勇者が世界を滅ぼす日
閑話 母 その5
やはり我の中の彼は大きすぎた。
あんなことを言われてしまっては、また魅かれざるを得ない。
「んふふ……」
ベッドの中で何となくにやけてしまう。
それと同時に今まで自分がしてきたことが脳内に蘇り、サッと青ざめる。一時のうれしさを感じていても、やはり我はもう薄汚れた醜女だ。
次に彼にどんな顔をして会えばいいというのだ。
そう思うと先ほどの幸せな気持ちも一気に冷めた。
騎士団本部に出勤をすれば、また憂鬱な日々が始まる。先日の恐ろしいニヤケ面をしていた班長たちと顔を突き合わせると、また吐き気をもよおした。
「団長……大丈夫ですか?」
「問題ない。 さて先の悪魔捕虜作戦が成功で――」
取り繕う顔も少し青ざめているが、少しだけ晴れた気持ちがかろうじて我を動かしていた。
平穏な日々であればあるほど、嵐の前触れ。今のうちに情勢の把握と情報収集が、これから特に重要となる。
上層では不穏な動きがあった。
もともとあの悪魔捕虜作戦だって不穏だ。何のために捕虜にするかと言えば、おそらく研究の為だ。あれと同時期に来ていた拘束具の研究の話も関連しているのではないだろうか。
「報告がございます。ロゼルタ姫のほうで動きがあったようです」
「それは騎士団とは関係ない話であろう? 作戦会議が終わってからにしろ」
「いえ、国の行事に関わることですので班長以上は聞くべきでしょう」
情勢を鑑みて女王陛下は亡命。長期間国の機能が一部停止中だ。宰相経由で教会へ打診したことで、王位継承の儀が行われる可能性が高くなった。
王族でも直系はエルランティーヌを除いて、ロゼルタのみ。ロゼルタが第一王位継承権を保有している。
通常は何らかの理由で現王が没した場合か、継承を承諾した場合に履行されるが、現状のような場合はスカラディア教典に則った法によって中立的に行われることになる。
さらに時は経つと刻々と情勢が変わっていった。
召喚勇者の一部が怪しい動きをしているので張らせた。するとロゼルタとアルフィールドは召喚勇者を介して帝国と繋がっていることがわかった。完全な裏切りであるかのように思えたが、この謀りによってグランディオル王国とヴェントル帝国の戦争は一時停戦へと持ち込めるという話だ。
ただのお嬢ちゃんだと評されていた彼女の手腕と、アルフィールドによる根回しでそれを成したのだ。明らかにこれは勢力図が変わる。
今を想えばヴィンセントの誘いに乗っておいてよかったと思える。最悪な手段ではあるがこのままいけば子を守れそうだ。
しかしそれに乗るということは、アシュインを諦めると言う事に他ならない。彼と会っただけであれだけ気持ちが高揚するほどに幸せな気分になれたが、結婚と恋は別だ。
このままいけば我はヴィンセントと結婚させられてしまうだろう。しかし今の根無し草なアシュインでは子を育てることなど、到底できそうにない。
だったら子を想うのなら、ヴィンセントを選ぶべきだ。
結局その決断は保留するしかなかった。どうしても忘れられない。アシュインの事を。あの優しいだけではなく、心も魔力も、霊体まで一つになった感覚は彼だけだ。
別に閨に入らなくとも、頭を撫でてもらうだけでそう一つになった気持ちになり、とても幸せを得られる。
それほどまでに彼が我の中では大きかった。
そんな猶予期間に、何をするでもなくただ流れに任せる。悩んでも悩んでも、打開策が浮かばないのだから仕方がない。
それに『つわり』が酷い。
気持ち悪くなっていたのは子を成したからだという。アルフィールド家の乳母がいろいろと教えてくれた。
しかし最近魔力の減りも異常だ。これも子を成した所為だと思っていたがどうやら違うようだ。
病気かもしれないが精霊と人間のハーフの魔力が異常に減る病気などがわかる医師はいないだろう。
通常であれば魔力が減るなら補給すればそれでおしまいだが、我はアシュインと契約し千切られてしまった。もう生命維持のための魔力が補充できないのだ。このまま減り続けたら、当初考えていた寿命より短くなってしまう。
