クレイオの箱庭

青空顎門

1A 二つの世界③

 現在ユーラシア大陸、アフリカ大陸では既にほぼ全ての国がレクトゥスによって滅ぼされ、アメリカ大陸はヘルシャフトの激しい攻撃を受けて窮地にあると聞く。
 日本の本州以下の地域とインドネシア諸島、そして、オーストラリアなどはアシハラの庇護下に入ったことで何とか生き長らえているが、現在、地球側の総人口は数億人程度にまで減っていた。

「上手いこと日本がアシハラの勢力内にあって本当によかったよ。地球での三国の勢力図が、そのままテラでの勢力図と重なっている訳だからな」
「理術の才能がないことで虐げられたアシハラの祖先は、危険な海を越えて島国に逃げるしかありませんでした。そういった過去の歴史が今の状況に繋がっているのかもしれません」
「歴史が?」
「はい。そもそも、今回のレクトゥスの侵略は、一万年前、世界が二つに分かたれた時に既に定められていたのではないかと思います。別世界が存在するという歴史的事実が、侵略の矛先をこの世界へと向けさせたのではないかと」
「……まあ、存在を知らなければ侵略先に選べないのは確かだな」
「そして、お兄様の家族が奪われた原因は十年前のアシハラとレクトゥスとの軍事衝突にあるでしょう。あの時あちらの北海道に当たる地域を奪われなければ――」
「サクラ」

 強い口調でその名を呼び、彼女の発言を遮る。

「歴史にイフは厳禁だ」

 それに責任を求めたいと思う気持ちが全くない訳ではない。
 しかし、それを考えてしまえば、過去のさらに過去、過去の始まり、即ち人類の誕生、果ては宇宙の誕生にまで責任の所在が遡りかねない。

「けど、サクラは……サクラは時々思うんです。過去の歴史が本当は直接関係ないはずのサクラ達に偏見を植えつけ、それが憎しみや悲しみの感情を生んで、結果戦争が繰り返される一因になってしまう。全ての悲劇は歴史が作り出すのではないか、と。できることなら、歴史そのものを殺してやりたいです」

 目の前にある無数の選択肢から何を選ぶかは、その人の過去が決める。
 その人の過去は別の人間の過去、あるいは歴史が定める。
 となれば、遥か過去に未来への道筋はつけられてしまっているのかもしれない。

(運命……か)

 未来を見ればこそ選択肢は無限と感じられる程にあり、運命とは自分の手で切り開くものだと信じたくなる。
 しかし、過去を振り返ればそこに存在するのは一本の道だけだ。
 それこそが命を運ぶ道、運命なのかもしれない。だが――。

「俺は俺の選択を歴史のせいにはしないし、誰かの行動を歴史や環境がどうだったからと理由づけしたりはしない。あの場で俺の両親を殺したのは奴の選択で、奴を殺すことにしたのも俺の選択だ」

 その言葉にハッとしたようにサクラは目を開いた。
 自身の語った論がある種、両親を殺した人間の擁護にもなっていることに気づいたのだろう。歴史の流れだから、その殺人も仕方がない、と。

「ある程度過去が今の選択肢を狭めるのは事実だろうけど、それが絶対かどうかは人間には分からない。分からないなら、ただ自分が最良と思う選択をしていくしかないんだ」
「はい……」
「不可知なものを論じていても仕方がない。もっと建設的な話をしよう、サクラ」

 落ち込んだように俯くサクラの頭をポンポンと二度軽く叩くように撫でると、彼女はもう一度「はい」と頷き、気を取り直したように前を真っ直ぐに見詰めた。

「それで、これからの確認だけど、俺は海路で北海道に行くんだったよな?」
「はい。青函トンネルは既に潰されていますし、空は問題外ですから海路を利用することになります。上陸地点は旧苫小牧です。衛星からの写真では建物も多少は残っているようですから。その際はサクラが船の操舵をさせて頂きます」
「それは……大丈夫なのか?」
「お兄様、サクラの腕を信用して下さらないのですか? 船舶の免許だってちゃんと持ってますよ?」

