勇者が世界を滅ぼす日
閑話 シルフィの想い
あちはシルフィ、この名前はアーシュに付けてもらった大切な名前。もともとは名前何てない。
いつの間にか、やれ『白銀』だの『魔女様』だの、挙句の果てに『白銀の精霊魔女』なんて名前で有名になっていた。
数千年生きてきたのに、名前を付けてくれた人なんて初めてだ。
あちの名前を付けるということは、どういうことなのかアーシュは理解していないようだった。精霊の真名を決定するという行為は、運命の仮契約なのだ。
大量に魔力を要するため、それだけで死んでしまって結局名付けられない事が多い。
アーシュの魔力は異常なほど多かった。それにすごく純度が高くてとても美しい魔力だった。
「……どうしたのかな?」
「……」
初めて声を掛けられたときに、あちの心臓の鐘が鳴った。
この澄み切った美しい魔力と優しい微笑みに、見惚れてしまったのだ。
いや完全に身体隅々の細胞の一つ一つにまで、その感情に支配された。
……数千年生きてきて初めての感覚。
この時とある失態で魔法封じられていたため、話をすることもままならなかったから必死にしがみついた。
この人しかいない。
妾でも慰み者でもなんでもいい。
ほんの少しだけでも、あちに微笑んでくれたらそれでいい。
今を逃したらこの先の何千年と続く人生の全てが灰色と化し、生きる気力すら失ってしまうだろうと……。
だから必死にしがみついた。
口にはできないけれど、一緒にいてほしい。
アーシュは、とにかく悪魔のアイリスばかりを見ていた。その優しい微笑みの1/1000でもあちに向けてくれたらなと思った。
出会った後、人間の村へと行くことになったので、緩衝役としてあちも同行できることになった。まだアーシュと居られる。うれしい。
同行していたアミという人間は、すごく弱くてアーシュの敵とおもわしき人物に操られてしまった。そしてアイリスの魔力なら抵抗が出来そうなものだけれど、彼女も操られていた。
魔法封じのせいで、話もできないし魔法も使えない。あちはアーシュに抱えられていて、完全にお荷物だった。
くやしそうなアーシュを見ていると、すごく悲しい。なんとかしてあげたい。
さらに最愛のアイリスに切られてしまう。そのショックにアーシュは血が出るほど唇をかみしめている。
そのときあちの頬にアーシュの血がぽたりと滴って来た。
その血には、高純度な魔力が含まれていた。
アーシュの助けになるのなら、あちが悪魔になろう。
あちはアーシュの傷口を舐めて、大量の魔力を奪った。本人の許可も得ていないのにだ。最悪な選択だ。
「ケケケケ!! あちのアーシュがやられるわけないのだわ!!」
そう強がって気勢をあげた。……ごめんなさい。
結局、アミの洗脳はあちが解除できたが、アイリスには逃げられてしまった。大量の魔力まで奪ったのに、大したことが出来なかった。
アーシュは悔しそうに床をたたいている。
そんなアーシュの悲しそうな顔は見たくない。できるだけ優しく抱きしめて、慰めた。あちは大きなものをアーシュからもらったのに、こんなことしかできない。それでもひと時の慰めになればと思った。
その日、アーシュはあちの小さな胸で泣いたまま眠った。
アーシュは魔王領の代表をしていると言う。アイリスを追いかけたい衝動を抑え、部下に命令するにとどまった。
本当はアイリスとアーシュの二人で治めていく予定だったのだろう。
基本的には幹部であるルシファーが実務、指示命令するので、アーシュは代表としての顔と、大綱をだせばよいだけだ。
それに悪魔領は国の体をとっていない。法律もなく、多くが知能を持たない魔物が生息する土地。わざわざ興国する必要もない。
だから幹部が処理できない問題や、自らに関係すること、アイリスに関することはなるべくアシュイン自らで動いている。
アーシュの当初の目的は、人間への復讐とゆるやかな支配が目的だったけれど、支配というよりは交易で程よいパワーバランスをとれればそれでよいと思っているようだ。
いま彼を支えられるのは、あちだけだ。幸いあちの知識はアーシュの力に慣れているようで、うれしかった。
それからアーシュと一緒にいる時間がたくさんできて、あちは幸せにな気持ちになった。アイリスのことを考えているアーシュに後ろめたさを感じてはいたが、わずかな気持ちがこちらに向いていたのでそれだけで嬉しい。
