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お母さんは魔王さまっ~朝薙紗凪が恋人になりたそうにこちらを見ている~

詩一

第10話 弧居抜律己

次の日。
学校終わりに床屋に寄った。
その旨母さんに伝えるとお小遣いを渡して来ようとしたので、全力で拒否した。
「何の為にバイトして稼いでいると思ってるんだよ」
寂しそうな目をしていたが、頬は少し吊り上がっていた。多分、俺の自立に対しては常に複雑な感情が渦巻いているのだろう。
学校までは電車通学だ。その駅から我が家までの間に有る床屋が行きつけの店だ。
初めてここを訪れた時は、単純に帰り道だったからだった。しかしここが行きつけになった理由は他にある。
急勾配きゅうこうばいくびれた場所にまり込む様にしてあるその店は、坂道の陰に隠れて初見では通り過ぎてしまう。看板もあまり目立たない場所にあるからなおの事だ。一階が駐車場になっている作りの所為で、一旦坂道を降りてからまた階段を登りなおすと言う面倒な作業が発生するが、慣れた今ではそれももう苦ではない。
ドアを押して入ると、カランカランと来客を知らせるベルが頭上で鳴る。
「いらっしゃいませ。おお、久しぶりだねぇ、比々色ひひいろ君」
「お久しぶりです」
カウンター越しに出迎えてくれたのは、この店の店長である。
待っている人は居ないのだが、ウェイティングシートに名前を書くのがここのルールだ。多分、来客数をそれで確認しているのだろう。
律己りつきは後15分くらいで終わるから、ちょっと待っていてね」
「はい」
言われるまま、俺は待合の椅子に腰を下ろした。
店長はそのまま奥へ下がって行き、店員に声を掛けた。すると、髪を切っている彼女が振り向き、俺を見て笑みを浮かべた。俺は頭を下げる。
彼女がいつも俺の髪を切ってくれている律己先輩だ。
先輩、と言うのも、彼女は俺が通う高校の一つ上の先輩だからだ。とは言え、今はこの律己先輩のお父さんが店長を務める床屋で働いている。高校は中退したのだ。
彼女は何も床屋を早く継ぎたくて高校を辞めたわけではない。と言うと、彼女のお父さんに失礼なのだが、律己先輩は何事もなければ高校を辞める事は無かっただろう。
何事か、有ったから辞めたのだ。
長身でスレンダーな体型と端整な顔立ちは、彼女を実年齢以上に大人っぽく魅せた。ただそれは妖艶ようえんであるという事ではない。大人が持つ、賢さや冷静さが、彼女には初めから宿っているように見えるのだ。
その大人らしさは、高校生活において彼女を浮かせるのには十分すぎる理由だった。
詳しくは知らされていないのだが、有り余るほどの大人な女性としての魅力が、周りの子供な女子達には脅威であり、それが原因でうとんじられ避けられるようになったのだと思われる。
孤独な思いをしている彼女の事などつゆ知らず、その孤独は周りの男子からは孤高に見えたのだろう。異性からの人気はあったようで、それがまた周りの女子が良く思わない原因にもなった。彼女自身も誰かが近くに居ないと落ち着かないと言う、人間依存な体質ではない為、開いた距離を縮める努力をしなかったのも事実だ。それが彼女とその周りの溝をますます深めていった。
俺が律己先輩と出会ったのは、というか一方的に彼女の存在を知ったのは、学校の下駄箱だ。うちの高校は二つの棟と体育館からなる。いつも通常の授業を受ける教室と職員室が有るA棟と、科学や物理などの実験や商業科がパソコンを使って授業をするB棟。二つの棟には長い渡り廊下が有り、そこが下駄箱になっている。だから、当時一年生の俺でも、学年の違う律己先輩を見る事があった。
一目見て意識に残らない者はいないだろう。先の浮く理由は、そのまま彼女の魅力なのだから。俺は見蕩みとれてしまった。恋だとか好きだとかそう言うのではない。ただ美しいものを見て心奪われる様な、例えばフェルメールの写実的で色鮮やかな絵画を見てその微細な質感の全てをこの目に焼き付けたいと思う様な、そんな感覚だ。そしてその美術品は驚く程透明で奥行きのあるものだった。そこには日々の疲労も苦労も、怒りも悲しみも、かと言って愉楽ゆらくも歓喜もない。ただ純粋にそこにあると言う複雑さを聡明に理解し、二本の足で立っているのだ。
この世の単一で素朴で簡易なものにも、人はどれほどまでも難題を与える事が出来る。それは誰かが言った事だと無視することもできるし、ほとんどの人間がそうしていると言うのに、この人は誠実にその難題を一から解いて理解したうえで息を吸っている。
朝の斜陽しゃようが艶やかな栗色のポニーテールを一層きらめかせ、周りを舞う埃の一欠けらでさえも彼女を際立たせる装飾品のように見える。それはさながら、バロックヴァイオリン。
靴を上履きに履き替えた彼女の視線が上がり、髪の毛の色と同じ栗色の瞳と目が合う。
嗚呼、この人はなんと孤独なのだろう。
率直な感想はそれだった。
高身長から放たれる目線には、威厳や尊厳あるいは傲慢ごうまん不遜ふそんの色は無く、とは言え相手を懐柔かいじゅうするための小動物性もない。上にも下にも触れない、ただ彼女の位置で彼女が見るものを見る為に視線を振っているだけなのだ。
はなから、人と関わる気が無い、と言うより、両者が気持ちよく触れ合える関係性を知らないと言う様な、在りがちな不器用さを慢性的にこじらせ続けた結果を知っているような瞳をしていた。
それは失望か。
