勇者が世界を滅ぼす日
滅亡行進曲 その6
思った以上に深手だった。
血が滴り、引き裂かれたところが熱い。
周囲が大混乱に陥っているのに、音が遠くに聞こえる。
体の内側にある魔力はだいぶ回復してきているのに、この枷が邪魔になって表面に出てきてくれない。
魔力を動かそうとする回路が切断されている。そんな感じだ。
魔王討伐からあった自殺願望も無くなって、ずっと生きたいと思っていた。それなのに今度は世界が殺しに来るのだ。
いや……自業自得か。
でも諦められるわけがない。まだクリスティアーネとの子供の顔も見ていない。それにリーゼちゃんだって、思い上がりじゃなければまだボクが必要だ。
それ以上に彼女たちの悲しませたくない。
最後まで悪あがきを……と思っていたその時――
「い~く~の~だ~わ!!」
聞き覚えのある声が聞こえた先で、まるで『勇者の壁』に似た青白い光の柱が昇って、重低音を轟かせていた。
……シルフィ!!
その様相はまるで何かが乗り移ったように身体に幾何学模様が浮かび上がっていた。まさか造物主かと思いきや、周囲にいるジオルドと連携しながらこちらへ向かってきている。
……シルフィ! 無茶するな!!
そう叫びたかったが、声にならない。まだ声がかすれて大きな声が出せない。間近までいかないと伝えることができないもどかしさが、さらに焦燥感を駆り立てた。
しかしボクの心配をよそに、彼女は強かった。
停滞と出産で魔力は落ちていたはずだった彼女。それに全盛期でもあれほどの魔力はなかったはず。まるで前魔王並みだ。
召喚勇者程度ではまるで相手にならないほど。あまり飛び道具を持たない彼女はその魔力を帯びた格闘術で、同時に召喚勇者を数名同時に相手にしても余裕があった。
しかしその白兵戦のみの彼女の戦い方は、多勢には弱い。しかしそこをゴルドバたちがしっかり援護していた。
そして突然、大きな衝撃音が響く。まるで巨大な金属がぶつかったような鈍い音だ。
「カカカ! クソ雑魚白銀かよ!やるじゃねぇか! 魔王はどうした!!」
「あほ!! 周りを見て言え!! 取引どころではないのだわ!!」
それはシルフィと、それに立ちはだかる紅蓮の魔女だ。もちろん後ろにはベルフェゴール、アミ、ナナを従えていた。
他の勢力は彼らが抑えているようだ。
「それもやるが……主待ちだ。それまでいっちょ、もんでやるよ」
「ふざけるな! 女神が死にかけているのだわ!」
「死なねぇよ! 炎獄・絶対零度付与!!」
「炎獄・絶対零度付与!!」
――爆ぜる。そして相殺し不敵に笑う。
「ふん……それは見飽きたのだわ!!」
「なっ、なんだと⁉ 拳に上位魔法を付与!? 舐めるな!!」
そう言うと再び地面が揺らぐような衝撃音が轟く。
「ぐぅ……計算よりヤツの魔力が高い……!!」
「カカカ! 停滞した奴はこれだから!! 魔女とはそう言うものだろう?」
――轟く。
「精霊身体強化!!」
「はっ!! まだ上がるか!」
――幾度となく。
シルフィと紅蓮の戦いのすさまじさに、周囲に影響が出だすと、一般騎士に戦線をさげる指示が飛ぶ。
どの勢力も距離を置くことで、中央の舞台付近には強者のみとなった。
「シルフィ……シルフィ!!」
そう叫ぶけれど、やはり大きな声が出ない。己の無力さに唇を噛む。涙が出る。足掻けど足掻けど枷がきつくなるだけだった。
しかし彼女たちが戦っているうちに、ボクの目の前に複数人の男女が現れた。
「バカがやり合っていて助かりました。 さぁ女神様? 私たちがお救いいたします」
率いているのは、気品あふれる白い衣をまとった女性だった。はっきりとした容姿は目がまだ回復していない所為で分からないが、動き一つ取って美しい所作であることから、高位な存在であることがうかがえた。
そして感じ取れる魔力もかなり多い。
この女……上位魔女か?