そしてずっと一緒にいたから、アーシュの特異性はすぐに気が付いた。
魔力の多さ。普段は極限まで抑えていて誰も気が付かないけれど、これは魔王クラスといっても過言ではない。あちが復活するために必要な魔力を2度ほど奪っても、ちょっと力が抜けて疲れる程度で済んでいる。
あちがそう思っていた時、ちょうど『魔力スカウター』なる便利な道具を、技術者が試作したそうだ。
試作品でもそれは優秀だった。アーシュの数値が異常に高かくて、みなは故障だといっていたけれど、正しい数値だと思う。
それにあの格闘術だ。
あちは元々勝負ごとが好きだったから、格闘も長年研究し、嗜んでいた。しかしアーシュと勝負して辛勝だった。
彼はまだ十数年しか生きていないはずなのに、この修練度は異常だ。
魔力ならば生まれ持った才がものをいうし、生物学的な構造が理由であると言えば説明が付く。しかし格闘術のような経験がものをいう技をこれほど身に着けているなど、ありえない話だ。だから拳を交えた瞬間に真の勇者であり『勇者の福音』持ちだと直感した。
そこであちは彼の能力を調べてみることにした。『心眼』スキルはもっていないが、魔法と術を組み合わせた魔法陣を使えば、ほとんどを詳らかにできる。
――――
アシュイン
15歳
男
勇者
魔力値11、273,300
悪魔の契約
精霊の契約
勇者の福音
勇者の血
勇者の壁
勇者の剣技
初級魔法
転送魔法
――――
あちはこれに衝撃をうけて、絶望した。
そんな……アーシュは『勇者の血』をもっているではないか。
あちもはるか昔に上位魔女から『勇者の血』のスキルは魔王、魔女ですら恐れるものだと聞いていた。
原理は反魔核と同じで対消滅をおこしてすべてを消し去る。それこそ止めることが出来なかったら、世界ごと丸呑みするのだ。
これを発見した場合には、何が起きるかわからないから魔女への通達は必須。そして上位魔女が研究していた除去方法を試すことが魔女の教書に記されている。
万が一発動したときの対処の仕方は、明確に魔法陣まで書かれている。おそらくこれについてはすでに成されたことなのだろう。
そのうちのいくつかの除去方法は試した。問題がありそうなものはアーシュが寝ているうちに試した。
だってアレを飲んだり、ソレを飲ませたりと色々と衛生教育上わるいものまで記されていたのだわ。……おっと、いたのだ。
それでも《勇者の血》を消し去るほどの効果はなかった。わかっている発動条件は、大きな感情と大きな魔力変動が同時に起きたとき。
あちはアーシュと離れたくないという個人的な思いもあって、ずっとそばでそんなことが起きないようにしていたのだ。
しかしアイリスのこととなると、どうしても感情的にならざるをえないアーシュ。あまりアイリスのことを考えて悩まないでほしいと、出来るだけ甘えさせて忘れさてやろうと思った。
いやそれはあちがしたいだけ。それを言い訳にしているだけだ。それでも少しでも可能性がある事は全部やりたい。
でもあちに向けられている気持ちだけじゃ足りないから、あちはアーシュに好意を持ってくれている周囲の女性も焚きつけた。
あちに気にしなくていいから繋がりをもって、もっと信頼し合える人を作る必要がある。
あんなことが、もう一度起きれば、今度こそ彼の心は壊れて、本気の『勇者の血』が発動してしまう。
いや発動より、アーシュの心が壊れるのがすごく嫌だ。
繋がりを作る事は、『勇者の福音』の揺り返しが起きたときの対策ということにしてあるが、『勇者の血』が発動した時にも有効と言えるだろう。彼が信頼できるものを思い出してくれれば、それだけで生存の可能性が生まれる。
その甲斐あって、彼にはさまざまな繋がりや信頼ができた。彼自身が築いた絆は、自身の信頼へとつながる。
あちもできるだけ、支え甘え愛した。
それでもアイリスに会えないことが、彼の心を不安定にさせていた。気丈には振舞っているけれど、あちにはわかる。ちょっとした拍子にそれは噴きこぼれてしまうことが。
そのきっかけはやはりアイリスだった。
ついに来てしまった。
――そう。『勇者の血』の発動。
やばいやばいやばいやばいやばいやばいのだわ!!!