或いは落胆か。
いずれにせよ、何者かの行いの連続によって彼女の正当な思いは砕かれ、今はその破片が周囲に零れないように細心の注意を払っている。初対面の先輩と俺との間にはなぜだかそういう気まずさがあった。
だから俺は勝手に悔しく思っていた。
恐らくは誰かが行った不当の所為で、先輩から俺への第一印象が大きくじ曲がってしまって居るのだから。
「おはようございます」
俺は清々しく挨拶をして頭を下げた。
これが彼女の過去からの学習によって構築された概念に対して俺ができる精一杯の抵抗だった。
ある日、数人の先輩方が律己先輩の下駄箱に何かを入れているのを目撃した。
あれほど美人な人なのだから、恋文でも入れているのかと思い、気になってその先輩方を見ていた。しばらくして下駄箱を閉めて駆けていく彼らを見て、不意に疑問が過った。
なぜなら先輩の一人がプラケースの虫かごを持っていて、もう一人がゴム手袋をしていたから。
恋文を下駄箱に投入したのであれば、あのようなで立ちにはならない。
俺は胸騒ぎが抑えきれず、まだ一度も話した事の無い律己先輩に心の中で謝り、下駄箱を開けた。
中には茶色い物体が長い触角をふよふよと動かしていた。
ゴキブリだった。
「ぎゃあああああ!」
と俺は間抜けな声を上げて大きく後退、しようとしたら段差に踵を引っ掛けてそのまま後ろ向きに倒れ、後頭部を強打、気付けば天井の色が変わっていた。
そこで自分が保健室に担ぎ込まれたのだと知った。
「すまない」
声の主は律己先輩だった。
「えっと?」
いきなり謝罪をされて、困った。
「声が聞こえて走って行ったら、私の下駄箱の前で君が倒れていた。下駄箱の蓋が開いていたから、私の下駄箱を見て卒倒そっとうしたのだろう」
「勝手に見てしまってすいません」
「誰かが何かを私の下駄箱に入れているのを目撃したからではないか?」
「そう。ですね。初めは恋文かなと思ったんですけど、どうにも様子がおかしかったので、つい気になってしまって」
「君は私を助けようとしてくれたのだから、謝る必要はない」
「じゃあ、先輩も謝らないでください」
「私の事に君を巻き込んだ」
「勝手に巻き込まれに行っただけです。だいたい、ここまで俺を運んでくれたのは誰なんですか?」
先輩は俯く。
暫くして頬を赤らめながら視線を逸らして小さく零した。
「……私だ」
「ありがとうございます。助かりました。結局そう言う話じゃあないですか? 俺が倒れて先輩が助けた。だったら先輩は謝る必要なんかない。そもそも、もしも謝罪の言葉がこの出来事に存在するなら、それは先輩から俺じゃなくて、下駄箱に虫を仕込んだ連中から先輩に対して正当に送られるべきだと思いますよ」
個人的には的を射た発言だと思ったが、彼女は押し黙った後、言葉を発さず二度三度頷いた。それは俺の言動に対して肯定の意味を持っての首肯と言うより、込み上げるものを無理矢理嚥下えんかする為に頷いている様に見えた。
「ありがとう。その言葉だけで十分だ。もう、君には迷惑を掛けないから、安心して今後の高校生活を送ってくれ。それとこの事は他言無用で頼む」
他言無用と言うのは、先輩を守る為の約束だと思った。しかしそれは実は俺を守る為の約束だった。そう気付いたのは、次の日先輩が学校を辞めたのを知った時だった。
俺が先輩の下駄箱を開けて倒れたのを、虫を仕掛けた連中は知らない。だから、俺さえ口をつぐんでいれば、俺と先輩との関係は誰にも知られずに済む。そうすれば、先輩が今まで受けていただろう虐めの矛先が俺に向く事は無い。
彼女の純粋な優しさと勇気ある決断に、本来俺は感服すべきなのだろう。だが俺がすぐさまに感じたのは、後悔の念である。
俺があの時にもっと思慮深くなっていれば、何が入れられたのかすぐに気付いたはずだ。また先輩が辞める事を決断するに至るまでの間に何か言葉を掛けられれば、辞めると言う決断には至らなかったかも知れない。どうあれ遅きに失した。己の愚鈍さゆえに。
数か月、そんなモヤモヤが晴れない状態が続いた。
そしてこの床屋に入った時、律己先輩と再会した。先輩はこの店の店長の娘だった。
こんな家のすぐ近くに住んで居るとは今の今まで気付かなかった。
俺はその床屋での初めての散髪を律己先輩にお願いした。
俺は一方的な気まずさを孕んで、後悔している事を打ち明けたかったし謝罪もしたかった。今更どうなるわけでもないのに。しかしそれを切り出すより早く、先輩は声を掛けてくれた。
「あれから学校生活はどうかな? 上手くやっているかな?」
「あ、はい。おかげさまで」
「良かった」
その笑顔に、わざわざあの時の事を被せる事は出来なかった。
しかし先輩は俺が気にしている事を知ってか、自ら話してくれた。元々高校を卒業したらこの店で働く事を決めていた事や、だから学歴も気にしてない事。また、元より嫌なら辞めればいいとお父さんにも言われていた事も。
だからあの時の事は全く気にしないでいいと、笑顔で言われてしまった。
弦が張り詰めたバロックヴァイオリンの様なたたずまいはあの時のままだったが、彼女の何にも期待していない瞳はもうなかった。新しい事へ向かう、朝日を浴びた栗の色をしていた。
先輩と他愛もない会話で盛り上がって、文字通り、頭がすっきりした。
これがこの店が俺の行きつけになった理由だ。

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