Kiss for witch

ibis

5話

「──良い景色ね」

 文化部棟の屋上。
 青空の下で大きく背伸びをする刀華が、フェンスの外の景色に感嘆のため息を漏らした。

「この学校って、屋上はいつも開放してあるの?」
「いや、文化部棟だけだァ。ここは屋上の鍵がぶっ壊れてるからなァ」
「……さも当然のように案内されたから、てっきり出入り自由かと思ってたのだけど……もしかして、今先生に見つかったら怒られるのかしら?」
「あァ。ここの屋上を使うンなら、バレねェように気を付けろよォ……まァ、それより──」

 スッと瞳を細め、夜行が刀華を睨み付ける。
 そんな夜行の様子に気づき、刀華も夜行と向き合って身構えた。

「テメェ、魔法使いだなァ?」
「……そう言うアナタも、魔法使いね?」
「あァ? オレァ別に魔法使いじゃねェよォ」
「嘘ね。体から溢れ出る魔力に……何より、その体に掛かってる魔法。何の魔法か知らないけど──それが、アナタが魔法使いである証拠よ」

 刀華が虚空に手を伸ばし──カッと、刀華の体が光に包まれる。
 視界を灼く光に、思わず夜行は眩しさから目を閉じ──次に瞳を開いた時、そこには和服姿の刀華がいた。
 ──その手には、黒色の刀が握られている。
 魔力による変身──殺気を放つ刀華の姿に、夜行は臨戦体勢に入った。

「わざわざ魔法使いである事を指摘するなんて──目的は、『魔法大戦闘ラグナロク』以外に無いわよね?」
「はっ。やっぱお前ら魔法使いってのァイカれてるなァ。変に偏った考え方しかできねェのかァ? つーかそもそも、オレァ魔法使いじゃ──」
「言葉は必要ないわ。アナタも早く変身したら?」

 刀華の問い掛けに、夜行は大きくため息を吐き──両拳を顔の前にまで持ち上げる。
 左半身を前に、右半身を後ろにして、ファイティングポーズを取った。
 ──ゴチャゴチャ言ってないで、るんならとっとと掛かって来い。
 態度でそう言う夜行に対し、刀華は刀を正面に構えた。

「……そう、変身する気は無いのね。なら、遠慮なくいかせてもらうわ──」

 一瞬、刀華の体が淡く輝いた。
 直後──刀華が夜行の目の前に現れる。
 そして──ヒュオッという風を切る音。
 ──黒い刀の切っ先が、夜行の喉を貫かんと迫っている。
 咄嗟に体を左前に倒しながら拳を放ち──黒い刀が虚空を穿った。

「へぇ──」
「おらァッ!」

 黒い刀と交差するようにして放たれた拳が、無防備となっている刀華の顔面を打ち抜く──寸前、刀華が大きく体を捻り、その捻りを利用して刀を振り抜いた。
 拳を素早く引き戻し、地面スレスレにまでしゃがむ事で刀撃を避け──そこから勢いを付け、刀華の顎に向けてアッパーを放つ。
 確実に刀華の顎を捉えたと見えたその一撃は──だが寸前で避けられ、刀華が大きく後ろに飛んだ。
 ──瞬く間に繰り広げられた、尋常ならざる攻防。
 生身の人間とは思えぬ身体能力に、刀華は納得したように目を細めた。

「……なるほど。アナタの体に掛けられている魔法は、身体強化の魔法ね?」
「あのなァ……人の話は最後まで聞けェ。何度も言うが、オレァ魔法使いじゃねェ。ンでもって、テメェの事を魔法使いだって指摘したのにァ別に理由が──」

 何かを言い掛け──バッと、夜行がその場から飛び退いた。
 直後──先ほどまで夜行のいた所を、黒い軌跡が走り抜ける。

「しぃ──ッ!」
「チッ……!」

 神速で振るわれる刀撃を、ギリギリで躱し続ける。
 ──読め。動きを読め。
 足の動き、視線の向き、力の入れ方──それらを一瞬で読み取り、避け続けろ。
 動きを読めないのなら、相手を誘導しろ。常に主導権を持って、相手を翻弄し続けろ。
 相手を誘導できないのなら、己の動体視力で躱せ。一瞬でも視線を逸らせば、命は無いと思え。

