勇者が世界を滅ぼす日
偽りの果実
いよいよ王都へと戻って来た。ボクはこれから次期王位継承者の婚約者として扱われるから、待遇面では悪くはない。
でも政治の真っただ中へと飛び込むこととなる。隙を見せれば計画が詳らかにされて身ぐるみはがされてしまうだろう。
まずは帰還のための面会の申し込みを執事にお願いする。この執事はボク専用でこれからついて歩くことになる。もちろん気を許すこともない。むしろこの男に監視されていると思った方が良いだろう。
馬車の中でも聞いた通りロゼルタ派なのだから。
ラインハルトといういかにも貴族らしい名前の執事は、明らかにボクより顔立ちの整った中年の男だ。貫禄があってこの男の方が主人だといわれても何ら違和感がない。
「さぁアシュイン様。こちらでお寛ぎください。 姫様は後程、こちらに来られるそうですよ」
「ああ……ありがとう」
そうしてボクの脇に控えている。使用人達が何人も入ってきてお茶の用意をしていた。しばらくは一人に慣れることはなさそうである。
お茶を飲んで待っていると、まだロゼルタが来るまでに時間がかかるそうなので、執事と少し雑談でもすることにした。お城の中でのボクの噂を聞いておきたい。
「女性のようにお美しい方と噂になっておりますよ」
あまり聞きたくなかった噂だ。
それにこの執事ははぐらかすように、事実をいわないつもりだ。いくらボクが婚約者とは言え以前の噂や知っている人物もいるだから、外見の印象の噂だけというのはおかしい。
すこし強引に連れ帰らされてきたから、あまりいい印象を持っていないと思っていなかったが、そうでもないようだ。
それにあの熊連合に襲われたときの行動を誤解されている。
あの子共を武力で退けようとした騎士から庇ってあげた、『心優しい聖人のような男』と認識されていた。
寒気がするような言われようだ。
ただ王城内をうろつくには悪くない肩書ではある。少し目立ちそうなのが気になるけれど。
逃亡者という話が嘘のようだ。ただあの話は宰相派の人間が積極的に喧伝したがその勢力が弱まれば、その責任を取ったエルの方に注目が行く。騎士団を中心とした一部の宰相派は今も嫌悪するだろうが、そのほかはほとんど覚えていないのだろう。
「ボクが婚約者となる前の事はしっているのだろう?」
「私は存じております。旧ロゼルタ派の人間ですからね」
以前はエルランティーヌ派に台頭するロゼルタ派は一つの巨大な派閥だった。それが分裂し、宰相派とロゼルタ派に分かれている。
そして今やそのロゼルタ派が王城内の第一勢力だ。かれはその中心に要る人物だという。
そして締約会議の日に魔王領の人間として宰相と渡り合っていた人間。それがボクだという。
彼もあの場にいて後ろで書類を整理していた。
わざとロゼルタの協力要請し、また公演日にもロゼルタを助ける行為をしている。それはこちらとあちらの落としどころを素早く見つける必要があったからだ。
でも彼やその周囲の貴族たちは救われたという。だから王城内に実は隠れてボクを慕う人間がロゼルタ派にも宰相派にもいるという。
「あの時は本当にありがとうございます……」
そう言って彼は膝をついて忠誠を誓う礼をする。
少し恥ずかしくなって、あの時はボクにはボクの利があってやった事だと窘めた。
そして一番気になっていたシルフィ騎士団長について聞く。すると今は休暇を取っているという。王位継承の儀までには復帰するという。
病気か何かになってしまったのかと聞いたが詳細は不明だった。今は副団長の男が団長代理を務めているそうだ。
時間があるときに騎士団の様子も探った方がよいかと考えていると、彼の同士がボクの代わりに探ってくれると言う。
ボクがいけば目立つし、騎士団は宰相派の巣窟でもあるので行ってほしくないようだ。
そしてジェロニア宰相は相変わらず私腹を肥やしているが、彼の影響力が大きく落ちていた。方向性は間違えているとおもうがロゼルタの声が大きくなったのが原因だ。
しかしロゼルタ自身をひそかに懸想している彼がそれで引き下がるつもりはないだろう。むしろこのままロゼルタに傾倒して一つにまとまるのかもしれない。
