ブアメードの血

キャーリー

15

 池田敬は困っていた。




 静とあった夜から、二日後の放課後。


人目を避けるために指定された大学の坂の頂上にある第二正門で、約束より少し早い時間から静を待っていた時だ。


自転車に乗った白人の男が近付いて来た。


背が高く、スーツ姿で自転車用の白いハーフヘルメットを被り、銀縁の眼鏡をかけている。


明らかに何かの勧誘だが、待ち合わせ場所なので、池田は逃げるに逃げられず、目を合わさないようにするのが精いっぱいだった。


「コンニチハ、アナタハ、神様ニ興味ガ、アリマスカ?」


男は自転車に乗ったまま、片言の日本語で池田に話しかけてきた。


<ああ、やっぱりだよ…来たよ、来た>


池田は思いを口に出さす、愛想笑いを浮かべながらも、拒絶の態度をとった。


「ああ、大丈夫、大丈夫、間に合ってるよ」


「興味アリマセンカ?アン、コレダケデモ、見テクダサイ」


男の方も断られるのには慣れているのだろう、一冊の冊子を差し出した。


「見るだけなら…ね」


「アリガトウ、ゴザイマス!」


池田がそれを受け取ると、その男は元気よくそう言って、去って行った。


冊子はよくある宗教もので、


『終末はすぐそこまで来ています』


との見出しが書かれてあった。




 「池田さーん」


池田がゴミ箱を探していると、後ろから声を掛けられた。


静だ。


「お待たせしました」


「いえ、今来たところなんで。では早速、映研まで伺いましょうか」


池田は背負っていたガジェット系のバックパックを下ろし、冊子を詰め込むと、静を先頭に構内に入った。


静が映研までを案内するため、池田の少し先を歩く。




 <なんか、大学でデートしているみたいだな>


池田は浮かれた。


探偵稼業をやっていて、初めてのシチュエーション。


映画研究部までの道のりだけ、池田は仕事を忘れることにした。


大学内のイチョウ並木の間を二人きりで歩いていく。


といっても、"デート"は瞬く間に終わり、急な坂を少し降りた先にある、三階建のクラブハウスに二人は到着した。




 映画研究部の部室は二階だが、建物は階段状になった土地に建っているため、坂の途中から建物に伸びている鉄製の通路を渡って直接行くことができた。


この建物にはいくつものクラブが集っており、表札を確かめながら、廊下を進む。




 「ここですね」


表札を確認した静が、ドアをノックする。


ドアを少し開けて顔を出してきたのは、童顔で栗色の長い髪をした女子部員だった。


どことなく、雰囲気が静に似ている。


全身を現すと背は低く、見ようによっては中学生にも見えるくらいだった。


「ああ、静ちゃん」


国民的アニメのヒロインと同じ名前だけあって、静はこう呼ばれることが多い。


「ああ、有馬さん、今日は無理言ってごめんね。部長さんに言ってくれたんだよね?」




 静は昨日、同学年の映研部員である有馬に、映画のことはあえて聞かず、兄が行方不明であることを告げて、約束を取り付けていた。


有馬は学園祭の会場で、ナースの恰好をしていた司会者だ。


人懐っこい性格で、他の友人を通じて今年の自分の誕生日会に来たのが切っ掛けで、仲良くなった。


映研に一緒に入らないかと誘ってくれたことがあるし、映研の映画も呼んでくれていた。


静は言われなくても、行くつもりではいたが。




 「一応、伝えておいた。


うちの先輩を妹さんが探してるって言ったら、目を丸くしてたよ。


ボクはよくわからないけど、坂辻さんなら何か知っているんじゃない?」


有馬はそう言うと、右の掌を上にして部屋に向け、入室を促す。




 中は、十五畳ほどの細長い部屋だ。


一番奥の窓際にデスクトップのパソコンが置いてある大きめの机、その隣に書棚と物置棚があり、DVDのケースや撮影機材のようなものが雑然と入れられている。


中ほどには平机を挟んでベンチが向かい合って置いてあり、左に三人、右に一人が座り、それぞれ雑誌を見たりスマートフォンをいじったりしていた。


みんな池田らを一瞥し、手を止める。


すると、右の一人が立ち上がってドアの手前まで来た。


坂辻だ。


色白で少しぽっちゃりとした体格にジャケットを羽織り、眼鏡をかけている。


「ああ、こんにちは、佐藤さんの妹さんって、この前の君だったのか。


そうか、ごめん、この前はもうちょっと話をよく聞けば良かったね。


