ブアメードの血

キャーリー

64

 佐藤静は嘆いていた。


マリアの言葉に踊らされて、慌てて外に飛び出したものの、兄がどこにいるのかわからない。


「お兄ちゃーん!」


冷たい雨に晒されながら、暗闇の中、懸命に探し続けている。


すぐに来た中津の力も借りて、辺りの雑木林の奥を覗き込んだりしているが、どこにも見当たらない。


 「一旦中に戻って、あのマリアって娘に訊いてはどうですか」


雨の音にかき消されぬよう、中津が静に少し大き目の声をかけた。


「そんなことをしてる間にも兄は…もうここで兄を見失う訳にはいかないんです。


中津さんだけ戻って訊いていただけませんか?」


「それはそうですが…こんな状況であなたを一人にする訳にも…」


「大丈夫です。何かあったら、さすがにすぐ中に戻りますので」


「…わかりました。


では周りに十分気を付けて。ゾンビがまた、どこから出てくるかわかりませんから」


中津はそう言って、邸宅の門に向かい、歩いて戻り始めた。


<よく考えたら、大の男一人をあの娘一人で、どうやって外まで運んできたのかしら。


岡嵜は医者というから、薬で昏睡状態にはできたはず…


それを家から運ぶなら車…


いえ、”その辺りに”と言ってたから、とても近いイメージ…


もしかしたら、台車…カート…或いは車いす…


それで運ぶなら、門から遠く離れるような無理はしないはず…


ということは、門から出てすぐ?>




中津は門の前で立ち止まると、振り返り、雑木林の方を懐中電灯で照らした。


<最初にここは探したはずだけど…>


中津は懐中電灯の光の輪に入る草むらを注意深く見つめながら、真っ直ぐ雑木林に向かい、歩を進める。


「これは…車輪の跡…?」


中津は道路のアスファルトが切れたところに、台車の轍を見つけた。


その下の雑木林に光を当てると、灰色のゴム製のエプロンが見える。


注意深く見ないと、ただのゴミのように見え、先ほどは見落としていた場所だ。


そして、そのエプロンの下には…




「静さん、こっち、こっちです!」


中津は静を呼ぶと、ぬかるんだ土に足をとられながらも、先に下に降りていく。


静もすぐに追いついて、中津の後ろから降りてきた。




「ここに人が…この人がお兄さん…?」


中津がエプロンをどけると、落ち葉と同化するように、胎児のように丸まった一志が横たわっていた。


昏睡状態ながらも、寒さで体の防御反応が働いたのだろうか。


「よく見せてください!」


静は自分の懐中電灯を中津に渡して、位置を入れ替わると、ズボンが汚れるのも気にせずに膝を地面に着いた。


中津はよく見えるように両手を上げて、二つの懐中電灯で照らす。


「お、お兄…ちゃん?」


変わり果てた兄の姿に、静でも初めは判然としなかった。


自分の知る兄とは余りにもかけ離れている。


しかし…


「お兄ちゃんです…間違いありません…」




 血は繋がらないとはいえ、長く一緒に暮らした兄妹。


それが一志とわかるのに時間はかからなかった。


「お兄ちゃん!お兄ちゃん! お兄ちゃ…しっかりして」


静は涙ぐんだ。


「息はあるようです。たぶん、麻酔でもかけられているのでしょう。


すぐに上まで運ばないと…でも、この坂をどうやって…」


中津は上を見て、考え込んだ。


ここから、道路までは二メートルの高さもないが、このぬかるみ、女二人で上げられるかどうか。


<それに、直接触れるというのは…>




「大丈夫です…私一人で…」


「え?!」


ためらっていた中津は、思わず驚きの声を上げた。


静が一志の体の下に両腕を差し込むと、いとも簡単に持ち上げたのだ。


いくら痩せこけている相手とは言え、信じられない力だ。


<な、なんなのこの娘?>


「滑らないように、後ろから腰を押していただけますか」


「わ、わかりました。あ、その前にこれを」


中津は懐中電灯を両のポケットにしまい、着ていた上着を脱ぐと、一志の腰の辺りを中心にかけた。


目のやり場に困るからね、という心の声は出さないで。




「ごめんね。


今まで探してあげられずに、ごめんね…」


静はそう涙声で呟きながら、元来た方に引き返す。


中津が静の尻を押し、あっさりと道路まで登り切った。




「さあ早く、中へ」


今度は中津が先導し、一志を抱えた静と共に急いで、裏庭の掃出し窓に向かった。


「所長!佐藤さんのお兄さんが見つかりました」


「池田さーん、兄が見つかりました!」


二人はびしょ濡れのまま中に入り、声を上げて池田を探す。




「…はなんだ!どこで手に入れた!」


奥の方から池田の怒声が聞こえた。


二人は声のする奥へと向かった。




 「…本当に知らないってば。


ママが昔から持ってたんだもん。


なんで、そんなに怒ってるの?」


