ブアメードの血

キャーリー

47

 池田敬は緊張していた。




 佐藤親子の準備を待っている間、池田は探偵事務所の所員たちに、中津は自分の家族たちに、それぞれリネなどで、事の次第を連絡した。


そして、準備が整った池田たちは刑事らに見つからないように、靴を持って、そっとリビングの勝手口から家を出る。


勝はインカムの上からニット帽を被り、口にマスク、たすき掛けにした鞄、手には杖。


静は服を暗めのものに変え、勝と同じようにニット帽とインカムとマスク、背中に非常袋を背負い、手にはスキーのストック一本。


中津はインカムの上からジェットヘルメット、パソコン等を入れていたバッグをたすき掛け、手には静と同じスキーのストック一本。


池田はバイク用のプロテクターで完全防備し、リュックサックを背負い、手には杖。


そういった出で立ちで順に、正門とは反対の道路に抜ける裏門を足音を立てないよう、次々抜けて行く。


「取りあえず、西に向いましょう」


三人は裏口を閉める池田に言われるまま、歩を進めた。




 佐藤邸の玄関の前は凄惨な状態になっていた。


はたから見れば、住人を無慈悲に押さえつける警官たちの様子に、怒りの増した野次馬からさらに二人、それで不安に駆られた警官もさらに一人、それぞれ発症した。


正に負の連鎖。


家の中の様子に構っている暇などなかった。


収集が付かなくなった城は銃の使用を許可、その銃声が庭にこだました。




 「ん?今何か音がしませんでした?」


「いや、別に?」


「脅かさないでください」


静の疑問に勝と中津がそれぞれ答える。


「ふぅ、にしても、城刑事たちには気付かれなかったみたいだな」


玄関前の状態を知らない池田は、胸を撫で下ろす。


「それより、この元彼女さんのヘルメット、やっぱり、やめたいんですけど。


ずっと付けてたら重いし、視界も悪いんで」


中津が頭を左右に傾けて言った。


「うーん、それは思ってもみなかった。


やっぱ、頭で考えているようにはいかないな。


判断はお前に任せるよ」


「あ、じゃあ、私、それ被ってていいんですか。中津さんは私のニット帽を被ってもらえれば」


「…あ、いえ、それなら、私が被っています…」


静の申し出を中津は断った。


「確かに何事もないと、この恰好は大仰に見えなくもないですが…


それで池田さん、西と言っても、具体的にどこに向かうかをまだ聞いていないように思いますが、お考えはあるのでしょうか」


勝が落ち着かない様子で池田に訊いた。


「そうですね、とりあえず、多摩川方面に歩きましょうか。


あの川は両サイドに公園が続いて、特に夜は人が少ないでしょうから」


「なるほど」


勝が早速、先頭を切り、静、中津、池田と続く。


住宅街は、今のところ、何事もないように静まり返っている。


「まだ大丈夫のようだが、いつゾンビが襲ってくるとも限らない。


気を引き締めろ」


独り言のように言う池田に、中津も無言で頷く。


「しかし、このゾンビのやっかいな所は、実際は生きている人間だということだ。


仮想のゾンビのように死んだ人間なら、容赦はいらないだろうが、生きた人間を殺してしまうと最悪、殺人…


こんな状況で正当防衛もへったくれもないかもしれないが、それでもできるだけ構わず、逃げた方が良さそうだな…


…そうだ、うちの事務所の連中へは全員、連絡は着いたか?」


「いえ、それは確認していません」


池田と中津はスマートフォンを取り出した。


佐藤親子の準備を待っている間、リネの事務所員が登録しているグループに、簡単な説明と見たら返事をするように送っておいた。


見ると、既読の数が足らず、まだ二人から返事がない。


「光田と木塚の二人か」


「そのようですね」


「無事ならいいが…光田は柔道経験者だから少々襲われても大丈夫そうだが…木塚の方は…


あ、そう言えば…」




池田は先頭から最後尾の勝の所まで下がった。


「あの、佐藤教授は柔道か何かをされていたのですか?」


池田は勝が累を投げ飛ばしたシーンを思い出し、スマートフォンをしまいながら訊いた。


「ああ、そうですね。


