勇者が世界を滅ぼす日
シルフィの真意
「……う……」
「アーシュ……」
「……ははは……大丈夫だよ」
その場を離れ、隣の部屋へ戻るとナナが心配して声をかけてくれる。ボクはただ空返事をすることしかできない。
彼女にフラれてしまった悲しみは取り繕っても、みんなにバレバレだった。それに……ボクは今激痛を我慢していた。
「……心中お察しいたします」
アルメニアにまで気を使われてしまう始末だ。このアルフィールド領に関わる問題で協力してもらっていたのに、完全にボクの失恋話に付き合わせてしまった。
「うぇへへ……アーシュちゃん……まだ……もう少しだけ待ってあげて」
「え……?」
「……まだ……き、気持ち……ごちゃごちゃ……」
シルフィと何か話をしていたクリスティアーネは、彼女の真意を知っているかのようだった。ただその整理が彼女の中でつくまで待ってあげて欲しいと言う。
ボクの気持ちはずっとシルフィに向いている。今もまだ未練がましく彼女を愛している。でも彼女からはもう愛という感情を感じることはできなかった。
でもクリスティアーネがそうだと言うのなら……ボクはいくらでも待てる。
「わかった……」
「そ、それと……も、もうそろそろくるでしょ?」
「気づいていたのか……」
「……どういう事? ってアーシュすごい汗!!」
シルフィの早い就寝には訳があった。近づいて気がついたけれど、彼女の魔力、生命力が著しく落ちていた。
あの分ではあまり長く持たないのではないだろうか。だからおでこにキスをしたときにボクの生命力を無理やり分け与えた。
その反動がすぐにやってきている。
「……ぶはっ!!」
「……ひっ⁉ すごい血!」
「ぐひ……空間転移魔法……」
――アイマ領主城内、客室。
クリスティアーネは誰に問うことも無く、咄嗟にゲートを使ってくれた。おかげでバレずに、再びアイマ領主城へと戻って来た。
すぐに保存しておいたボク用の薬を飲ませてくれた。例の『何もわからなくなる』薬だ。
客室に担がれ、そのまま服を脱がされて浴室へ詰め込まれる。すでにどういう状態になるか知っていたクリスティアーネが使用人に指示をして準備してくれた。
「な、なれているね」
「む、無茶……よ、よくある……から……た、たぶん数時間は意識がない……」
そんなところまでよくわかっている。いざという時に、彼女はとても頼りになった。
そろそろ痛みが限界というところで、ボクの意識はぷつりと途切れる。
気がつけばベッドの上に寝かされていた。先ほど、と言っても何時間経過しているかはわからないけど、先ほどの客室のベッドで間違いないようだ。
この薬で意識がない時には、何が起こっているのかが全くわからないので少し怖い。
ぼんやりとした視界で周囲を見ると、クリスティアーネの顔がみえた。ずっと見ていてくれたのかもしれない。
「うぇへへ……お、おはよ……ま、まだ夜」
「ああ……今回もありがと、クリスティアーネ」
いつもこの時は、なぜか彼女の顔は艶やかで満足気な顔をしている。それはすごく魅力的な妖艶さで惹かれてしまう。
彼女の髪がぱさりとボクの胸に垂れると、絹のような繊細な感触がものすごく心地よかった。
ボクは彼女の髪を手に取り、その心地よさを確かめるように弄る。
「こんな時に何だけど、シルフィと何を話したの?」
彼女と一緒のベッドに寝ているのに、他の女性の話をするなんてちょっと失礼だったけれど、今一番気になっていたので聞いてみる。
すると少し考えた様子を見せて、首を振る。
「シルフィ……じ、自分から言うべき……だ、だから……な、内緒」
「……そっか」
彼女の気持ちの整理がつくまで待てと言われた。もしかするとまだボクへの気持ちも遺してくれているのかもしれないと、淡い期待をしてしまう。
どれくらい待てば彼女は話してくれるのだろうか。
「きっと……王位継承の儀次第で決心……す、する」
「クリスティアーネはそれが何なのかすでに知っているんだね」
彼女は素直に頷く。
ただ彼女とシルフィの間にも守るべきものがある。さすがにそこに立ち入るほど馬鹿ではない。
それ以上は聞かないと言わんばかりに、起き上がろうとすると彼女に止められて簡単に押し倒されてしまう。
まだ完全に回復していないようで、力が入らない。
「まだ……む、無理……今日は寝て」
「あ……うん。どうせもうアルフィールド侯爵に会うのも無理だろう」
柔らかいベッドに身を任せてまどろんでいると、扉の開く音が聞こえる。この深夜に小気味良いステップで近づいてくる音が聞こえた。
「あ……正気に戻った?」
「うぇへへ……も、もう大丈夫だよ……」
近づいてきたのはナナだった。アルメニアは別室だが、ナナはこの部屋で寝るらしい。
それにしても『正気』?