いよいよこれはヴィンセントに頼らざるを得なくなってきた。
ヴィンセントとの仲はあれ以来、周囲の目を気にしてくれているおかげで平の騎士団員には忘れ去られていた。
それはそれで動きやすくなったが、騎士団内は班長以上と騎士団員とで断絶ができていた。
班長以上がヴィンセントの息のかかった者で固められ、それ以外は排除されていたからだ。彼らは横暴で無茶を言うので、騎士団員は疲弊し統率も乱れ始めている。
我が動けなくなったらこの騎士団はどうなってしまうのだろうか。そんな心配をしている矢先に――
「大変です‼ 何者かに侵入されました‼」
「な⁉ 何をしているのだ! さっさと排除しろ! 殺しても構わない!」
「それが襲われたものが、魂を抜かれたようになって寝返ってしまうのです!」
「何だと⁉」
心当たりがあった。そう、クリスティアーネだ。
魂を抜いて生きる屍にされてしまったのだろう。生きる屍になっても、抜いたばかりの魂であれば記憶もしっかりしているから逆らえない以外は今まで通りに活動ができる。
しかし一月も経てば肉体が腐り始め、半年後には骨と化す。腐食具合は通常の遺体より早くなるのだ。
ただでさえ疲弊して除隊するものも出始めている騎士団員がさらに減ってしまう。何をする気なのだ。
そうしているうちに報告から数分で奴が執務室まで殴り込んできた。
「ゲェッ⁉ くそばばぁ⁉」
「ぐぇへぇへ……シ、シルフィ……て、手伝って」
すでに十人程度の部下が奴に従えている。もう生きる屍にされて生き返ることはない。
「貴様⁉ いくら魔女と言えど、無礼であろう⁉」
「ここは騎士団本部! 生きて帰れると――」
奴に飛び掛かろうとした班長二名もいとも簡単に生きる屍にされてしまう。
それは一瞬だった。以前は用意周到に操作系呪文を用意していたはずだ。今はもう相手を見ただけで殺して霊魂を取り出し、生きる屍にしてしまう。こんなもの我でも敵うはずがない。
……いつのまにこんなにも強くなっていたのだ⁉
いつぞやから医務室にいた彼女の様子を見に行かなかった。自分自身の事で精一杯だったからだ。そうしたらいつの間にかにいなくなっていた。魔王領に帰っていたと思っていたが、まさか乗り込んでくるとは。
「……てて、手伝って?」
「……いやだ。我はここで指示するのが仕事だ」
「ぐへへ……ま、魔力……きゅ、急激に減っているでしょ?……り、理由知りたくない?」
「な⁉ なぜそれを……」
まさか交換条件を出してくるとは。
そういった駆け引きは苦手というより、人間関係の一切が苦手だったはずの奴がこんな手を使ってくるとは。
これもやはりアシュインの影響だろうか。
そう思うと胸がズキっと痛んだ。
しかし今の魔力衰退の原因がわかるのなら知っておきたい。このままでは子を産む頃には生きているかどうかさえわからない。下手をすれば死産だってありうる。
アシュインが雪崩に飲まれてしまったらしい。
あのアシュインが……ありえないと思っていても奴の切迫した様子を見ると、考える余地はなさそうだ。
それに雪崩に飲まれて生存の可能性があるのは一般的に見て二時間程度が限度だろう。
現場はアイマ領の北にある村の近く。もともと雪崩の起きた場所だったが、捜索中に二次災害にあった。
災害というよりそれは人為的によるものだと言う。
彼女だけ逃がされて、アシュインが犠牲になったのだ。やはりあの男はこういうことをするのだ。自分の命を鑑みずに好きになった相手を助けようとする。それも些細なことであっても全力で。
そんなもの重すぎて余計苦しくなるのだけれど、クリスティアーネはもとより不幸体質だから、彼の重さはクリスティアーネにとって丁度良いのかもしれない。
「……ああ、あたし上位魔女になった……」
その言葉に衝撃を受けた。なんと上位魔女になっていたのだ。我を差し置いて。本来であれば天才である我がなるはずだったのだ。
さらに煮え切らない我に対して「生きる屍にしてやろう」と脅しをかけるクリスティアーネ。
