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お母さんは魔王さまっ~朝薙紗凪が恋人になりたそうにこちらを見ている~

詩一

第14話 時速80キロの箱

紗凪さなぎはバイトに向い、俺は帰路に着いた。
電車に乗って15分。たった15分の間に、前事件が起こった。数か月前の事になるが、知らないおっさんに絡まれたのだ。
なんでも俺のイヤフォンからの音漏れがうるさかったらしく注意したらしいのだが、生憎その時音楽を聞いていた俺には聞こえるわけもなく、そいつは実力行使に出た。
イヤフォンのコードを掴んで無理矢理引っ張ったのである。
耳の外側に引っ掛けるタイプのイヤフォンだったため、その力はほとんど直接耳にかかり、負荷に耐えきれなくなった耳の皮膚が裂けた。と同時にイヤフォンが抜けて地面に叩きつけられた。
後々鏡で見たらそれほど深くは無かったが、その時の衝撃は耳がちょん切れたと錯覚するほどだった。
「何べん言わせんだ! うるせえっつってんだろが! 音が漏れてんだよ! 最近のガキゃあよ! 大人の言う事をろくすっぽ聞きゃしねえ! バカにしやがって!」
正義と言う名の暴言と暴力を振りかざして、おっさんは降りて行った。
完全に傷害罪になる一件だったが、俺は突然の事に驚いてしまっていたし、そいつがすぐに降りてしまったので、後を追いかけるどころか声を掛ける事も出来なかった。どうせ、声を掛けたところで好き放題言われるだけの様な気もするし、周りが助けてくれるとは思えないので、それで良かったのかも知れない。殴られたりして更に傷を増やすよりは。実際、俺がおっさんに暴行を加えられた後、声を掛けてくれる人など居はしなかった。
俺はなんだか車両に充満した苛立ちを一身に浴びた気がして、憤りを通り越して虚脱してしまった。
イヤフォンが結構高かった事もある。1万6千円って、高校生にしては結構な買い物だろ? それにバイトして稼いで初めて買ったイヤフォンと言う思い入れもあった。それが目の前で叩きつけられ部品が飛び散っているのを見たら、もう、どうでもいいや、と考えてしまうのも致し方ないじゃあないか。
あれ以来、登下校の最中に音楽を聴く事も無くなった。
車両ってのは、こんなに静かなんだなと気付かされた。
ガタンガタンと言う規則的な音と風切り音の他には、たまの咳払いくらいしか聞こえない。もはやその単調な音の集積は、静寂と呼んでも差し支えなかった。
「あー、うー」
とそこへ、静寂を打ち破って一人の青年が歩いてきた。
今までここに居なかったはずなので、隣の車両から歩いて来たのだろう。
うるさいなあ。
そんな事を言えばあらゆる場所から罵詈雑言ばりぞうごん飛んでくるだろうな。
彼はどうやら障碍者しょうがいしゃのようだから、特に人権保護団体が大声でまくし立ててくるんだろう。
彼だって好きでこうなったんじゃあない。君は障碍者の事を差別している。例えうるさくても我慢しなさい。それが健常者の役目だ。
こんなところか。
俺の音漏れが許されないで、この声が許されるんだから、差別しているのはどっちだよと思うが。とは言え、あの時俺に注意してきたのはおっさんだけだし、そもそも皆多少うるさくても我慢するだろう。
俺は目線だけで周囲をうかがった。
あーあ、この車両にこの間のおっさんが居れ……
――居た!
おっさんは携帯端末を弄っており、こちらには気付いていない様子だ。
俺はおっさんを睨みつけた。視線で物を焼く能力を持っていれば、おっさんはとっくに黒焦げになっているであろう圧でなおも睨み続ける。すると、おっさんは俺の視線に気づき、顔を上げた。
怪訝けげんそうに俺を見返す。そりゃそうだ。自分を睨みつけてくる高校生なんだから、不審人物を見る時のそれになるだろう。
しばらく俺を見ても思い出してなさそうだったので、俺は試しにジェスチャーをしてみた。指で耳を覆う様な素振りを見せると、さすがに気付いたらしい、目を見開いていた。
俺はおっさんに指を向け、そのまま青年の方に向け直した。
ほら、うるさい奴が居るだろ、注意しろよ。と念を飛ばす。
どうやらおっさんは俺の念にも気付いたらしい。
俺から視線を逸らすと、身を縮めて携帯端末に目を戻した。どれだけ睨んでもおっさんが顔を上げることない。
ほら、そういう事だろ。
どうせお前の正義なんてスライスチーズの包み紙みたいなものなんだ。自分に文句を言わない弱い奴を虐げて俺が正義だとうそぶいている。ほんとに無価値で無遠慮で有害な正義だよ。
おっさんは俺が健常者で高校生だったから怒りをぶつける事が出来た。健常者と言う点で誰もかばい立てしない事を知っているし、高校生と言う点で社会地位的に圧倒的におっさんの方が上だから。逆にもしも障碍者の彼に俺と同じような事をしようものなら、見ている奴が止めに入るし、事後なら見ず知らずの他人が警察に通報した事だろう。そしてSNSで拡散されおっさんは社会的に死ぬ。どうあっても社会的弱者に社会人は勝てない。勝つ事が許されない。
それを知っているから、おっさんは声を掛けようともしない。
確かに注意して直るのかは解らない。未知だ。だがそれは、頭の良い子だけに勉強を教えるのと変わらない。どうせこいつは解らないから勉強を教えませんと言う教師は居ないだろう。それを差別と言うなら、これも差別ではないか?