あちは恐怖で身体の震えが芯から浮かび上がるのを必死でこらえて、叫んだ。
「アビスバインドを解くのだわ!そして彼をヘルホールで包め!」
「ぐひひひいいいい、ななななぁにこれ!!!!」
「いいからやれ!くそばばぁ!!!!」
「……ヘルホール!」
クリスティアーネのヘルホールという魔法が彼を包む。
付け焼刃だけれど、ほんの少し時間が稼げる。
「はははは白銀のぉ!あああれ、なにぃいい??」
これを行ってしまえば、アーシュに他の魔女の手が伸びることは確実だ。言いたくないが、今を乗り切らないと未来が無い。
「『勇者の血』の保有者なのだわ……」
「ぐひぃぃいい!!ここ、こわいぃい!」
きっとクリスティアーネは、知り合いの魔女に言いふらすだろう。魔女からはきっとあちが守って見せる!
「いいから手伝え!じゃないと里どころか高山ごとなくなるのだわ!」
「うううん!やや、やるよぉ。だ、だから、いいいじめないでぇ!」
気持ち悪い研究をしているし、本人も気持ち悪い。けれどこの女はやるときはやる魔法の天才。『グランディオル戦争』時には対峙したなんて歴史に残ってしまった。まさに黒歴史だ。
でも実際は口喧嘩して、ひっぱたいて言い負かしただけ。
だからあちは、この女を認めて、頼ることにした。
「よーしよし。じゃあ魔女の教書の第三十二章の魔法陣をアーシュを中心に書くのだわ!」
「ごごご、ごめんなさいぃいい!」
「あん?」
「おお、お茶をこぼしてぐちゃぐちゃになったから捨てちゃった……」
「あほーーー!!あちの貸してやるからそれを見ろ!」
このくそばばぁ!あちは亜空間部屋から魔女の教書を取り出して、ばばぁに投げつける。
ばばぁが魔法陣を書いている間に、精神安定をする魔法を何発かアーシュへ打ち込む。単なる時間稼ぎだ。
「精神干渉!、精神干渉!」
それから効果を倍加する魔法陣を、クリスティアーネが書いている魔法陣の外側に追記していく。
これであちもクリスティアーネも魔力が尽きるはずだから、秘蔵の魔力回復剤をだした。三本あるうちの二本を渡す。
「これを一本飲めなのだわ!」
「いいい、いいのぉお?ここ、こんなに優しくしてくれるなんてぇ!!やっぱりお友達になってくれるのぉ?」
こいつはこればかり。気持ち悪いから友達ができないばばぁだ。
潤んだ眼でこちらを見ている暇があるなら早く飲んでほしい。
詠唱するのにまた魔力が馬鹿食いするのだ。そして詠唱終了と同時にもう一本飲むように指示する。
「おいばばぁ!準備はよいのだわ?」
「やや、やっぱり、お友達じゃないのぉお?」
「ふん……いくのだわクリスティアーネ?」
「……ううう、うん!ぐひひ」
そう言うと魔法陣の対面側にクリスティアーネが立ち、あちと同じように魔力を放出する姿勢になる。そしてゆっくりと地面の魔法陣へ手を当て、魔力を流していく。
「「万物の神よ、天と地の聖霊よ、六大元素のすべての力を緩和し、因果の荒波に静寂を与え給え……因果の祝詞!!!」」
キュアァアアアアアアア!!
劈く音と共に魔法陣が光り出し、二人の魔力がごっそりと引きずり出される。もう止めることはできない。そう。これから引きずり出される魔力を回復させる、あちの分がない。
だからこれは賭けだ。
効果が出た直後にアーシュから奪えれば、あちは助かる。アーシュの魔力はほぼ全部残っている状態だ。あちの分を奪ったところで、ちょっと疲れる程度。
でもアーシュの『勇者の血』の収束速度が、あちの魔力減衰より遅かったら終わりだ。
ごりごりと魔力が減っていく……。
ぞわっと足が引っ張られるような、心臓を引き抜かれ、全身が一瞬で貧血になったような感覚になる。
「……ぅあ」
眩暈が起き、世界がぐるぐると回りだして、吐きそうになる。そうしているうちに『勇者の血』の収束が始まった。
声が出ないので、指でクリスティアーネに指示をだし、ヘルホールの解除を指示する。解除した彼女は魔力回復剤を飲んでいるのが見えた。
彼女は大丈夫だろう。
そして収束を追いかけるように、あちはアーシュのいる方へ歩いていく。
はやく……
はやく……アーシュ
はやく、おわって……
はやく……
はや……
あ……
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