勇者が世界を滅ぼす日

みくりや

悪魔の契約





 散々だった旅の最後はダムランの町。
 王国の南西に位置しているカルド海よりやや陸地に入ったところにある。
 すぐ近くには岩山と森があってその先は魔王領だ。魔王領との境界はどこも険しく入り組んでいるため、ここからが一番侵入しやすい。
 パーティーで来た時も、ここの町を拠点に侵入したものだ。
 この町はさほど大きくなく、やや寂れている。魔王領の近くだからなのか、兵士崩れや荒くれた冒険者が多い。


 ボクはここでひっそりと暮らしていこうと思っている。
 別に勇者じゃなくたっていい。日銭を稼いで誰か好きな人を見つけて、つつましく暮らしたい。












 少しお腹がすいたので、ギルド横の食堂へ入ってみることにした。冒険者ギルドと内側通路でつながっていて、冒険者の憩いの場になっている。


 豚の腸詰とシュワプという少しアルコールの入った飲み物を注文した。ちびちびと腸詰をおつまみに飲んでいると、周囲の冒険者の話が聞こえてくる。




「魔王討伐されたんだってなぁ。魔物が減って稼ぎも減っちまったぜ!」
「勇者ケインだろ? 迷惑な話だぜ!」
「でも魔物の侵攻を食い止めたんだろ? 伝説になってらぁ」




 ……勇者ケイン・・・
 この町に来たのは討伐の旅の初期の頃だ。それなのにボクの名前は一切出されていない。そしてケインが既に成り代わっていた。
 まさか……。




「なぁ、それをやったのはケインって勇者なのか?」
「あぁ……おれぁ見たからな。まだ少年だったが男らしかっ……た?」




 いてもたってもいられなくなって、冒険者に質問をしてみた。するとこちらを見て、彼らは目を丸くする。




「おい……おまえ、勇者ケインじゃねぇか!」
「まじかよ!」




 やはり勘違いしている。
 この時にはすでにケインはボクに成り代わっていた。彼らは勇者がケインという名であったと、完全に刷り込まれている。




「いや……ボクは…」
「おめぇ……覚えているぞ!その暑っ苦しいマント! それに女みてぇな可愛い顔!」
「おめぇら! 勇者ケインが戻って来たぞ!!」




「ち、ちがうんだ!」




 食堂は大騒ぎになってしまい、逃げるようにその場を後にした。ずけずけと気にしていることを言われたせいでもある。




 ……そういう事か……。
 魔王領に入る前から……いや、王国も承知の上だとするのなら、この魔王討伐自体が仕組まれていたと言う事ではないだろうか。




 ……ボクはバカか……はじめっから騙されていたんじゃないか。




 それに気がついてしまった。
 こんな茶番の為に、魔王を殺してしまったという事実に。


 戦いを通じて奴の思いは伝わって来た。そして奴にも暮らしがあり、生活があって仲間や家族もいた。あの旅では見つけられなかったが、事前の情報では子供がいたはずだ。
 つまりボクたちと何ら変わらない生活をしていた。




 ……無駄に父親の命を奪ってしまったのか。




 そう思うと手が震えた。顔が青ざめた。こんなものただの殺人鬼マーダラーと変わらない。
 ……これが……これが魔王討伐の時からずっと胸に抱えていた靄の正体か。
 頭が真っ白になって、気がつけば魔王領へと足を踏み入れていた。








 森の中を歩く。月明かりに照らされているおかげで夜道もさほど苦ではない。
 それに強い魔物は以前来た時に倒してしまったから、気配を殺しておけば、襲い掛かってくることもないようだ。




 ボクの旅は終わりではない。行先は再び魔王城だ。
 謝っても許されるようなことではないのは、分かっているけれど懺悔したい。もし悪魔たちが、魔王の子供が苦しんでいるのなら助けたい。
 ただのおせっかい。偽善、欺瞞。




 ……それでも何もせずにのうのうと生きていたくないのだ。
























 道中に小さな悪魔族の村があった。
 そこではみんなが人間と同じように、つつましく暮らしている。夫婦や子供、お年寄りがいた。


 村の悪魔たちはとても穏やかな性格だ。誰しもが人間であるボクを手厚くもてなしてくれた。あれだけ人間が魔王領を引っ掻き回したと言うのに。
 それは彼らに限らず、悪魔は皆そうだと言う。


 ボクや人間側の認識が、間違えていると気がついた。


 そして勇者パーティーであったことも話した。懺悔の旅であること彼らの不満や不安、そして恨みを受け入れる覚悟で。
 恐れがあったものの、受け入れてくれた。
 代わりに恨みや不満がある物の相手をし、そして大きな傷を負った者の治癒を、これからの不安がある物には相談を、出来る限りのことをした。


 一か月ほど経って、村に活気が戻った頃。再び魔王城を目指すことにした。まだ彼らと同じような村があるかもしれない。魔王城もそうなっているかもしれない。
 魔王領が復興するまで、この旅は終わらないだろう。




「おにいちゃん。絶対また来てね!」
「アシュインすき~いっちゃやだ~」
「ごめんね……いつか戻ってくるから、お兄ちゃんが守ってあげて」
「ふぁ……」
「……うん。守るよ!」




