お母さんは魔王さまっ~朝薙紗凪が恋人になりたそうにこちらを見ている~

詩一

第34話 スピードと武術

不意にふすまが開いた。
「お茶菓子食べる?」
「食べる」
「あ、頂きます」
「とは言っても、さっき比々色ひひいろさんから頂いた東京ばな奈なんですけどね」
「お二人で食べて貰うつもりだったのに、いいんですか?」
「いいんですよ。私と理三郎りざぶろうさんとじゃあ、悪くなる前に食べきれないですもの」
俺はふと、先程のお返しをしたくなり、紗凪さなぎに勝負を持ちかけた。
「紗凪、お菓子を賭けて勝負しようぜ」
「なんの? 徒手空拳なら負けないけど」
「アホか! 空手部主将をぶっ倒すお前に勝てるわけないだろう。トランプだよ。トランプ」
「えー。燈瓏ひいろう君強いから……あ、スピードなら勝てるかも」
「何でも来い」
二人でトランプカードを赤と黒に分ける。
「ジョーカーは?」
「入れない方がいいが、それでいいか?」
「うん」
二等分したカードをシャッフルし合う。
スピード。
名の通り、手早く場札を台札に切って行くゲーム。
場札に互いに4枚カードを置いた。
「ほほう。スピードですか」
理三郎さんが顔を覗かせた。
「お菓子を賭けて勝負するんだそうですよ」
「そうですか。朝薙あさなぎさん。鍛錬の成果を見せてください」
紗凪はコクッと頷いた。
トランプにも応用できるのか、古武術って。集中力とかは確かに必要だけど。
手札を両者互いに台札に置いてスタート。
シュタタタタと迅速にカードを捌いて行く紗凪。
スピードなら勝てるかもと言っていただけある。
手早さでは圧倒的に紗凪に軍配が上がる。
だがスピードはそれだけの作業ではない。
お互いの手が止まる。
場札から、台札へ切れるカードが無いのだ。
「スピード」
二人で声を合わせて裏向きにされた手札から台札にカードを表向きに出す。
そのカードの数字を認識すると同時にまた場札からカードを切り、持続可能な限り手札から場札、場札から台札へのカードの移動をする。
多分次手が止まった時が勝負。このまま手が止まらなかったら紗凪が勝つだろう。
そして止まる。
スピードは、よほど運が良くない限り、1回のゲームで都合2回ほどは手が止まる。
雑然と置かれた台札のカードの見える限りと、その下の見えないカードに思いをせる。全ての事を記憶しているわけではないが、同じか一個上か下の数字を出していくと言う法則で以ってカードが切られている以上、その法則の中から場に出ている数字を逆算し掌握することは可能。また当然そこから紗凪と俺の手札に残っているカードの数字を予測することはできる。
俺の場札には4から上に数字が連続している。3、ないし4以上の数字が出る確率は俺の手札からよりも紗凪の手札からの方が確率は高い。だから狙うなら紗凪の台札にオープンされる手札。
そしてなんとなく、今、紗凪の手札から5の匂いがしている。
計算と予測の上に密かに漂う、直感と言う名の静電気。
「スピード」
紗凪の台札が開かれる。
――バチッ!
出た数字は5。
4、5、6、7と連続で紗凪の台札に重ねる。4枚の手札を新たに場札へ送り、直後更にカードを切って勝利を収めた。
「すごいすごい! 紗凪ちゃんも良く頑張りました」
菜花さんが小さく拍手を送ってくれた。紗凪はがっくりと項垂れている。
「はっはっは!」
と笑ったのは俺ではない。理三郎さんだ。
「なるほどなるほど。比々色さんは朝薙さんとは違うものを見ているんですね」
今の一瞬のゲームの中で、勝敗の行方ではなく、俺の戦い方に目を付けていたとは、流石と言う他ない。
「違う……もの?」
紗凪が首を傾げる。
「今の朝薙さんでは万回やっても一回も勝てません。勿論、運が良ければそれも有り得ますが、実力では無理です」
言い切られて、紗凪は消沈したようにカードの上に突っ伏した。
「さて。弟子がやられてこのままではいけませんからね。朝薙さんの東京ばな奈を取り返す為に、私がお相手しましょう」
弟子に止めを刺したのは師匠の一言だったが、今はそんなことはどうでも良かった。目の前の強者と戦えると言う喜び。それが勝った。
「是非」
紗凪は横にどいてそこに理三郎さんが座る。
所作がとても綺麗で、同じように座っている様には思えない。
俺は胡坐あぐらを掻いていたが、座り直し、正座する。と言うよりほぼ膝立ち。この方がゲームを俯瞰ふかん的に見る事が出来る。加えて、相手の手の動きも見やすい。
俺は手を付いて頭を下げた。
「よろしくお願いします」
「よろしくお願いします」
理三郎さんも同じく頭を下げていた。