「これはなあ、ニューホクブM60といって今は使われていない…」


その時、声を頼りに来た二人が現れた。


「どうしたんですか、所長」


「池田さん、お兄ちゃんが見つかりました!」


池田が驚いて振り返った。


真っ裸の一志を抱える静を見て、さらに驚く。


「え!静さん、大丈夫ですか!そんな…重いでしょう」


池田は一旦怒りを置き、静かに駆け寄る。


「中津、お前、何やってんだ、手伝え」


「当然、そうしようと思いましたよ!」


「私は大丈夫です。


それより、暖を取らないと…」


三人のやり取りを見て、マリアが肩をすくめる。


「しょうがないな。二人とも、こっち来て」


マリアは零を抱えたまま、リビングに戻り始めた。


池田は銃を上着の内ポケットにしまい、静から一志を抱き取ろうとする。


「あっ…」


中津が思わず、声を上げた。


「ん?なんだ?」


「ああ、かんせ…その…いえ、なんでもありません…」


池田は中津を訝しみながらも、一志を両腕で抱えた。


静から預かった写真で見た面影はなく、別人のようだ。


「これが、お兄さん?


痩せてるとはいえ、それなりに重いですね…」


池田はふらつきながら、マリアを追う。


前を進むマリアは零を余裕で抱えている様に見える。


そして、静もここまで一人でこの重さの一志を抱えてきた。


「中津、最近はあれか、女子大生の間でウェイトリフティングでも流行ってんのか」


「バカ言わないでください」


中津の言葉も上の空に、池田は考えながらリビングへ向かった。


 「さあ、そっちのソファに寝かせて。


着替えとか持って来る」


リビングに付いたマリアは、零を片方のソファに横たえ、次にドレッシングルームへと向かった。


池田はそれをちらりと目で追いながら、一志をもう片方のソファにゆっくりと置く。


「一志君、一志君…」


池田は片膝立ちで一志の脈を取ったり、髭まみれの頬を軽く叩いたりして、呼びかける。


が、一志はぴくりともしない。


「恐らく、麻酔を打たれているのではないかと」


中津が所在なげに、そばに立つ。




「一年半もの間、兄はここに閉じ込められていたのでしょうか。


でも、こんな家のどこに?」


静が辺りをきょろきょろ見回す。


「それはわかりませんが、さっき彼女は秘密基地って言っていましたから、そこかと…


恐らく、地下室でもあるのではないでしょうか」


「そうですか、ひどい…」


静は一旦俯いたが、すぐに顔を上げた。


「そうだ、池田さん…」


静がそばに来てしゃがみ、手を取って目を見つめる。


池田は澄んだ瞳に耐えきれず、目を少し背けた。


「色々ありましたけど、やっと、やっと、こうして兄が見つかりました。


池田さんたちのお蔭です。


本当にありがとうございます」


静は中津の方にも顔を向け、頭を下げる。


「いえ、そんな、滅相もない。引き受けた仕事をしたまでですし、その…」


池田はしどろもどろに言った、ただし握られた手は離さずに。


「ただ、お兄さんは…」


「所長、そこまでです」


中津が池田の言葉と、握り返す手も暗に止めた。


一志はウィルスに感染している。


改めて言わなくても、中津に限らず、静も当然それをわかっているはずだ。


「いつまで、手を取り合っているんですか。


それより、言いにくいことですが、その、手を洗われた方がよろしいのでは。


一志さんにお二人とも触られたのですから、感染するかもしれません…」


「え?もう俺らも感染してるんだろ」


「そう言われれば、私たちって、もう感染しているとして、なんでゾンビにならないんでしょうか」


静がもっともな疑問を口にした。


「だから、ブアメードの血の話で、トリックわかってるだろ。


要は不安になったり、怖がったりしなきゃいいだけの話じゃないのか」


池田は中津の方を見る。


「それはわかりませんけど…あの、ちゃんと動画をご覧になってないのですか。


活性化したオメガに感染したら、説明の手順なしに発症すると岡嵜が言っていたじゃないですか」


「それでも、噛まれたり、引っ掻かれたりしなきゃ平気だろ?」


「先に接触感染するとも言っていましたから、どうだか」


中津はそうは言ったものの、静の言うことも疑問だった。


<なぜ、自分たちはゾンビにならないのだろう?


水道水で感染はしているだろうし、動画の説明では、不安という意思が発症の鍵となるようなことを言っていた…


あとは時間の問題ではないのだろうか>




「君たちはゾンビにはならないよ、たぶんね」


そう言いながら、マリアが戻ってきた。


たくさんの衣類やバスタオルを入れたランドリーバスケットを手に持って。

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