く言う俺が注意をしないのは、誰にも注意をしないという選択をしているからだ。例えそれが子供の声だろうが大人の声だろうが女だろうが男だろうが。うるさいなと思っても自分の正義を振りかざして注意するような真似はしない。それに、この間おっさんに注意されて怪我してイヤフォンも壊れて嫌な思いした過去がある以上、そんな思いを他人に味あわせてはいけないと思うのも確かだ。
本当はおっさんの近くに言ってその辺り問い詰めてやりたいが、あの調子じゃあ何を言っても伝わらないだろうから諦めるが、二度と振りかざさないで欲しいものだ。ねずみふんにも劣る醜悪な正義感というものは。
と、心中で勝利のBGMを流していると、不意に視線の端に見慣れたものが飛び込んできた。
薄灰うすはい色のブレザーに水色のスカートそして金の刺繍ししゅう。うちの高校の制服だ。
メガネと三つ編み二つ結びのおさげが知性と誠実さを放つ彼女は、同じクラスの霧裂陽織きりさきひおりさんだ。
彼女が目に付いたのは、ただ制服に見覚えがあったからではない。
震えていたのだ。
3歩ほど距離を置いてなお解るほどに、ガタガタと。
その震えを止めようとしてか、自分の肩を抱きしめている。
彼女は席に座っているが、まるで蹲っているような印象を受ける程、身を屈めていた。
具合が悪いのは明らかだ。
「霧裂さん大丈夫?」
俺が声を掛けると、やおら顔を上げる。
その表情にはただならぬ恐怖が張り付いていた。唇が青く、今にも倒れそうだ。
「具合悪いなら次の駅で降りようか」
彼女は頷くでも横に振るでもなく、ただ見つめ返してきた。
ともすればそのままくずおれてしまいそうな自身の体を支えるのに手いっぱいと言う事だろう。
「じゃあ降りよう」
俺は彼女の意思はどうあれ、降りるべきと判断した。
状況次第じゃ救急車を呼ぶ必要があるから。
電車が減速して降車駅を知らせるアナウンスが入る。完全に停車し扉が開いたが、彼女は立ち上がらない。いや、立ち上がれないのか。
「ほら」
俺は手を差し出した。
彼女は手を取ってくれたので、俺は逃げる様に車両の外へ出た。
振り返ると彼女が俺の顔を見たので、笑って見せた。
「座ろう」
近くのベンチに座らせて、水を買いに行く。こういう時は水だよな。取り敢えず。あ、でもトイレ行きたいとかだったらどうしよう。まあいいや、もうボタン押しちゃったし。
ベンチに戻ると、彼女は幾分いくぶん落ち着いたような面持ちだった。
「具合悪そうだったから降りたけど、迷惑だったかな?」
霧裂さんはぶんぶんと頭を振った。おさげが遠心力で持ち上げり、彼女のメガネを叩き落とした。
「ふぎゃ」
可愛らしい声を出してノックアウトされた彼女の代わりに、地面に転がったメガネを拾って渡す。
「はい。あと、水いる?」
メガネと水を受け取った彼女は頬を赤らめて俯いた。恥ずかしかろうな。
その恥ずかしさを紛らわす為か、彼女は渡された水を一気飲みして、大きくため息を吐いた。
「ありがとう」
「どういたしまして」
「あ、いくらだった?」
「いいよ。勝手に買ったやつだから」
「そう。ありがとう。さっき声掛けられた時、一瞬誰だか解らなかったよ」
「あー、バッサリ切ったからね」
比々色ひひいろ君って、そう言うイメージなかったから」
「だろうね」
「高校生デビュー?」
「いや遅過ぎでしょ! あーあ、イメチェン失敗か」
「失敗じゃあないよ。一瞬解らなかったんだから、成功じゃない?」
「いや変装じゃあないんだから。こういう場合って、似合っているかどうかなんじゃあないか?」
「すごく似合ってるよ」
流れで言わせた感が漂っているが、彼女の屈託ない笑顔を見るからに本心であると思いたい。
そう言えば笑顔を見せるくらいに回復しているな。
「体調はもういい?」
「おかげさまで」
「そうか、なら次の電車が来たら乗ろうか」
「うん。ありがとね。あと、人騒がせでごめんね」
「明らか具合悪いクラスメイトが居るのに無視はできないだろ。それに本当に不調なら人を騒がせてでも訴えるべきだと思うよ」
「優しいんだね。比々色君って」
優しいか。先程までそんな優しさとは無縁の事を考えていたんだけどなあ。
次の電車が風切り音を引っ提げてホームに滑り込んでくる。
全く同じ位置から乗ったにもかかわらず、車両には先程のおっさんも障碍者も居なかった。それは当たり前の事だ。同じレールの上でも、乗っかっている車両が違うのだから。
なんだかそれが、運命の偶然性を物語っているようで不思議な感覚だった。
憤りも熱も震えもこの車両には無いのだ。きっと代わりの何かが充満していて、俺はそれに気付いていないだけ。
車両は、まるでこの世の時間の流れが断続的である事を告げているようだった。車両と車両の連結部分に座席が無いように、時間と時間の隙間に自分の居場所が無いように思わせるのだ。
俺は霧裂さんを見た。
おさげ髪の彼女はメガネ越しに俺を見上げてふわっと微笑んだ。
嗚呼ああ、この笑顔が真実だ。
俺は一度、憤りと熱と震えに支配された運命から逃げおおせて、再度運命に入りなおした。それは一箱の運命の中に充満している全てに勝る真実を、手に入れる為の行いだったのだ。
ただ一つの確信と充満する不確定を乗せて、車両は時速1320キロで、夜へと進んだ。

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