勇者が世界を滅ぼす日
心の病
大樹の里は北側から囲い込むように山岳地帯になっている。上空からも険しい気候のため南側から回り込むのが一番早いという。
まさに人間を遠ざけているような地形だ。
レイラたちが倒れていた場所が里の東付近にあたる。そこから南下したところまで来た。
森の中は年輪の高い木々に囲まれているから、まだ日は高いのに薄暗くてじめじめとしている。
負傷して寝ている二人は、クリスティアーネの死霊の木偶に頼ることにした。ここでは馬車を使用することもできないし、エルも抱えなければいけない。
魔物の多いところまで進み、エルをおろしてから戦う。なんとも効率の悪い方法になってしまっている。
ここは魔王領より明らかに魔物が多く、そして強い。
「じゃあここでまってて」
「え、ええ」
「……っふ!!」
ズシャッ!!
剣を突き立て、
ヴィン!!
広範囲に闘気で蹂躙する技は『勇者の剣技』。
ズゴァアアアアアアアア!!
――前方に見える魔物は一掃される。
「……うぇ」
ボクはすこし嚥下して口元を抑えた。
やはりあの時から魔物を狩ると気分が悪い。
「アーシュ……大丈夫なのだわ?」
「……だ、大丈夫だよ。ごめんね足手まといで」
「アーシュが一掃してるのだから足手まといではないのだわ」
シルフィとクリスティアーネは索敵と後ろの警戒、それからボクの討ち漏らした魔物を狩ってもらっている。
剣技はほとんど魔力の燃費がとてもよいから、多くの魔物を一気に蹴散らすには向いている。ただ今は不調で精神力がガリガリと削れているけれど。
「ア、アーシュは何時から、このように苦しんでいるのです?」
エルには言いたくなかった。魔王討伐がきっかけで、魔物を狩る事を身体が拒否しているから。
だというのに、人間をミンチにすることについては何も感じない。
今までは交渉事や諜報活動ばかりで、魔物と戦う機会はずっとなかったから、ボク自身が気がついていなかった。
悪魔族だってこんな思考をしていないはずだ。
ボクは今人間の凶暴性を持ちながら、悪魔族の立場にいることで心がおかしくなってしまっているのかもしれない。
「……ア、アシュインちゃん……ベ、ベアトリーチェ……じゃなかったエ、エルちゃん……あたしの死霊……で運ぶ」
「ご、ごめん……そうしてくれる?エルの服を汚してしまいそうだ」
「ひぃいぃ」
さっきから何度も嘔吐しているし、その度に進行を止めているから時間がかかって仕方がない。
周囲は一掃しているから、魔除けを置いておけば上位の魔物以外はしばらくはこないだろう。
休憩スペースを準備して、少し休むことにした。
冒険者は野営するなら土の上に雑魚寝するのだけれど、亜空間書庫をもっている魔女二人がいるおかげで快適な休憩場所が確保できる。
「……く、薬……い、いるぅ?」
「……あるの?」
クリスティアーネが薬品の瓶を三つ並べた。
「み、右から――
『甘くて美味しいけれど、気休め』
『不味いけれど、何となく効いたきがする』
『何もわからなくなる』
があるよぅ?」
「ちょっ!一番左がこわいんだけど!」
「ケケケ。やめておくのだわ。クリスティアーネは調合専門ではないのだわ」
「そ、そういえば死霊が専門なんだっけ」
「ひぃいい」
「……うぇへへ……し、死霊に関係する調剤は……と、得意だよぉ」
「それ、死霊にさせられる調剤じゃないか?」
クリスティアーネが言うには、いわゆる精神安定剤。ただ死霊が原料として使われているから、効果は高いという……でも一番左のは、乗っ取られると思う。
「……い、いらないぃ?」
「ま、まんなかのを飲んでみるよ」
「……ほ、ほんとぉ?……う、うれしぃ」
ごくん……
うぇ……ま、不味い……。
「ウヴォォォオオ……ダズゲデェ……」