何やら不穏な単語が聞こえた。ボクは気を失っていた時に、一体何をしてしまったのだろうか。
少し聞くのが怖い。
「ね、ねぇボク変な事した?」
「……え? ううん……ちょっとすごかっただけだよ……ね?」
「う、うん……ぐひ……ぐひひひひぃいひひ……」
いつになく喜びの声をあげるクリスティアーネも気になる。一緒に同意しているということはナナもボクに何かされてしまったのではないだろうか。
「ごめんね……迷惑かけ――」
「いやいやいや違うし! むしろご褒美だし! ね?」
「う、うん……うひ、うひひひ……」
これ以上は触れてはいけない領域なのだろう。きっと。それより彼女たちが何故か恍惚した表情で喜んでいるのなら、良しとしておくしかできなかった。
ボクは意識を失って寝ていたはずだけれど、三人でベッドに入るとすぐに心地よい疲労感と共に、眠りに導かれた。
朝になるとすっきりと目覚めた。二人もかなり気分が晴れているようで、艶々とした肌をしている。背伸びをすると清々しい空気を胸いっぱいに吸い込んだ。
「んーっ! ひっさびさに最高の朝! やっぱりこれだよ、これ!」
「うぇへへ……あ、あたしもぉ……」
「またずっとこうしていられたらいいね」
そのためには王位継承の儀を乗り越えなければならない。昨日は戻ることができなかったら、王城の状態が心配だ。
彼女たちは朝食をとるけれど、ボクは王城へ戻ることにした。あとでアルフィールド領主城にて合流予定だ。
――王城、自室。
王城に戻ると執事のラインハルトがほっとした表情を浮かべる。昨晩は戻ることができなかったが、その間に宰相から都合の良い時に来るようにと言伝があったようだ。直接会うということは、他社に聞かれたくない話かもしれない。
さっそく宰相の執務室を訪ねる。
この男も立場上かなり忙しい。沢山の書類に目を通しては、印鑑を押していた。部屋にはごちゃごちゃと資料の山だ。
「来たか。すこし外せ」
そう言って人払いをする宰相。大した話かどうかはわからないけれど、そうでなくともボクと話しているというだけであまり体裁が良くない。こいつとの接点もそもそも公にできない事だけだ。
「我が派閥はこのままアルフィールドに取り込まれる」
もとより権力構図はその状態に近かったが、完全に分裂状態になっている今は吸収されて宰相派自体がなくなるというのだ。
それと同時に、王位継承の儀ではアルフィールド侯爵が宰相の代役に息子を付けてくるという。国璽の引き渡しや王冠を授与する役目だ。
つまりこの際だからこの目の前にいるジェロニア宰相を退陣させ、息子に就任させるというのだ。
「おそらく今は根回しをしている最中のはずだ……どうにかならないか?」
「これから無理やり押しかける予定だから、根回しは中断できるかもしれない」
「ほ、本当か⁉」
ロゼルタ派はその日に無くなる。宰相派が残るかどうかは知らないが、ロゼルタ派にべったりくっついていると、共倒れすることは確実である。
それをアルフィールド侯爵に正直に叩いてみれば、きっと情勢が変わるだろう。
「それと……騎士団長の事を気にしておったな?」
「ああ……」
シルフィはあのままでは連座で死刑確定していた。しかしアルバトロス・アルフィールド侯爵は息子のヴィンセントの恋心を利用し、刑をもみ消す代わりに騎士団を削りに来ていたはずだ。
そのおかげで無事出産を済ませ、あの領主城で娘共々かなり良い待遇を受けていた。
「切り捨てるかもしれぬのだ」
「何だと……?」
「彼女は衰弱して長くは持たない可能性がある……それにすでに我が派閥はそれによって既に切り崩された……つまりもう用無し……だ」
「くそ……ゲスがっ!」
「唯一彼女をアルフィールド家に結びつかせているのはヴィンセントの恋心だけだ……」
恋心?それにも違和感を覚えた。
奴の子を産んだとするならば、愛情と言うべきところを宰相もアルフィールド侯爵も恋心と認識している節がある。
「どうなるかはわからないが、庇護がなくなった状態では王位継承の儀の時に謀叛を起こすにしても彼女もつれていかないと殺されるぞ?」
「ああ……わかっている。 貴重な情報をありがとう」
「ふん……貴様に礼を言われても嬉しくはない!」
そう言いながら、少し赤らめてそっぽを向いてしまった。この老練な政治屋のオヤジも人の子なのだろう。
こいつを心から信用することは絶対にないが、今よりはすこし信用する気にはなった。
――アルフィールド領主城、西棟裏の小屋。
再びゲートで直接アルフィールドへやって来た。ここで合流予定だけれど、ナナとアルメニアを送ったらクリスティアーネはすぐに戻るそうだ。
これからエルが行動に移すので、ずっとついて厳戒態勢を敷く必要があった。クリスティアーネも彼女を護衛するためについていなければならない。
しばらく待っていると転移してきた。
相変わらずここは人が立ち寄らないので、多少光ったところで気がつかれない。クリスティアーネは二人を送り届ける。あまり時間が無いので軽くボクと抱き合い、戻って行った。
人に気づかれる前にさっそく『隠匿』を使ってもらい侵入する。城内は厳戒態勢が敷かれている。
警備をしている騎士たちの会話をきくと、悪魔が失踪したことを今朝になって気がついたと言う。これに上位魔女が激怒してもし見つけることができなかったら皆殺しにすると脅したそうだ。
上位魔女に恐怖した騎士たちは血眼で探している。しかし彼らはすでに遠く離れたアイマ領主城の空間で断絶された部屋にいる。絶対に見つけることはできないだろう。
「どうしよ……どうしよう……殺されちゃう」
「オレ……これが終わったら、彼女に結婚申し込むんだ……」
「お前それ……死ぬやつだろ……」
慌てているのは隊長と班長達だ。アルメニアの同僚の慌てぶりに彼女もすこし驚いているようだ。
いつもは厳しく人格者の隊長や副隊長、それに班長たちもここまで怯えているなんて初めて見たらしい。
とは言え彼らにしてやれることはない。今は逆に好機でもあるのだ。この混乱事態に乗じて侯爵周囲に隙ができれば、会いやすくなるだろう。
周囲にぶつからないようにアルメニアの先導で領主の執務室へとやって来た。彼女がいたおかげで一切迷わない。
執務室の扉はせわしなく開いたり閉じたりして、文官たちが出入りを繰り返している。その隙にボクたちも侵入することに成功した。
部屋の奥で執務をしている、大柄の男が……。
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