ブアメードの血

キャーリー

41

 八塚克哉はへたり込んでいた。


 坂辻の部屋に鍵をかけてから少しして、片本警視の号令の元、十台を超えるパトカー他、関係車両が駆け付けた。


特殊急襲部隊が突入し、すぐに坂辻は取り押さえられた。


ちらほら現れたマスコミ、何倍にも膨らみ、収集が付かなくなっている野次馬。




 その輪の外側で八塚は隣家の塀を背に、アスファルトに座り、足を投げ出していた。


<なんか俺、今日、こうやってばっかりだな。


泣いては座り、疲れては座り…


にしてもほんと疲れた…肉体的にも、精神的にも。


こんなに周りの人間が死んだ日があっただろうか。


沖に夜久さん、矢佐間さん、警官二人に救急隊員二人…


坂辻はあっさり捕まったが、矢佐間さんを襲った有馬はまだ逃げている。


ただ、もう体が動かない。


今日は十五時間も働き詰めだ>




 「こんなところにいたか」


「片本警視!」


八塚は声をかけてきた男を見て、疲れを殺し、尻の埃を払いながら立ち上がった。


「こんな時間までお疲れ様です。こちらは確か…」


片本のすぐ側に立つ、どこかで見たことのある厳つい顔の男を伺う。


「ああ、現場の指揮を執っている特殊事件捜査係の警部、志田君だ」


「疲れてるのはわかるが、こうなった事情を聴かせてくれないか」


志田は表情を変えず、ぶっきらぼうに言ってきた。


「こいつは話のわかる優秀な男でね。状況だけでなく、お前の忌憚のない意見を聞かせてやれ」


「はい、わかりました」


「では、他にも話を聞きたい者はいますので、あちらで」


志田は警察車両のワゴンの側に立つ数人の人影の方に顎を向け、八塚を促した。


「じゃあ、後は頼むよ」


「ちょっと待ってください」


引き返そうとする片本を八塚が呼び止めた。


「あそこにいるのは公安じゃないですかね」


八塚は向おうとした車の近くを通った男たちを指差す。


そこには、昼に見かけた公安の谷津田ら三人の男が見え、現場に向かって消えて行った。


「私は彼らに面識はないが、公安が動いているのは確かだ。


今回のことをテロと見做しているんだろうな」


「テロ?」


志田が怪訝な顔をした。


「バイオテロだよ。


特に隣国との繋がりがないか躍起になってるようだが…まあこの辺にしとこう。じゃあ」


片本は、今度こそ、という身振りで右手を上げ、踵を返して去った。




「バイオテロとはどういうことだ?」


志田は答えてもらえなかった質問の矛先を八塚に向けた。


「ああ、それは順を追って説明します」




 車の側まで行くと、八塚は志田のほか、四人の男女に囲まれた。


矢佐間の現場の指揮を執っていた増屋、スーツ姿に眼鏡をかけた若い男女、そして、もう一人、すらりと背の高い男が、志田の一歩斜め後ろに立っている。


「彼は夜久警部の殺害事件で急行した警視庁捜査一課の増屋警部補、その隣が同じく捜査一課の八塚巡査部長。


夜久警部の班と例のかみつき事件を追っていた。


それから、こちらの彼女は、成瀬科学捜査官。


そのかみつき事件のことについての最新情報がある、と聞いている」


八塚は成瀬の方は見なかった。


「そして、彼は、ええと、戸井コンピュータ犯罪捜査官だったな。


数時間前からネットを賑わせている、外国人誘拐事件の一担当となった」


志田が先ほど、頭に叩き込んだであろう、それぞれの紹介した。




「私は本件全体の捜査の指揮を仰せつかった警部の志田だ。


で、最後になったが、隣は私の部下の落谷巡査だ」




それぞれが紹介される度にお互い、軽く会釈したが、八塚はこの落谷にだけはしなかった。


落谷は八塚の三つ後輩で一時かわいがっていたが、刑事になった理由が、「コンパで刑事だと言うと案外もてるから」という不純な言葉を放って憚らない性格が好きになれなず、次第に距離を置くようになっていた。