「ひぃいい。アーシュの口から恐怖の雄叫びが……」
口を閉じると聞こえなくなるけれど、あまりの不味さに舌が痺れて、しぜんと口がぽかんと開いてしまう。
そしてクリスティアーネに軽く肩をつかまれて倒されると、その膝に頭を乗せて寝かせてくれる。
「……うへ……ここ、これ楽?」
「あ、ああ……」
薬のせいで頭がぼーっとして、力が入らなくなった。女性に軽く引かれただけ倒されるとは。
「おい!ずるいのだわ!」
「……だって、シシ、シルフィのちっちゃくて……つ、潰れちゃう」
「ふん……」
「う、うらやましいぃ……」
なにか言い争いが始まった気がするけれど、意識が朦朧としてよく理解できない。
力が入らなくなったボクは、しばらくクリスティアーネの膝を借りて身体を預けるしかなかった。
彼女の髪は長くて、垂れてくるとボクの顔までおおってしまう。すると、彼女の良い匂いがしてきてとても心地よい。
しばらくすると、舌のしびれも収まって頭もすっきりしてきた。ボクが目をあけると、普段はあまり見えないクリスティアーネの血走った目が合った。
血走って入るけれど、何となく心配してくれるのは分かってうれしい。
「……うひひ……も、もう平気」
「ありがとう……クリスティアーネ。気持ち悪さも落ち着いたよ」
「……し、しばらくもつはず」
起き上がると、シルフィがべったりくっついてくる。
「んっ」
だっこしろのポーズで、手を広げる。今度はシルフィを抱えていくことになりそうだ。
「アーシュ?魔力は極力抑えておくのだわ」
「オババに悟られないように?」
「そのとおりなのだわ」
付け焼刃だけれど、まったく何もしないよりはマシか。
「さて、あちも本気をだすから進行なのだわ!」
「おう!」
「……う、うん!」
「ひぃいい」
抱えているシルフィは広範囲の魔法を連発している。ボクに気を使ってあまり戦わせないようにしているみたいだ。
それでも広範囲魔法から漏れてくる敵は、剣で薙ぎ払っている。数が少ないし、クリスティアーネの薬が効いているようで気持ち悪くならない。
「大丈夫そうだよ!」
「ケケケ……そのまま抱えてつっぱしるのだわ」
「……うへ……ゆ、ゆっくり」
「ひぃいいい!」
クリスティアーネは三人も抱えているから進行速度を抑えた。
それでもエルはずっと叫んでいる。死霊に怯えているのか、速度が速くて怖がっているのかよくわからなくなっていた。
進む速度は遅くなったけれどボクがへばる事もなくなったので、結果として進行速度は速くなった。
シルフィがほぼ全部を狩って、討ち漏らしをボクが処理している。
森の魔物は魔王領にいる魔物より強いけれど、シルフィが苦戦するほどではない。ただとにかく数が多い。場所によってはぎっちり詰まっていることさえあった。
それと、毒や酸、状態異常を仕掛けてくる魔物が地味に厄介だ。
さすがに途中でそれらを個別対処するのが辛くなってきたので、ブレイブウォールで状態異常無視を常時かけることにした。
魔力は馬鹿食いするけれど、今はシルフィがメイン火力だし問題ないだろう。
「あそこ!あの泉の前なのだわ」
そこには森の中とは打って変わって、すっきりとした奇麗で澄んだ空気だ。木々の間から天然のスポットライトが何本も降りてきている。
その光が泉に当たってキラキラと輝いているのがすごく幻想的だ。
「わー美しいですわね!」
「うん!さっきまでじめじめと真っ暗だったのに、ここはすごく澄んでいて気持ちがいい」
「……うぇへへ……あ、あたし、にがて……し、死霊がすくない」
「い、いることはいるんだ……」
シルフィが石碑の文字盤のところへ手を置く。
すると、ぶわんと音を立てて泉の中央に空間の歪ができた。石碑は魔力の認証装置になっていたようだ。