子供の頃はいじめられっ子だったので始めたんですが、まあ、大学までです。


ただ、体は覚えてたようで…妻に使うことになるとは思ってもいませんでしたが…」


「また、余計な事を」


中津がぼそりと言った。


「ああ、すみません。


そういうつもりでは…」


池田はしどろもろどになり、


「あ、あの、ところで、静さん、おばあさんには連絡取れたのですか」


と、前を歩く静に歩調を合わせた。


「ああ、大丈夫です。


もう寝てたみたいで、初めは眠そうな声でしたけど、テレビを付けてもらったら、驚いてました」


「ああ、そうですか。


無事ならいいのですが」


「足が少し悪いので、戸締りしっかりして、暗くして外に出るなと言っておきました。


ただ、結局、母のことは伝えられませんでしたが…」


「ああ、すみません。


そういうつもりでは…」


池田は勝にしたセリフをもう一度吐いた。


「どうして、そう気まずくなる話ばかりふるんですか」


中津が冷たい言葉の後、


「それより、この恰好で徒歩とは辛いですね」


と気を利かせて、話題を変える。


「仕方ないだろ、行けるところまでは車かバイクを使いたかったが、表は刑事さんたちもいたし、あの状態で説得する余裕も時間もなかったんだから。


それより、あれだ、このインカムの説明をしておこう」


池田は静と勝の間くらいの位置に下がる。


「歩きながらでいいので、聞いてください。


今、着けてもらってるインカムは万が一、離れ離れになった場合に使ってください。


本体のスイッチを入れてると、それだけで全員と繋がります。


トランシーバーと似ていますが、それだけでボタンを押したりしなくても、電話のように話せますので」


「へえ、すごい。テレビで見たことある奴ですね」


静がポケットから本体を取り出して、角度をいろいろ変えて触ってみる。




「それで、そうだ、あの、お父さん、岡嵜の居場所に心当たりはないですか」


池田が思い出したように言って、しんがりから先頭の勝へ一気に距離を縮める。


「いや、それは全く…」


勝はマスクを顎にずらして言った。


「刑事さんたちの話を聞かれていましたよね。


岡嵜のマンションはもぬけの殻だったと。


それから、どこか研究施設があるのでは、とも推測されてましたし…


教授は岡嵜の元夫とお友達だったのですから、ご存知かと思いまして」


「そうですね…うーん、彼とは本当に昵懇の仲でしたが、あのマンションにいなかったとなると…」


「じっこんって…」


「ちなみに、そのマンションとは、どこだったんですか」


池田の疑問には答えず、中津が訊いた。


「ああ、帝薬大のすぐ近くですよ。


彼ら夫婦はそこの客員研究員として招かれましたからね。


あの事件のあと、零さんが引っ越したかどうかまでは知りませんから…


あの、それより…」


勝が歩みを止めた。


「これはまだ、一志のことを探してくれる、ということですか」


そう言って、池田の目を見つめる。


静も黙って池田の方を見た。


「それはそうですよ、まだ、依頼を解決していませ…」


「きゃあー」


遠くで女の悲鳴が響く。


「さ、歩きましょう。うかうかしていられないようです」


池田たちはまた歩き始める。


「それで、岡嵜の行方ですが、警察がその帝薬大の近くか、或いは引越し先なのか、どちらにしても、把握した住所にはいなかったことになります。


そうなると、やはり越智さんの言った研究施設というのが、妥当な線かと。


なんでも、構いません。


どんな小さな手がかりでも、思い当たりませんか」


「うーん、研究施設、と言われましても…」


勝は考え込む。


「私が逃げる方向を多摩川方面と言ったのは、逃げやすいのも、もちろんありますが、実は有馬に呼び出されたのが多摩川台公園、というのもあるんです」


「そうだったんですか、襲われたとは聞いていましたが…」


「なぜそこかと訊くと、その場所にも意味がある、と有馬は言いまして。


で、実際行ってみると、岡嵜らしき人物に襲われてしまいました。


それで考えていたんですが、なぜ、多摩川台公園を指定したのか?