 「みんな、この寒さの中、遅くまですまないね。


特に、君たち捜査官二人は、本来こんな現場に来ることのない立場だが、片本警視の要請でわざわざ足を運んでもらっている。


それだけ、ことは火急を要するということのようだ。


それぞれ、専門的立場からの意見があったら言ってくれ。


では、八塚君、早速、これまでの経緯を説明してくれないか」


「はい。それでは…」


志田に促され、八塚は片本にしたように、これまでの経緯をかいつまんで説明した。




 「…それで、ここからは推測ですが、坂辻は岡嵜が作製した、所謂ゾンビのようになるウィルスに感染したものと思われます」


「何をバカな」


「にわかには信じられんな」


立て続けに、増屋と志田が口を開いた。


「私は有りえることと思います」


そう八塚を庇うように言ったのは、科学捜査官の成瀬だった。


「感染研から常松容疑者の病状の調査結果をいただきました」


「かんせんけんっていうのは…えっと、なんだったかな?」


増屋が訊いた。


「国立感染症研究所のことですよ」


八塚が片本から先ほど、聞きかじったことを、さも知った風に言った。


「その通りです。


感染研からの情報ではもったいぶった書き方がされていましたが、簡潔に言うと、常松容疑者の血液から未知の細菌が検出された、とあります。


ただ、感染研はこれまで無毒だったものが突然変異した、と考えているようです。


ウィルスと細菌という違いが気になりますが、発症の原因として、引き続き分析中ともありますので、その内、はっきりするかと。


いずれにせよ、人工的に生成されたというのは、いささか飛躍した話にも思えますが、犯人が遺伝子工学者の岡嵜である以上、絶対にないと否定できることでもありませんね」


成瀬は片手で長い髪をかき上げる。


「ふん、マッドサイエンティストの言うことなど…」


「バイオテロとはそういうことか…」


「あの、ちょっといいでしょうか」


増屋と志田が呟くのとほぼ同時に、今度は今まで大型のタブレット端末をいじりながら、黙って聞いていたコンピュータ捜査官の戸井が口を開いた。


「なんだね?」


志田が不機嫌そうに訊いた。


「あの、今の八塚さんの話で出ていたヨウツベ、先ほど新たな動きがありました。


タイトルが『外国人をゾンビにしてみた』の続きと思われる動画が次々とアップされています」


「え!?」


「何?」


居合わせた男たちから同時に驚きの声が上がった。




「それは早く言わんか」


志田が眉間の皺をさらに深くして言った。


「すみません。タイミングを計っていたので。


それで、アップされた動画は様々な国の人間を監禁した様子を同じ様に撮影したものであり、最初のフランス人の他、イギリス、ロシア、アメリカ、メキシコ、中国、インドネシア、インド、パキスタン、イスラエル、ナイジェリア、ブラジル、そして日本と、我が国を除いても、実に十二の国にまたがっています」


「まじかよ」


「え、そんなにたくさん…」


「やってくれるな、ったく」


「国際問題になるな、これは」


「なぜ、外国人が多いんでしょう」




皆がざわつくのを横目に、戸井は話を続ける。


「それで、それぞれの国でパート1、パート2と二本ずつ、これまでで計二十六本がアップされているということになります。


まだ、どれも裏どりはできておりませんが、事実であれば、今、志田さんがおっしゃったように国際問題にも発展しかねない非
常に由々しき事態です」


「パート2が出てきたということですが、その内容はどうなってますか?」


八塚が質問する。


「私はこの打ち合わせが始まる直前まで見ておりましたが、動画の長さが五十分ほどあって、まだ最後まで見られておりません…」


「途中まででもいいから、説明してくれ」


志田が言った。


「はい。では、パート2の途中までの内容を…


うーん、どこまでまとめて話せばいいかわからないですが、とりあえず、私が見たのは日本人編でした。


さっき八塚さんが話された行方不明者と同じ、佐藤一志という名前が書いてありまして…」


「佐藤!やっぱり、間違いない…って、あ、すみません、どうぞ、続けてください…」


八塚は思わず大声を出したが、空気を読んで尻すぼみとなった。


「で、彼に神を信じるかどうか尋ねた後、この世界や生き物は神が創造した、ということを小難しく述べていましたね」


「なんだ、マッドサイエンティストじゃなくて、カルト宗教の狂信家か何かということか?」


増屋が呆れ顔で言った。


「私も最初はそう思ったんですが、どうも違うようで。


あくまで科学的アプローチと言っていいのか、これだけ複雑な生命が自然とできる訳はない、動物のいろいろな生態、例えば、ええと…そう、コウモリとイルカの超音波とかの例を挙げて、そこには人智を超えたものが存在する、というような話し方でしたね。


なんでも神のせいにして思考を停止した訳ではない、とも言っていましたから。


それから、神の出現方法も見つけたというようなことも…」


「何をバカな。神が本当にいるとでも?


で、神は現れりってか?」


増屋がまた呆れ顔で、質問というより嫌味で言った。


「いえ、そこで時間切れ。


私も動画の続きが気になりつつ、この場に臨んでいる、という訳です」


「ちょっと、その話の続き、気になりますね」


これまでほとんど発言のなかった落谷が口を開いた。


「いや、神の出現方法っていうんじゃなくて、彼女がどうしてこんな事件を起こしてしまったのか、その動機に繋がっているんじゃないかと思うんです」


こんな緊迫した中でも、口元には笑みを浮かべているように見える。


<相変わらず、すかした野郎だ。それっぽいこと言いやがって。


ほんと、気に入らないな>


八塚は思うが、当然、口には出さない。




「なるほど、動機は事件解決の基本、糸口になるからな。


その動画の続き、見れるか?」


八塚の思いなど知るはずもなく、志田が戸井が持っているタブレットを見て、動画を再生するよう促した。


「あ、もちろん。すぐに」


戸井は八塚と志田の意を汲んで、眼鏡の位置を指で直した後、端末を操作した。


他全員がそれを囲むように立つ。


「…それはね、人類が滅びかけた時、ですよ」


零の声が端末から聞こえてきた。




 人類を羊に例え、絶滅させようとすれば、神は現れる…


エピジェネティクスの説明から、佐藤の前に映し出されたプロジェクタに焦点を移し、長々と零の話が続いていくところで、戸井が動画を止めた。




「狂ってるな」


志田がぽつりと言った。


「どうやら、やっこさんは最終的には人類絶滅を本気で目論んでいるようだ。


まあ、それはできんにしろ、実際、人が凶暴になる症状が確認されている以上、そういう細菌かウィルスがあるという前提でことに当たらなければいけない。


捜査員全員にへの防菌対策を講じる必要があるが、これは成瀬の方で対応を頼む。


ああ、そうだ。岡嵜宅へ向かっているA班にも気を付けるように連絡しないと。


これは増屋さん、頼みます。


戸井は、引き続き、動画の監視と、できるなら解析っていうのか、それを頼む」


志田が指示を次々に出した。


「あの、私は…」


動き始めた三人を余所に、支持のなかった八塚が所在なげに尋ねた。


「君は休め。


これは片本警視からの命令だ」


志田は八塚の肩を労うように叩いた。

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