その…あ、で、こちらは?」


顔に似合わず、少し高い声の坂辻は、静から池田に目を向け、臆病そうに尋ねてくる。


「この度はすみません、もう少し訊きたいことがありまして。


こちらは探偵の池田さんという方です」


静が池田を紹介した。


「はじめまして。池田探偵事務所の所長をしております、池田と申します」


奥の部員に聞こえない程度の声で、池田は名刺を差し出す。


「はあ、どうも。部長の坂辻と言います」


「ここではなんなんで、ちょっと外でお話を伺えますか」


「わかりました」


坂辻はそう言うと、振り向いて


「じゃ、俺ちょっと出てくるから、部活動、先にやっといて」


と部員に声をかけた。




 そうして、三人が部屋を出ようとすると、


「ボクも行っていいですかあ」


と有馬が言ってきた。


「お前は、いいよ。先輩の佐藤さんのこと、知らないだろ?」


「ですけど、行きがかり上、気になるじゃないですか」


「いいから、残ってろ」


「はーい…」


有馬は不機嫌そうに引き下がった。


「有馬さん、ごめん」


「では」


三人は表へ出て、学食の喫茶コーナーに向かった。




 学食は放課後とあって、閑散としていた。


丸い机を囲んだ四つある椅子に坂辻と静がそれぞれ腰を下ろす。


バッグを一つ空いた椅子に置き、座りかけた池田は、


「そうだ、待っててください」


と言って、紙コップの自販機まで行き、コーヒーを買う。


服に仕込んだ超小型カメラの録画スイッチを二人に気付かれないように入れるためでもある。


二つ目のコーヒーを入れようとした時、静が気を利かせてやって来て、コーヒーを持って行くのを手伝った。




 「では、私の方から」


自分のコーヒーを持って席に着いた池田が、少し息を整えて切り出した。


「今回、こうしてお伺いましたのは、こちらの佐藤さんから依頼を受けてのことです。


有馬さんからお聴きになったと思いますが、佐藤さんはお兄さんを探しています。


そのお兄さんは、こちらの映画研究部に所属されていたということで、手がかりがないかと思いましてね。


いろいろお伺いしたいのですが、よろしいですか」


「はい」


坂辻はうつむき加減で、緊張した面持ちをしている。


「では、まず改めて、佐藤一志さん、はご存知ですよね」


「はい。僕がこの映研に入った時、佐藤さんは四年でしたので。


あまり出入りはしておられなかったので、話したことはほとんどなくて、顔は覚えているという程度です」


池田は坂辻から目を離さず、表情、特に目線と頬の緊張を注意深く観察する。




<風体に似合わず、長い睫毛をしているな。


肌も意外にきれいだし…


いや、それはいいとして、この子が一年の時に一志君は四年…>


「すみません、あなたは部長と言われましたが、今、何年生?」


「四年です」


「四年?普通、この時期はもう三年が部長をやっているのでは?」


「ああ、僕は薬学科でして、六年制なので」


<六年生?ああ、六年制か。


医者以外でも六年制はあるんだ>


池田は知らなかった。


「他の部はどうしてるか知らないですけど、この部では後期から四年が部長なんです。


五、六年は忙しくなって、その頃からあまり顔を出せなくなりますので」




「お兄さん、四年で大学出てなかった?」


池田が隣の静に尋ねた。


「ああ、兄は薬科学科なので」


「うん?」


「あのまぎらわしい名前なんですけど、この大学では薬科学科と薬学科は年数が違うんです。


でも、薬科学科でもたいていは修士課程に行って結局、六年行くんですけど、兄は行かなくて。


あの…ややこしいんで、あとで話しません?」


知らないことに池田は焦ったが、若い二人の手前、


「ああ、なるほど。やっかがっかとやくがっかの違いね」


とわかったように、取り繕った。


「で、すみません、質問を続けさせてください。


佐藤さんの行方はご存知ないですか。


どんな小さな手がかりでも結構ですので」


「いえ、先ほど言った通り、顔を覚えてる程度で。


行方不明になっていたのも知らなかったですし、申し訳ないですが、本当に何も知らないんですよ」


「もちろん、行方をご存知とは思いませんが、何かお兄さんについて覚えていること、知っていること、何でもいいので」


「ん~、そうですね。


えーと、他に知っていること…ああ、そうだ。