もう届かないほどに力の差が開いて、その圧倒的な魔力差で脅しを掛けられたら恐怖を感じずにはいられなかった。
「……や、やればいいのだな?」
彼女は我がアイマ領へ向かう空間魔法を持っているのではとふんで乗り込んできたようだった。
自分の処世術とばかりに、隙を見ては各地に改良型空間魔法を設置して試していた。むろんアイマ領にも数か所設置してある。
飛び先からその場所までは彼女の死霊馬車で行くことになった。すこしだけ時間があったので、彼女に経緯を話した。
思っていた通り、あまり興味がなさそうにあしらわれてしまった。
……話すんじゃなかった。
結局我は『停滞』という魔女特有の病にかかっているそうだ。つまり魔女としての矜持を忘れてしまった所為だという。
しかし研究は合間にしていたのにと疑問に思ったが、あんな他人の意を借りた物では足しにもならないようだ。
現地に着くと極寒の地だった。
寒くて長時間滞在は難しい。それに魔力ももうない。それなのに合成魔法の高次元索敵を使うと言うのだ。人使いが本当に荒かった。アシュインの命がかかっているのだから当然か。
使ってみたが状況は芳しくない。この地の雪が魔法を弾く成分が含まれているのか、通常の魔法で探すのは難しい。
クリスティアーネの死霊を見る力は、相手が死んでいないと無理だ。
だとするなら可能性は一つ。
我の精霊体としての力だけが、通用する魔法だろう。しかし彼を助けて何になるのだ。
その時思い出してしまったのだ。アシュインは当初『死にたがっていた』のだ。それを知る者は今や我しかいない。
そして今や重罪人。助けたところで死刑という結末か、世界を滅ぼすための変異体を享受するしか彼の未来が無いのだ。
だったらここで死ぬのは、幸せなことなのではないだろうか?
――そう思った瞬間に急に彼との思い出が、我の脳内を駆け巡った。
『……どうしたのかな?』
『……ボクの拳を受けられた人間なんて初めてだ!』
『保険だなんて思わないよ。だから……』
『シルフィ……愛しているよ……』
『キミの幸せ』
『――愛しているからに決っている!』
気がつけば泣いていた。
危うくまた間違えるところだった。……もう答えは決まっているじゃないか。我は……あちは――
「やってやるのだわ!! ……手を貸すのだわ! クリスティアーネ!!」
アーシュを愛しているのだわ!
「精霊交感索敵」
今のあちにはこれを使うほどの魔力はない。使えば著しく寿命を縮めてしまうだろう。
でもそんなことは知ったことか!
それに今は心強い相棒がいるのだ。彼女の上位魔女としての魔力は強力だった。以前のアーシュ並、いやそれ以上を有していた。
だから大量に消費しても彼女が肩代わりしてくれる。
全力でその魔力を精霊交感に変換した。
魔法陣は広域に広がり、すべての対象物を立体的にとらえた構図が脳内に流れ込んでくる。
すると村のあった位置よりやや南の雪の下にいることがわかった。
クリスティアーネは一目散にそこへ駆け寄り、今大量に魔力を消費したと言うのに、想像をはるかに超える魔法を使って見せた。
これはもう彼女に敵わないと直感してしまった。
ズゥウウウウウンという超重低音が響き、周囲の雪はほとんどが消し飛んでいた。こんなひっ迫した状況でアーシュごと吹っ飛ばさないように制御しているところも、憎たらしかった。
どれだけの研鑽を積めばこんな、超火力で尚且つ超精密な魔法ができると言うのだろうか。
掘り当てた先にはアーシュの顔がみえた。それをみてあちも安心してしまった。そしてうれしくて顔をくしゃくしゃにして泣いた。
……アーシュ……。
でも醜女のあちには、あそこへ行く権利はない。それはもうクリスティアーネの役目だった。
彼女に任せておけばもう安心だろう。それにあちはもう限界だった。彼女から貰った瓶を呷り、すこし魔力を回復すると空間転移を使って城へと戻った。
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