それは、岡嵜のいる場所が私たちから見て、多摩川方向だったからなのでは、と推測しています」


「なるほど」


「少なくとも、岡嵜の居場所は我々より西方面、しかも呼び出してから三十分くらいで到着しています。


公園のそばには多摩川駅がありますから、電車で来たとも考えられなくはないですが、黒のレザースーツというのは目立ちま
すから、恐らくは車での移動。


となると、およそ十キロから二十キロ圏内。


東京であれば府中市あたりまで、神奈川県であれば、川崎市か、遠くても横浜市あたりと推測できます」


「池田さん、すごーい」


そう感心した静に、池田がまんざらでもない顔をする。


「いけません、こんなドヤ顔をして、つけ上がらせるだけですから」


中津の方はいい顔をしない。


「うーん、地域は絞られたのかもしれませんが、やはり心当たりがないですねえ。


恒の実家は千葉でしたから反対方向ですし、零さんはアメリカ帰りで、元の実家なんて、そもそも聞いたことがないですし…」


勝は池田の推測に記憶を手繰るが、やはりわからなかった。


「そうですか…」


折角、静に褒められた池田は、さらに何か手がかりがないか、考えを巡らす。


<研究施設ねえ…


そもそも、研究施設って簡単に言うけど、そんなもの簡単に…うん、待てよ?>


「あの、遺伝子工学の研究施設って、その、かなりの費用がかかりそうですし、そもそも、個人で持つことなんて、できるものなんですか?」


そう訊いたのは、中津だった。


「あ、今、俺それを、うっうん、私もちょうどそれを訊こうと思ってたんですよ」


池田が中津に言いかけた言葉を勝に向けた。


「ああ、そうですねー、一部、保管に届け出が必要な材料もあるにはありますが、機材などは特に規制などないのが実情でして、お金さえあれば可能かと。


零さんは再婚相手から多額の慰謝料をせしめていました…娘のマリアの苗字にもなっている父親、有馬というんですが、彼はアリマ製薬会社の御曹司だったんで。


ただ、普通、そんなものを持とうとする輩もいないんで…


あっ!そうか、それなら或いは…」


「或いは、何?」


「それです、それ」


静は疑問だったが、池田は勝が何に気付いたか、わかったように言った。


「いや、遺伝子工学というと、その道特融の研究機材や材料を卸す業者は限られている。


私と恒は同じ業者に頼んでいたこともあるし。


ほら、母さんが一志が生まれるまで、少しの間だけ働いていた会社もそのひとつだよ」


「ええと、確か…トレジャーバイオ?」


静は即答した。


「ああ、よく覚えていたな」


「岡嵜もその会社から購入しているかもしれない、ってことですよね?」


池田が得意そうに言った。


「ええ、そこでしか扱っていないものもありますので、可能性は高いですね。


営業の人間と懇意にしてるから、電話してみるか…」


勝はまた立ち止まって、スマートフォンを取り出す。


ブーッブーッ


それを見計らっていたように、そのスマートフォンが振動で着信を知らせた。


番号はなく、非通知と表示されている。


「誰だろう、こんな時間に…」


勝は三人に画面を見せた。


「構っている暇はないですかな」


「そうですね、今は岡嵜の方を優先していただけたら」


池田の言葉に勝は電話を切る。


「ええと、栗田さん、栗田さん…と…」


電話アプリの連絡先から取引先を探す。


すると、今度は静のスマートフォンのバイブが響いた。


静が取り出して見ると、また非通知の着信だ。


「え、私にも…」


「これは何かありますね、やはり、出られてみてはどうですか?


あ、スピーカーにしてもらえれば」


「はい…」


池田の提案に静は電話に出ると、すぐにスピーカーフォンに切り替える。


「やっと出ていただけましたか、佐藤さん」


特徴のあるその声に、一同が息を飲んだ。


零だった。

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