「じゃああそこまで行くのだわ」
「ど、どうやって?」
「アーシュはジャンプすればいいのだわ?」
「道ができたり仕掛けがあるわけじゃないんだ……」
「……ま、魔女……低くなら……み、みんなとべる」
「そういうことか」
そもそもここには魔女しか来ない事が前提だった。
魔女見習いもエリクサーを飲んでから召喚されるので、そのレベルなら通路は必要ないってことのようだ。
そうしてボクたちは空間の歪へと足を踏み入れた。
空間の歪の先は先ほどの泉と同じかそれ以上に空気が澄んでいて、広いまるで草原のような場所だ。
そうそこは楽園ともいえるべき、花と自然に囲まれた教会のような建物がある。
さらに奥には本当に巨大な木、大樹と呼ばれる木がそびえたっている。見上げてもてっぺんが見えないほど高い。
「ふむ……なーんか、嫌な予感なのだわ……」
「……うへ……魔力……おお、おおきいのがいる」
「オババじゃないの?」
「ひぃいい……」
「……ち、ちがう。……オ、オババ死ぬ間際?……だ、だから後任?」
「うーむ。生きている上位魔女なんて、他はあったことがないのだわ」
「……あ、あたし。……し、しってる。オ、オババのほかに二人会った」
「じゃあオババは本当に間際なのか……」
オババともちがう上位魔女がいるらしい。魔女は国に雇われたりするので、上位魔女ともなれば、各国や教会にも強い発言力をもつ。
そんな人物にボクのことが知られたら厄介だ。極力魔力を抑えておいた方が良いだろう。
教会のような建物のほうへ歩いていくと、ボクと同じぐらいかそれより小さい子たちが何人かお話をしている。
「おい、ぬしたち。オババいるのだわ?」
「あんたたちだれ?ここは選ばれた魔女だけしか来れないのよ!」
「そうよそうよ!あたしよりちびのクセに生意気よ!」
「こぉんの!クソむぐぐぐっぐ」
ボクはあわててシルフィの口を押えた。いらないいざこざは避けよう。
「キミたち魔女の候補生?」
「そ、そうよ!……あ、そ、そうです」
ボクが話しかけると、急にその魔女の候補生の子は大人しくなった。浅栗色で三つ編みを後ろに回している、お嬢様のような出で立ちの可愛らしい子だ。きっといいところの貴族の子なのだろう。
それにあまり異性に免疫がないようだ。
「この子は白銀の精霊魔女って有名な魔女だよ?それに後ろにいるのは深淵の死霊魔女って魔女。知ってるだろ?」
「え!?あの有名な二大魔女!!??」
「うそ!?」
「嘘じゃないさ。ちっちゃくてもボクも驚くほど強いんだよ?」
「あ、あの……貴方は?」
「ボクはアシュインっていうんだ。よろしくね……えーと」
「あ……あたし、わたくしはミーシャ・ル・ユランテアスと申します」
そういってスカートをつまんで少し傅いて挨拶をする。本当に貴族の令嬢のようだ。そんな令嬢が魔女の才能もあるし、この可愛さだ。天は二物を与えないなんて嘘だな。
「まぁ……貴方がユランテアス家の……」
「ちょ……エル、いやベアトリーチェは黙ってて」
「あ……そうでしたわ。失礼しました!」
王国の人間同士だったらなおさらバレては不味いだろうことをすっかり忘れているエル。やっぱりどこか抜けているのが彼女らしくて苦笑する。
「さて小娘。オババのところに案内するのだわ」
「む~いくら白銀の精霊魔女でも気に喰わないわ!アシュイン様にべったりくっついて!」
なんか変な戦争がはじまりそうだった。ミーシャは初対面なのになぜかボクを気にしているようだ。単に異性が珍しいだけじゃないのか。
「ごめん。負傷者がいるから、オババ様に診てほしいんだよ」
「そ、そうでしたの。いまご案内いたしますね!」
ボクの話は素直に聞いてくれるようだ。こっちはけが人を抱えているから、無駄な争いは避けて、すぐに休ませてあげたい。