佐藤…ああ、そちらの妹さんも知っていると思いますが、去年まで文化祭でやっていた映画の脚本を書いたのが、お兄さんだとは知っていました」


「ええ、だから先日、佐藤さんがそれについて、お訊きしたかったんですよ。


なぜ、映画が今年から変わったのかとか、出演していたのが誰なのかと唐突に訊かれたようで、尋ねたいことが上手く伝わらなかったようですがね」


池田が一番訊きたかったことを切り出した。


「ああ、そうですよね。やっぱり…」


「話が出たついでにお伺いしたいのですが、まず、学祭でその上映された映画、えー『人体実験の館』というんでしょうか、その中の登場人物で、主人公なのか、黒い袋のようなものを被った人が出てたと聞いています。


その俳優さんといいますか、演じられた方はどなたですか」


「いえ、それが…その」




 これまで不安そうではあるものの、不審な表情は見せなかった坂辻が、とたんに落ち着かなくなった。


眼鏡を直しながら、目をきょろきょろさせる。


「阪辻さん?」


「…あのーぶっちゃけて言いますけど…あれは、というか、あの部分はうちが作ったものじゃないので、誰かは…わかりません」


阪辻は頭をかきながら、観念したかのようにそう漏らした。


「え?じゃあ、どこが作ったんですか」


静が割って入った。


池田は一瞬、一志が作ったのではないかという前からの仮説が頭をよぎり、黙って返事を待つ。


「えっと、最初は、今年もお兄さんが書いた作品『恐怖の館』をやろうって、決まってたんですよ。


でも、急遽、あの人体実験の館をやることになりまして…」


「そうですよね、学祭のパンフにそう書いてあったと、佐藤さんから聞いています。


どうして急に差し替えたんですか?」


言葉を濁す坂辻に池田が先を促すと、そうそうっと静が首を縦に振って、相槌を打った。


「ええと、一か月くらい前だったと思うんですが、うちの部室のポストに封筒が届いていて、手紙と一緒にその人体実験の館のDVDが入っていたんです。


それで…」


「あ、ちょっと、手紙というのは?」


池田がコーヒーを飲もうとした手を止め、疑問を挟んだ。


「ああ、手紙には、『君たちの先輩より贈り物』だったか、そう書いてありまして。


今までの映画は飽きられた頃だから、これを使ってくれ、という感じで。


他には、最後の廊下を走る映像を入れてとか、タイトルは自分らで作ってくれとか、そういう指示がありました。


で、部員のみんなと一緒にDVDを見たら、よくできていたんで、こっちを使おうということになりました。


それで、自分らでも追加で撮影したりして、編集して完成させたんです」


「その封筒や手紙に、具体的なお名前は書いてなかったんですか?」


「ありませんでした。


だから、作った人とか、当然、出演者も、ほんとに何も知らないんです。


ああ、届いた時にそうですね、みんなで誰がくれたんだろうってなって、話にはなりました。


たぶん、前の映画に関わっていた卒業生なんでしょうけど、ここ二、三年だと二十人前後いらして、その中の誰か…


ただ、やっぱり脚本は佐藤さんだろうって、候補の一人には挙がりましたが」




<やはり…>


池田は自分の推理が当たっている、と一瞬思った。


が、もし本当に一志が贈ったのだとしたら、夜逃げした後にということになる。


一志と同期の卒業生の可能性の方が高いかもしれない。




「そうですか。で、その手紙は、まだありますか」


「あると思いますよ。封筒とDVDと一緒に、どっかにしまったと思います」


「すみませんが、あとでそれらをお借りしてもよろしいですか」


「え?そうですね…


佐藤さんの手がかりがあるとは思えませんが…まあ、お貸しするだけなら、特に問題ないと思います」


「ありがとうございます。それから、わからないとはおっしゃいましたが…どうなんですかね。


その…主役の方はお兄さんだと思われますか」


「いえ、んー、どうですかね。


それもやっぱり、本当にわかりませんね。


顔隠れちゃってますし、声もあまり覚えてないですし。


ただ、可能性としてはちょっと低いんじゃないかと思います。


というのも、佐藤さんはこれまで脚本の方はやってこられましたが、出演は一切されてなかったので」


「そうですか」「あれは兄です!」


池田と静が同時に言った。


「それに、あれは演技じゃないと思います!