「真理の魔女様!! 磔に魔法で縛られています!!」
そう言った彼は次の瞬間に、頭部が爆ぜて無くなった。いったい何が起こったのかボクも全く分からなかった。
「ひぃいいい!!」
「名前を読んではなりませんと申したはずです。今は『ニキ』です」
「「申し訳ございません。ニキ様!!」」
何の躊躇もなく、引き連れてきた部下を殺し、一切の気を揺らさない。なんとも冷酷な人間だと悍ましく思えた。
しかし敵とは言え彼の命のおかげで、この女が真理の魔女であることがわかった。
そして真理の命令により、騎士たちは動き出す。このものがどの勢力であるかは不明だ。見たことのない鎧の形状をみれば、彼らが今まで関わった国と違う勢力であることだけは分かった。
騎士たちは磔ごと移動させようとしているが、それにはやや人数が足りなかった。魔女であるのなら亜空間書庫を使えばいいとおもったが、何故か使いたがらない。
それに枷の呪縛はかなり強固で、彼女にもそれを解除できないようだ。これを発動させたミケランジェロの承認か体液が必要になる。
「余計な真似をしてくれましたね……呪術者を探しなさい」
「……それには及ばぬぞ……」
舞台袖の暗がりから現れたのは、まさにこの舞台の仕掛け人。
ついにこの男が出張って来た。
常に陰から操り、謀り、そしていつの間にか強奪する貴族という仮面をかぶった蛮族。軍の現役を退いたと思わせないその体格、そして数多の戦乱、修羅場を生き残って来た威風。
――そう、アルバトロス・アルフィールドだ。
「あら……お久しぶりですね。アルフィールド卿。それは……」
やつの手には、今切裂いて来たばかりの血の滴る『腕』が握られていた。あれはミケランジェロの腕だろうことは容易に想像がつく。
奴もまた失敗をしでかしたものは、息子であろうと躊躇なく殺すのだ。
「ふむ……これもミケランジェロの仕業か……すまないことをした」
この男は元軍人の貴族。生物的に高位の存在でもなくただの人間のはずだ。だというのにその堂々たる威風に、真理の魔女でさえ言葉を待たざるを得なかった。
結局、アルフィールドの親子間同士での謀り合いがあって、こんな事態になってしまったと素直に謝ってくれる。
女王側にいるレイラに気に入られたくて起こした裏切りだったという。
「して、主はサラサハ側か」
「ええ。残念ながら御力にはなれません」
離れたところではシルフィと紅蓮が轟音を立てて戦っているにもかかわらず、目の前ではまるで時がゆっくり流れているような温度差だ。
しかしこの男一人で来たとは幾分無防備の気がする。いくら老練であろうとも上位魔女を前にして、一歩間違えれば殺されてしまうというのに。
「邪魔立てするのなら――」
一気に殺気が高まる。それは周囲にいるサラサハの騎士たちにも影響を及ぼし、恐怖に声を荒げている。
それでもアルバトロスは全く動じる様子がない。
そしてその脂ぎった顔はにやりと歪む。
次の瞬間に、突然真理の魔女が飛びのくとその右腕がぱぁんと乾いた音と共に爆ぜる。
気づけば真理とアルバトロスの間にアミが立っていた。
「やらせません! 雇われているので」
「ぐぅうううう!! このぉ!! 貴様はなりたての上位魔女か!!」
隠匿から、無動作での反魔核は強烈だった。さすがにその気配を悟った真理の魔女も避けるだけで精一杯だったようだ。
先ほどまで冷静沈着だったその無表情が、今は苦しそうにゆがめている。それを崩したのは会った当時では考えられないほどに強くなったアミ。
もうシルフィと紅蓮の周囲を抑える必要がなくなったアミとナナが雇い主の護衛に来たところだった。
痛々しい様子に顔を顰めていた真理の魔女はすっと急に真顔に戻る。
「引きます……ではまた」
そう言って、すっと視界から消えた。サラサハの騎士は置き去りで。騎士たちは指揮を失い、逃げるようにその場を後にする。
覆せない状況だと判断すれば、躊躇なく引く。それは決して負け犬などではなく、負けない知恵であり、彼女が洗練されていることの証明に他ならない。
絶対に対峙したくない手強い相手だ。
「ではアミ。ミザリをこちらへ連れてくるのだ」
「はい、わかりました。ベルフェゴールさん!」
「あいよ!」
さすがに少し離れているので、強引に連れてくるのは男のベルフェゴールの役目らしい。アミとナナはここでアルバトロスを護衛する役目になった。飛ぶようにかけていったベルフェゴールはすぐにミザリを抱き上げて戻って来た。
「ひ……な、なんですか……」
「女神が負傷している。治せ」
「……は、はい!!」
彼女としても女神を何とか治したいと考えていたが、壇上で動けずにいたからこの状況は願ったりかなったりだった。すぐさま了承する。
ミケランジェロの腕を使い、磔を解呪する。
「ひどい……こんなに……」
引き裂かれた場所に聖水を掛け、清めると傷の深さが見えて来た。普通の人間では即死でもおかしくないほどに、腹が避けている。
そして彼女はボクの胸の上に手を置く。
「救世主!!」
視界が一気に真っ白に包まれた。それは空間転移のような別空間にいくのではなく、精神が白く塗りつぶされた感覚だ。
(私の所為で……ごめんなさい……でも、『取引で仕掛けがあるのでそのまま従ってください』とのことです)
……!!!!
そう囁いたように聞こえた彼女の声は、救世主という大量の魔力を消費して、人間の根幹に接続するというスキル特有の効果の副次的なもの。
スキル発動中のみだから一言だったけれど、それで十分だ。
やっとできた味方との意思疎通。
その嬉しさに涙が込み上げてきて、必死に抑える。
周囲にまだアシュインであることを気取られるわけにはいかない。取引時にシルフィたちが用意してくれた仕掛けまでは絶対に。
治療が終わると、アミは亜空間書庫から用意していた服をだす。そしてナナに隠匿させてすぐに着替えさせられた。
再び白いふわふわとした女神らしい衣装になった。これからアルバトロスがやることに必要だと言う。
するとアルバトロスは準備ができたとばかりに壇上へと向かう。それに従いボクたちも後を追う。隷属がある以上従わざるを得ない。
「さて、そろそろ終焉の時間だ」
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