 頭を撫でてやると気持ちよさそうに目を細める女の子と、そのお兄ちゃん。お兄ちゃんとは拳を合せて約束する。
 守ってあげたいけれど、ボクはやるべきことがある。










 村からは北へ走り一気に魔王城を目指す。
 魔王領の大部分は森や岩山、険しい道とも言えない道がほとんどだ。すり抜けるように走り抜ける。
 とにかくぶっ続けで走り続けた。急ぐ必要もなかったけれど、悪魔族の小さな村で感じた焦燥感。そして熱い気持ち、決意がボクを掻き立てた。




 走る。走る。走る。




 気が付けば魔王城の前に立っていた。
 以前パーティーで来た時には半年ほどかかった道を、わずか二日で踏破していたのだ。それほどに集中していた。


 今はもう夜。辺りは薄暗いけれど、満月の明かりが行先を照らしてくれる。
 聳え立つ魔王城は静かでいて、当時感じていた威圧感はない。周囲は荒れている土地だったが、見上げるそれはなんだか美しく見えた。


 城の天辺を見上げながら息を整え、魔王城の中へと足を踏み入れた。










 コツ……コツ……コツ……。




 魔王城は中も静まり返って閑散としていた。足音だけが響いている。魔道具のランプが通路を照らしているので暗くはない。


 魔物は一匹もいない。


 途中の広間ですら何もない。


 すっかり寂れてしまっている。


 何も遭遇しないまま、魔王の間についてしまった。








――巨大で重い扉を開ける。








 劣化が激しく、不快な音が響く。家主がいなくなってしまうと建物も急速に寂れてしまうようだ。


 中に入るとそこは冷気が漂い、寒々としていた。
 歩くと霜が降りている床から氷片やほこりが舞い上がり、窓から差し込んでくる月明かりに当たってキラキラと乱反射をしている。












 中央の奥にある王座には……悪魔が鎮座していた。


 心臓が高鳴っていくのがわかる。近づくにつれ、それが強く打ち付けている。


 悪魔がはっきりと見える位置までくると、心臓は激しく打撃を繰り返し最高潮まで登っていく。


 明るいイエローブロンドな髪、暴力的な黒山羊バフォメットのような角,薄氷のように儚く、透き通る白肌。


 こちらの気配にすっと彼女の瞳が開かれて、深紅が露わになる。その深紅は心の仲間で見透かされたような、気持ちにさせた。
 そしてボクの中で荒れ狂っていた心臓がぴたりと止まる。




――妖艶な容姿に、


――その美麗な魔力に、


――恍惚としたその妖艶さに、












一瞬でボクの心臓を握りつぶした。












――ごくり。




 思わず喉が鳴った。からからに干上がった。




 ……彼女と話がしたい。彼女の表情が見たい。彼女にもっと近づきたい。
 なんでもいいから、言葉にしろ! そう、自分に言い聞かせた。








「……懺悔にきた」
「…………え?」




 ひねり出した言葉としては、陳腐だ。けれど他に何も思いつかなかったのだから仕方がない。
 あとはもう滑るように続けるしかなかった。




「魔王を討伐した……パーティーの一人だ」
「……っ!! お、お前が……お前がぁっ!!」




――一瞬で間を詰める彼女。
 喉元に爪を掠める。死が目前に迫っているのに、それが嬉しくて仕方がない。……本当にどうにかなってしまったようだ。
 そして彼女に魅せられたボクは、いつの間にか……微笑んでいた。




 すると彼女は直前で爪を止めた。
 ちくりとわずかに食い込んだそれから、一滴の血が滴り落ちる。




「……お前……名は?」
「……アシュイン。 ……ただの荷物持ちだよ」
「魔王を……殺したのか?」
「いや……殺ったのは勇者ケイン・・・・・だ」




 ……咄嗟に嘘をついた。
 彼女に嫌われたくない。彼女ともっといたい。そんな浅はかな気持ちがついて出た。こんな気持ち初めてだ。
 最低な嘘であることは分かっていたが、気持ちが抑えられない。




「お前は……何をしに来たの?」
「……いったろ? 懺悔だよ。……でも気が変わった」
「……殺し合いでもする?」




 ギョロリとボクの心の奥を貫く。
 この吸い込まれそうな瞳に、完全に殺されてしまったようだ。












「――いいや……キミが……ほしくなった」
「っ……」








 ……しばらく見つめ合う。
 目と目がくっついてしまいそうな距離。わずかに浅い彼女の吐息が、熱を帯びたように感じた。そして瞳は徐々に潤んでいく。
 それが耳に入るたびに、狂おしほどに想いが強くなる。






「……んっ……わたしはアイリス。魔王の娘よ」




 ふっと表情をくずし、わずかに頬を染めて不敵に微笑む彼女。その仕草にまた心が躍る。




「……ねぇ、アーシュ。……気に入ったわ……契約、してくれる?」




 そう言ってボクの手を取り、指を絡める。
 指から伝わる気持ちは、ボクと同じものであることがわかった。


 そして彼女は求めた。






 ――悪魔の契約を。






 わずかな音さえも消え、二人だけの空間。彼女の肩をやさしく抱き寄せる。
 まるで月夜のダンスを踊っているかのようだ。






 そして麗しき悪魔アイリスとボクは、キラキラと乱反射する幻想的なダイヤモンドダストに包まれながら……
























――唇を重ね合わせた。



















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