と言えど、心が締め付けられる思いに違いない。
しかし彼の顔に浮かんでいたのは悲哀ではなかった。
それは怒りのようなもの。
「――魔女め……」
え。
魔女?
「紗凪は。……俺の娘は! こんな事を言う子じゃあなかった! 素直で優しいうちの娘を、お前は洗脳しやがったんだ! 糞! 糞っ糞っ糞!」
男は狂乱するように地団太じだんだを踏む。
「藍香さんは魔女なんかじゃない! 私に、私の人生を見つめる為の余白をくれた、救世主!」
「うるさああああああい!」
遂には発狂した男は、紗凪目掛けて突進した。
「紗凪! 避けろ!」
しかし彼女は避けず、父親を真っ向から受け止めた。
シャツを裂く。乾いた音と。
肉を貫く。湿った鈍い音が。
同時に響いた。
紗凪の、れた声が、絞り出される。
「し、んじて、た……よ?」
ずるっ。
と滑り落ちた。
何が。
紗凪が。
紗凪が滑り落ちた。
何で。
刺されたからだ。
父親に。
「きゃあああ!」
母さんの声がダイニングに響き渡る。
叫びながらも母さんは、すぐさま紗凪に駆け寄っていた。
俺はと言えば。
自分がどこに立っているかも解らず、意識がグワングワンと遠ざかって行くのを自覚していた。
――遠い。
紗凪に駆け寄った母さんが自分の衣服を破って止血にてる。
紗凪の腹の周りには黒い血がべっとりと着いている。
――自分が遠い。
彼女は武術を使わなかった。
どうして。
そりゃ、お前。
信じていたから。
目を覚ましてくれると。
刺す手前、その直前、立ち止まってくれると。
だって、父親なんだから!
子は親を信じるんだよ。
愚かしいまでに。
だが、俺はなぜ動けなかった?
あの男を信用してなかったと言うのに。
俺はこの場所で一体何を信用していたと言うんだ……!?
今俺は一体何に後悔しているんだ。
気付くと紗凪の親は、俺の親を睨みつけていた。
肩で大きく息をしていて、それがだんだん加速していく。
「全部全部全部全部全部全部ぅううう! 全部お前の所為だ! 魔女め! お前の所為でこうなったんだ! 紗凪を返せぇえ! うああああああああああああ!」
狂気に満ちた白刃はくじんを振りかざす。
また、先と同じ音が、響く。
同時にいつの間にか近づいていた雷鳴が、絶叫する。
凶刃きょうじんが母さんを襲った。
また。
刺されたのか?
いや、母さんは強い。
何かしらの武道のそれできっとかわしている。
だが俺の思惑は外れ、母さんはその場でくずおれた。
――遠い。
紗凪の一大事だったから。
止血をしなければいけなかったから。
――分離した思考と体。意識がここから逃げたがっている。これは現実なんかじゃあないと拒否している。ダメだ。戻って来い。俺。遠い、じゃない。ふざけるな。ここで戻って来られなかったら、何の為の命だ。俺は何の為に生きてきた。大切な人を守る為に生きて来たんじゃあないのか。そうだろう。比々色燈瓏。来い。来い。来い! 後悔や現実逃避なんてお前が殺された後からすりゃあいいだろう!
……俺は、位置を把握した。
凍っているのではないかと思われる四肢の先端に熱を送る。動けと言う熱を。
自分の呼吸を感じて、自分が今まで息をしていた事を知る。
俺は一歩も動けずに居たのだ。それなのに自分の位置を見失っていた。
だがこれは幸いだ。
近くのテーブルにはスマフォがある。
そいつで救急車を呼ぼう。
一刻も早く手当を施さなければ。
俺がテーブルからスマフォを手に取った瞬間だった。
「勇者様! 今です! 魔王はもう虫の息です! 早くトドメを!」
――あ?