兄は、本当は拐われていて、あんな風に撮られたんですよ!」


「佐藤さん、まあ、それはちょっと後にしましょう」


「でも…」


「それを今、坂辻さんに言っても仕方ないでしょう」


「はい…」


静はしょぼくれて、下を向いた。


「あの、それはどういう…」


坂辻が訝しそうに訊いた。


「佐藤さんは、その…問題の映像はお兄さんが撮ったとか言うのではなく、誘拐されてあんな風に撮られたんじゃないかと疑っているんです…」


「え!?誘拐!?」


坂辻が少し大きな声を出した。


「ああ、お静かに。


あまり、その、ことを荒立てないで、いやあの、心配しないでください」


池田は周りを気にしながら、坂辻を宥めた。


「他の先輩方が撮影したものに、佐藤さんが出演された可能性も大いにありますし、もしかしたら、イタズラやドッキリか何かで、それであんな風に撮られたのかもしれません。


その後、ネタバレって、ドッキリ大成功みたいな…」


池田は取り繕おうと、早口で言い訳をした。


「はあ…まあ誘拐なんて、それはないと思いますよ。


先輩がそんなものを送ってくる意味がわかりません」


坂辻は不機嫌そうに椅子の背もたれに体を預け、腕を組んだ。


「いいえ!兄は…」


「ええ、ごもっとも、ごもっともです」


静の口を塞ぐように、池田が体と言葉で割って入った。


「あの、それで話のついでなんですが…お兄さんと同じ学年の方に連絡を取ってみたいのですが、連絡先をお教えいただけないでしょうか。


ああ、個人情報なので、当然、その方々の同意をとる必要があります。


お手数ですが、それをしていただけたたら、助かります。


連絡の付く方だけでも結構ですので」


「そういうことでしたら…わかりました。


名簿は残っているので、連絡を取ってみます。


お兄さんの学年に絞れば、確か五、六人位しかいなかったので」




 それから、池田はいくつかの質問をしたが、これといった手がかりはなかった。


「――2、3、5…ですね…わかりました…ああ、コーヒーが冷めないうちに飲んでください」


池田は、坂辻の連絡先をスマートフォンに打ち込むと、二人に一息付くよう勧める。


二人は言われるままに、紙コップを手に取った。


「ああ、最後にもう一つだけ、ヨウツベにこの映画会場の様子が盗撮されてアップされていたのはご存知ですか」


池田が人差し指を立てて訊いた。


「え?知りませんでした。そうなんですか」


「著作権者からの申し出により削除、とあったのですがね」


「じゃあ、部員の誰かが見てやったのかな。


ちょっと、今すぐはわかりません。


そうですね、お貸しするものもあるので、もうお話も終わりのようでしたら、また部室に戻って、みんなに聞いてみますか」


「佐藤さん、お兄さんが行方不明ってこと、みんなにわかっちゃっても、いいかな?」


池田が静に気を配った。


「大丈夫です。


少しでも手がかりが入るんなら、その方がいいと思います」


「じゃあ、よろしく」




 「それにしても、探偵さんの言うことなら、よく聞いてくださるんですね。


この前も、こんな風に教えてくれたら良かったのに」


少し落ち着きを取り戻した阪辻に、静が愚痴をこぼした。


「ああ、あの時は、君、すごい剣幕でさ。


文化祭の委員会にはパンフレットできてたんで黙ってやったことだし、それで責められてるかと思ったんだよ。


あと、著作権のこととか少し心配だったし。


先輩が作って贈ってくれたんなら大丈夫だとは思ってたけど、結局、確認とれなかったから」


正直な気持ちを言えた坂辻は、苦笑いしながらも、やっと表情を緩めていた。

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