「ふゥ──」

 両腕から力を抜き、軽やかな動作で刀撃を避ける夜行。
 派手に動かず、必要最小限の動きだけで刀撃を避けるその姿は──まるで、刀華の攻撃が夜行を避けているかのようだ。

「この──ッ!」

 しかし──ここから反撃するとなると、話は変わってくる。
 相手は魔法使い。どんな攻撃手段を持っているか不明。下手に反撃しようとすれば、その瞬間に魔法で返り討ちにされる可能性もある。
 だが──その可能性は低いかも知れない。
 先ほどの攻防でも、魔法を使うような素振りは見せなかった。今もこうして刀を振るっているが、魔法を使うような雰囲気はない。

「お前──身体強化の魔法しか使えねェなァ?」

 先ほど刀華が、夜行の体に掛けられているのは身体強化の魔法だと言っていた。
 その刀華の体が、夜行に攻撃を仕掛ける直前、何やら淡く輝いていた。
 そして──刀華の動きが俊敏になった。
 つまり、あの光は──身体強化の魔法である可能性が高い。
 あくまで予想だけなので、夜行はカマをかけてみたのだが──

「……よく気づいたわね」

 ──どうやら、事実だったらしい。

「はン。他に魔法が使えるンなら、とっくに使ってンだろうがよォ」
「……それもそうね」
「だったらお前に勝ち目はねェ。お前の身体強化の魔法も、オレにァ通用しねェからなァ。大人しくオレの話を聞いたらどうだァ?」
「……何か、勘違いをしているようだけど」

 背筋を伸ばす刀華が、刃物のように鋭い瞳で夜行を睨め付ける。

「──身体強化の魔法が、これで全力だとでも?」

 そう言って、刀華がゆっくりと瞳を閉じた──瞬間、刀華の体が淡い光に包まれる。
 ──ゾクッと、夜行の背筋に寒気が走った。
 まるで鋭利な刃物で体を直接撫で回されているような殺気──思わず夜行が拳を強く握った。

「アナタが変身してから本気で戦おうと思って遠慮していたけど──もう様子見はやめたわ。生身の人間を傷付ける趣味はないけど……変身しないアナタが悪い、って思う事にするわね」

 顔から一切の表情を消す刀華が、ゆっくりと刀を持ち上げ──スッと、切っ先を夜行に向ける。
 ──コイツは、マジでヤバいかも知れない。
 今までに感じた事のない殺気を前に、夜行はいつぶりになるかわからない恐怖を覚えた。

「それじゃ──行くわよ」
「──ッ!」

 ──刀華の姿が消えた。
 直後──何故か夜行が前に飛んだ。
 ──ヒュッという風を切る音。
 振り返ると──そこには、刀を振り抜いた状態の刀華の姿が。

「……へぇ? よく避けたわね」
「なンっだそりゃァ……?! いくらなンでも速すぎンだろォ……?!」
「アナタが何人の魔法使いを倒しているか知らないけど──私は現時点で、81人の魔法使いを倒してるの。そう簡単に勝てるとは思わない事ね」

 刀華がふらりと体を揺らし──再び消えた。
 咄嗟に身を屈め──先ほどまで夜行の頭があった所を黒色の斬撃が走り抜ける。
 ──これは、本格的にヤバい。
 肌を刺すような殺気を感じ取れるから、姿が見えなくてもなんとか避ける事ができている。
 だが──このままだとまずい。
 こんなの、いつやられても──

「──しッ!」
「ヤベッ──」

 ほんの一瞬、殺気を感じ取るのが遅れ、それに釣られて回避が遅れた。
 ──その隙を刀華は見逃さない。
 一気にふところに飛び込んだ刀華が、夜行の腹部を斬り裂かんと刀を振り抜き──