お互いにカードをシャッフルして渡す。
手札を台札に持っていき、オープン。
その瞬間、凍りつく。
お互いに、一枚も出さず。
まるで時が止まったように。
ただ静寂が二人の前を通過していく。
俺は呼吸の仕方を忘れていた。
と言うより、呼吸の一瞬を狙われるような気がしていたから、無限に息を止めていなければいけなかった。
俺は今自分の場札と台札、また理三郎さんの場札と台札に目を落としている。一方理三郎さんから感じる視線はそこではない。
俺は今、指先を見られている。
視線からの熱で凍っていた指先がじわじわと溶け出す。
相手陣営に置かれた場札を見れば解る。4つ全てが俺の陣営の場札と似た数字である。つまり、俺が台札の4に対して5を置こうとした時、理三郎さんが3を置けば俺の5は封殺されるし、一手遅れる事になる。
この人はそれを狙っている。端からそういうスピード勝負に持ち込もうって腹だ。
勿論場札が動けば状況も変わるが、場が荒れ続ける確証は無い。だが、迷っていても埒が明かないのは確か。
理三郎さんの視線に溶かされた指先の水滴が、今にもカードに落ちそうなのである。これ以上は耐えられない。このままでは恐らく自分の制止を振り切って指が動き出す。ならばその前に、まだ自分の意思で動かせる内に。
――右手、
と見せかけて左手!
右手は外へ視線誘導。
動体視で視線は外に外れたはずだ。
狙うのは理三郎さんの台札。
一秒無い。
極度の集中状態。
俺の指はこんなにも遅く動いていたか?
スローモーション。
自身の筋肉の動きが解る。
脳が脊髄せきずいまで降りてきたような感覚。
しかしそのスローの世界で、
音さえも捉えるかと言う世界で、
良煙寺りょうえんじ理三郎の指先は光速を超えていた。
狙った4の上に3が置かれる。
――スパンッ!
音は遅れて聞こえてきた。
封殺。
痛恨の一手後れ。
やはりフェイントの類は通じないか。
それからも俺の挙動を読み取って先出しする方法をやられ続け、読み合いになる、つまり俺が得意とする終盤の詰になる以前に勝負は決してしまった。
「ありがとうございました」
「ありがとうございました」
俺は今までに味わった事の無い疲れを感じ、重い溜め息を吐いた。
紗凪は理三郎さんから東京ばな奈を受け取りご満悦である。
「師匠はやっぱり強かった」
「弟子の無念を晴らす為です」
敗北を喫した俺にもお菓子は配られる。一勝一敗だから。
「流石でした。お強い」
「大人げなくてすみません。比々色さんの得意な領域で戦っては負けると思ったので」
「なんで、自分の得意分野を知っていたんですか?」
「先程朝薙さんと勝負した時の貴方の淀みない動き。これはカードを見て瞬間的に手が動いていると言うより、何か別事べつごとを考えながら動いているように見えました。そして二回目のスピードと言う発声の、若干の間。あの時に確信しました。別事とは、思考ではなく記憶だと。その記憶から、手札に残っているカードの数字を計算しているのだと。そして朝薙さんが台札に手札をオープンしたと同時に貴方は場札からカードを連続して切って行った。確実とは言わないにしても、貴方の中には確信があったのでは? 5が朝薙さんの手札から排出されるという事が」
「そこまで見抜かれていたとは」
「何か見えていたのですか?」
「いえ、見えると言うほどでは。ただ何となく、匂いがしていました」
「ほほう。匂い、ですか」
「まあ、とは言っても、要は直感なんですけどね」
「直感とは言いますが、恐らく比々色さんはあらゆるカードに付いた癖みたいなものが無意識の内に頭の中にインプットされているのですよ。解りやすい所で言うなら裏面のがらの掠れ、端の曲がりや欠け、そんな癖が一見無い様にも思える先程のスペードの5ですが、恐らく手から出た油分で光の反射が他のカードとは異なっているのかも知れません」
「そこまでは流石に」
「先も言ったように無意識ですよ。だから、直感と言う言葉になるのですがね」
直感と言う言葉は、ただのラッキー程度にしか考えてなかった。
「直感と言うのは、予測と計算の積み重ねの上に建立される霞のようなものです」
建立と言うのに霞か。言い得て妙だ。
完全で在りながらに不完全。完成で在りながら未完成。それが直感という事なのだろう。
「しかしお腹が減りましたね。いや、真剣勝負と言うのはなかなかどうして疲れるものです」
そう言って師匠は東京ばな奈を頬張った。

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