少し長く執事のラインハルトと話していたが、そのうちロゼルタ姫が訪ねて来た。何やら忙しかったようだ。
「アシュイン! もどったのね!」
「ああ……ただいまロゼ……」
「ああ……会いたかったわ!」
そう言って駆け寄って抱き着く。ボクは満面の笑みを彼女に向けて迎え入れた。その様子に使用人やラインハルトまで赤らめてこちらを凝視していた。彼らにはどう見えているのだろうか。
これがまさか仮初のものだとは誰も思うまい。
「すこし痩せたね……無茶をしたの?」
「ええ……でも大丈夫! アシュインと幸せになるためだもん!」
彼女は目を潤ませて純粋にそう思っている。彼女はおそらく何も見えていない。『恋は盲目』と吟遊詩人が言っていたがその通りだと思う。
ボクはその彼女の純粋さを利用する下衆野郎だ。
あるいは彼女も謀っている可能性も捨てきれない。あの雪崩の件についての詳細は不透明なままだ。
「戦争を停戦させたって聞いたよ? すごいじゃないか!」
「ううん。 これもあなたのおかげ」
「ボクの?」
「アイリスを引き合わせてくれたおかげで、すべてが帳消しにできるのだもの」
……こいつ……
今、確信した。
彼女のこれは素だ。演技しているとか謀っているとか、そう言った次元ではない。彼女にとってはこれが自然なありようなのだ。ボクはまるで違う世界の怪物でも見るような目になるのを必死に抑えた。
「悔しいけど、あの美貌はすごく価値が高かった。各国の元首がこぞってわがものにしたい。あの子の子孫を残したいと群がったの」
それであの隷属の首輪だ。実験は成功していよいよお披露目というところで悪魔アシュリーゼにしてやられたということだった。
しかし計画は続行中だった。あのやり取りでも各国の欲望はとどまるところを知らない。アイリスではなくとも悪魔の女性は奇麗だ。
「すでに各国の元首の賛同を得ておりますので、王位継承の儀で発表されれば本格的に始動するでしょう。ただ懸念材料が一つ……」
「完璧な下ごしらえに見えるけど何かあるのか?」
「ええ……魔王が現れたの。それも前魔王より強力なのが」
彼女の物語の中で唯一の異物があの魔王アシュリーゼだという。確かに隷属の首輪を破壊して見せたし、あの場にいた紅蓮の魔女にその強さを見られているから、アシュリーゼの動向次第でひっくり返ってしまうことを懸念していた。
やはり彼女もあれがボクであることに気がついていないようだ。
「ねぇ……アシュイン……紅蓮の魔女にきいたわ。上位魔女より強いのですってね?」
「どうかな……?」
「……もし魔王が現れたら――」
そうきりだすと、彼女の目が急に光がなくなり深淵のさらにある闇を映し出すような冷酷な表情を浮かべる。
「殺しなさい」
彼女がそう言った瞬間に、何か精神に干渉するほどの強い念がボクの身体をしばりつける。
耳から入って来る超音波のような鼓膜を圧迫する持続的な衝撃。そして臓物が口から飛び出そうな感覚に襲われる。
周囲をみると執事のラインハルトが倒れて血をぶちまけていた。このままでは死んでしまうかもしれない。
「――婚約者なら聞いてくださいますよね?」
「はい……ロゼルタ姫様……」
ボクが早く切り上げるために、恭順の態度を示すとふっとその暴力的なまでの圧迫がなくなる。どうやら執事はぐったりとはしているが息があるようだ。
もちろんボクはあんなちんけな精神干渉魔法に負けるほど弱くはないから、あくまでふりをしている。
しかしこんな魔法が使えたのか。それもかなり強力なものだ。これならおそらく魔女……いや上位魔女の下位なら調伏させられてしまうだろう。
「アイマ領でしっかり所作を学んでこられたようですわね! かっこいいわ、アシュイン」
「ありがとう……キミに相応しい男になれるように頑張るよ」
「ふふふ……すてき! ……あっ」
そう言って先ほどとは打って変わって、もとの人懐こい彼女に戻る。そして彼女を優しく抱きしめると、ふっと大人の女性らしい恍惚とした表情になる。
そんな幸せそうな蕩ける表情をすればするほど、ボクの不安は掻き立てられた。
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