「ん──?」

 何かを感じ取ったのか、素早くその場から飛び退いた。
 直後──ボウッ! と、夜行の目の前が燃え上がる。
 一体何が──驚愕に固まる夜行の耳に、聞き慣れた少女の声が飛び込んできた。

「……そう。二人目の魔法使いがいるなんて、予想外だったわ」
「──な、百鬼くん、大丈夫ですか?」
「鴇坂ァ……? お前、なンでここに──」
「飲み物でも買いに行こうと自動販売機に向かっていたら、何やら百鬼くん以外の魔法の気配を感じ取ったので……空中飛行の魔法で、こちらに」

 スタッと、夜行の隣に雲雀が降り立った。
 ──あの魔法少女のような格好で。

「……お前、その姿で飛ンで来たのかァ?」
「大丈夫です。誰にも見られていません。見られる可能性があるなら、そもそも変身なんてしませんよ」
「……まァ、それなら別にいいけどよォ」
「それより──今は、破闇さんですよね」

 第二の魔法使いが現れた事により、刀華は警戒を深めて固まっている。

「……というか質問なんですけど、なんで百鬼くんと破闇さんが戦っているんですか?」
「知らねェよォ。アイツが魔法使いっつーのを指摘したら、いきなり攻撃してきやがったンだァ。うまくいきゃァ部活に誘えるかと思ったが、ちっと厳しそうだなァ」

 舌打ち混じりの夜行の言葉に、雲雀は納得したように頷いた。
 そして、注意深くこちらを睨む刀華へと視線を向ける。

「は、破闇さん」
「……何かしら?」
「その……私たちは、破闇さんと戦う気はありません。ですので、変身を解いてもらえませんか?」
「……………」
「いきなり魔法使いである事を指摘されたら、『魔法大戦闘ラグナロク』を挑まれたと勘違いしてしまうのも当然ですが……百鬼くんにそんなつもりは全くありません。お願いします。変身を、解いて下さい」

 自分の身長ほどもある杖を地面に置き、刀華を正面から見据える雲雀。
 いつもの雲雀からは考えられない堂々とした姿に、夜行が感心したように目を見開き──口の中に感じる味に、首を傾げた。
 ──恐怖。
 よく見ると、雲雀の膝が小刻みに震えている。後ろに組んである両手は、これでもかというくらいに震えていた。

「……残念だけど」

 フッと刀華の姿が消え──雲雀の前に現れた。

「──アナタの言う事を、信じる事はできない」
「鴇坂──ッ!」

 ──魔法使いに変身している今、雲雀は斬られても死にはしない。実際に斬られているような痛みはあるが。
 逆に、生身である夜行の方が危険である。
 だから──助ける必要はない。
 頭ではわかっているが──夜行の体は動いていた。
 咄嗟に駆け出し、雲雀を突き飛ばそうとするが──間に合わない。
 黒い刀身が、雲雀の首を深々と斬り裂く──

「……………」
「……避けないのね?」
「先ほども言いましたが、あなたと戦う気はありませんので」

 ──雲雀の皮膚に触れるか触れないかの所で、刀が止まっている。
 数秒ほど、雲雀と刀華が見つめ合い──やがて、刀華が刀を収めた。
 そして──刀華の体が光に包まれる。
 光が晴れた時──そこには、制服姿の破闇がいた。

「破闇さん……」
「……勘違いしない事ね。私は別に、アナタの言う事を信じたわけじゃないわ。ただ……百鬼君がいつまで経っても魔法使いに変身しないから、もしかしたら魔法使いじゃない可能性もある、って思っただけ。それに……魔法使いである事を言い当てられて、『魔法大戦闘ラグナロク』を挑まれたって思い込んでたのは事実だし」

 ただし──

「そこまで言うのだから、私を納得させるだけの説明はできるのよね?」

 瞳を細めて問い掛けてくる刀華に対し、雲雀は力強く頷いた。

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