メロンの声に、親父がハッと我に返ったように俺を見た。
奴は声を荒げた。
「お前、な、な、なんだその携帯は! けけけけ、警察か? 警察に電話する気だろ!?」
「違う。救急車を呼ぶんだ。二人ともこのままじゃ死んじまう!」
「ふざけるな! 警察を呼んだら俺が捕まっちまうだろう! お前! 紗凪を犯罪者の娘にしてえのか! ああ!? そうまでして娘を悲しませてぇのかよお!」
俺はスマフォを置いた。
オーケー。
アンタが支離滅裂なのは前世からだろう。もう理解したくもないし、されたくもない。
そしてメロン。今を以ってして俺はお前の本性を知ったよ。
お前はやっぱり天使だったんだな。残忍で下劣な悪党と変わらない超ド級の天使。自身の娘と俺の母親に手を掛けた悪党の手助けをする、何よりも世界の平和を望む馬鹿天使。
魔王を討伐しろと言うだけで、一切誰も救わない。バグっているから救えないと言ってはばかる。全部お前らの勝手だよな。本当の世界なんて言って、実はお前らにとって都合がいい世界なんじゃあないのか、それは。
だってそこには……、その世界には……、俺の母さんが居ないじゃあないか!
目の前で消えそうな母さんを見てようやく理解した。俺は本当の世界が存在するのかどうか、どんな世界なのかどうかなんて、どうでも良かったんだ。
世界が平和? 平等? 虐めも戦争もない?
しらない! いらない! そんな世界!
俺はその世界に母さんが居ないって言う事実が受け止められ無い。だって母さんは、比々色藍香は救世主だって、今紗凪が言っていたじゃないか。その救世主不在の世界が、今よりも良いとされるなんて、許せるわけがない。俺や紗凪にすら忘れ去れて、それが幸せだと感じてしまう世界に、嫌悪感を抱かずに生きていけるわけがない。
この俺の嫌悪感や憤りを丸ごと全部消し去るのが、来るべき正しき本当の世界で皆が幸せを享受するのだと言うのなら、俺はこの怒りで正しい未来を滅ぼし、バグった今を生きる。
魔王を倒す勇者じゃなくていい。
俺は、母さんを守る人間で在りたい。
男は、ナイフを持って突進してくる。
「うぉおお!」
明確な殺意を帯びた雄叫びが上がる。
「今魔王を倒せば、紗凪さんの命も助かります! 早く!」
まだ言うか。
「黙れ、糞メロン!」
向かって来た血塗ちまみれのナイフに向って、俺はメロンを思いきり押し付けた。
「ぐぎゃああああああああああああああああああああ!」
メロンの断末魔と共に果汁がほとばしる。
それが男の顔に掛かる。
「うあっ!」
怯んだ隙に、メロンを回転させる。
ぐるん。
ナイフはメロンに突き刺さったまま、男の手からすり抜けた。
俺はメロンをバスケでパスを貰った時みたいに自分のふところに引き寄せる。
男は体勢を崩して前のめりに。
俺はボールを持ったままその場で回転。
飛び出したあご目掛けて、肘鉄ひじてつを見舞った。
――ゴチンッ。
顎が横に揺れ、男は白目をいてその場に倒れた。
メロンを置き、スマフォを手に取る。
救急車を呼ぶ。
そうだ。
止血を。
応急処置をしなくては。
浴室からありったけのタオルを持ってきて、二人の傷口にあてがう。
ハンズフリーの向こう側に向って、大声で怒鳴る様に住所と負傷者の状態を詳細に伝える。
息はある。
大丈夫だ。
助かる。助かる。助かれ。
生きろ。生きてくれ。頼む。
「ひい、ろう、くん」
息も絶え絶えに、紗凪が言葉を紡ぐ。
「傷が開く。喋るな」
「お、と、さんは……?」
「ごめん、殴った。でも気を失っているだけだ。殺してない」
「そ、か。……よか、った」
安堵の息をゆっくりと吐き出す。
紗凪。
こんな悪党の事を、まだおもんぱかれると言うのか。
自分を刺した男を。
紗凪はなおも口を開こうとするので、言おうとしている言葉を勝手に予測する。
「母さんも大丈夫。刺されたが息はある。安心しろ。こんな事で死ぬような人じゃあない。救急車も呼んだ。二人とも絶対死なせない。俺も無傷だ。紗凪、絶対死ぬなよ。生きるんだぞ。生きて、生きて……お前のお父さんを殺人犯にしないでやってくれ」
紗凪は、微笑を浮かべる。
安心しきったように、彼女は瞳を閉じた。
サイレンの音が、遠く、このアパートの一室をやかましく満たした。

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