教会の中に入り、礼拝堂の奥手の部屋へと案内される。廊下が奥へと続いていて、各部屋は魔女たちが寝泊まりしている部屋の様だ。
その中の一室に医務室と書かれている文字が見えた。
「負傷者はここへ寝かせてください。オババを呼んできます」
「ああ……ありがとうねミーシャ」
「ひぁ……は、ひゃい!」
ミーシャの語彙がだんだんと悪くなっている気がする。いそいそと部屋を出て行った。
「オババはおそらく祠なのだわ。魔力を捧げる儀式をしているはず」
「……うへ……へ、平気……かな?」
「うーむ。魔力が減ってるから、たぶん機嫌がわるいのだわ……」
「ははは……タイミングを間違えたね」
「いいのだわ?アーシュは黙っているのだわ」
「うん……任せるよ」
しばらくまっていると、ノックの音が響きオババこと混沌の魔女をミーシュが連れてきてくれた。
オババはかなり高齢のようで、歩くのもきつそうだ。小柄でローブで身をつつみ、表情をあまり見せない。
「ふん!二人は久しぶりだね。けが人抱えてここに来るなんて馬鹿だろ」
「うるさい、ひさしぶりなのだわ!」
「……うぇへへ……げ、げんきぃ?」
憎まれ口をたたく婆さんのようだ。
「みりゃわかるだろ?もう時期引退だわ。白銀が変わりやってくれるのかぃ?」
「やらんのだわ。それに契約者ができたのだわ」
「へ~そいつぁめでたい!ついにあの天才精霊が落ち着く時がきたのか!」
シルフィは天才扱いをされているようで、魔女の中でもかなり優秀だったのだろう。ただ契約相手がボクであることは言わない方向のようだ。
「あ、あちのことはいいのだわ。それよりキルアルラネルの毒を負ったやつがおるのだわ」
「そいつあぁめずらしいね。倒せたのかぃ?」
「……み、みてない……すでに毒……おってた」
「……そういかいぃソイツぁ残念」
「……ど、毒……な、治せるぅ?」
「ああぁ治せるが……ただじゃやってやらないよ」
「ち……ゴウツクばばぁめ……あばばあばばば」
「聞こえてるよ!」
もうかなり高齢にみえるのにシルフィより上手とは、すごい婆さんだ。それにここに住んでいるということは、金銭の対価じゃ動かないだろう。
「……だ、だめぇ?」
「……ええぃクリス!きもいから寄るんじゃないよ!」
婆さんにも煙たがられているのか……不憫な子。
「そうだなぁ……
そういってオババはボクたちをみる。品定めをして何か良い報酬がないか探っているのか。それとも……
……じゃあ五日ほど泊っていきな。それからそこの少年を貸しな!五日間は誰も会うことは許さない」
五日なら、用事を済ませてゲートで帰れば演劇の期日には余裕があるくらいだ。
「ボクのことですか?」
「ああぁ、おまえだよ。名は?」
「アシュインと言います」
「礼儀は正しいし良い子だ。それに……
大丈夫、魔力は抑えている。それに魔臓をもっている悪魔と違って、人間のボクは魔力の質は普通の人と大差がないはず。
しかしやっぱりナナがいないとこういう時に困ってしまう。
……なぁに。とってくいやしないよ。そこそこ魔力はあるみたいだし?五日間、大樹に魔力を注いでもらうだけさね」
「わ、わかりました……この子の毒の方をよろしくお願いします」
「ああぁ……すぐに治してやる。ミーシャ。この子たちに泊まる部屋を用意してあげな。それからアシュインはここにのこりな」
「は、はいオババさま」
「あ、はい」
ミーシャとみんなは出て行ってしまう。ずっとシルフィが心配そうにこっちを見ていたから、大丈夫と念話で伝えた。
この老婆にボクの何が見えてるのだろうか?そんなに理解がない人物には思えないが、警戒はしておこう。
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