 不満そうに微かに唇を尖らせるサクラに「い、いや」と慌てて否定する。

「そうじゃない。サクラのことは信用しているよ。誰よりも」
「あ、ありがとう、ございます。お兄様」

 サクラは一転して嬉しそうに顔を綻ばせた。

「ただ、な。船なんかで潜入しようとして、レクトゥスの理術師達にばれないのか心配なだけで」

 そう言うと彼女は「ああ」と納得したように頷いた。

「それであれば問題ありません。レクトゥスは確かに三国の中で最も理術の力に優れてはいますけど、だからこそそれを過信しています。ですから、理術に対する探知能力はともかくとして、この世界の機械的なものに対するそれは皆無なんです」
「そう、なのか?」
「はい。現在のテラではある程度の才能があれば空を飛ぶことも容易くなりましたし、危険な海を態々船で渡ろうなどとはまず考えません。まあ、アシハラはその限りではありませんが――」
「安全に航海しようと思えば、理術を多かれ少なかれ利用するしかない、か」
「はい」

 となれば、あちらの常識では本来、理術の使用に関してだけ注意を払えばいい訳だ。だからこそ地球側の船であれば、相手の目をかい潜れるということのようだ。

「あちらでは理術の力が全てだからこそ、か」

 言うなれば、最新鋭の探知システムを構築していようとも、木造の小型船で密航しようとしてくる輩まではカバーし切れない、というようなものだろう。

「……サクラ、一つ聞いていいか?」
「はい。サクラに答えることができるものなら、好みからスリーサイズまで何でも聞いて下さい」
「いや、サクラのことは大概知っているつもりだけど」
「それもそうでした」

 軽く照れたように笑うサクラ。
 この一ヶ月、ほとんどの時間を共有していたし、兄妹として最低限知っているべきことは互いに語り合ったつもりだ。

「でも、スリーサイズは変わっているかもしれませんよ?」
「……変わったのか?」

 流れで彼女の胸元を見詰めるが、変化は感じられない。

「いえ、全く、です」

 思った通りで、サクラは意気消沈したように深く溜息をついてしまった。

「どうすれば、大きくなるのでしょうか……」

 そして、深刻な悩みのように呟く。
 左手で胸の辺りを確かめるように触りながら。

「サクラはそのままでいいと思うけどな」

 三年前で成長が止まったと聞いているし、ならば、プロポーションに大きな変動がないのは健康の証だろう。むしろ喜ばしいことだ。

「えっと、それは、お兄様は小さい方が好き、ということですか?」
「まあ、少なくとも、サクラにはその方が合っている気がする」
「……否定はされないんですね。でも、サクラとしてはとても嬉しいです」

 困ったような苦笑いを偽装しながらも、口元だけは完全に満面の笑みのそれになっている。長年の悩みが解消されたかのように口調も晴れやかだ。

「いや、それはともかく――」

 恥ずかしい方向に脱線した話を戻すため、戒厳は一度間を取った。
 一瞬、何を質問しようとしていたのか忘れてしまった。

(ああ。そうだった)

 すぐさま内容を思い出してサクラに尋ねる。

「そもそも、理術はどういう理屈で作用しているんだ」
「理術、ですか?」

 確認の問いに戒厳が頷くと、彼女は頭の中を整理するように視線を僅かに動かしてから口を開いた。

「……そう、ですね。アシハラでも完全に解明できている訳ではないですけど、一般的に言われていることとアナレス様の説を交えた説明でよろしければ」
「教えてくれ」
「分かりました。まず、この世界には波が溢れています。どのような行動を取っても、どのような現象が発生しても、同時に何かしらの波が発生します」
「それは、まあ、そうだな」

 光にしろ、音にしろ、衝撃にしろ。
 人や機械に感知できないレベルかもしれないが、行動には必ず波が伴うものだ。

「はい。そして、それは思考にも言えることです。考えるという行為が脳内で行われている時に微弱な波、一般に思念波と呼ばれている波が外界に発せられます」
「脳波の親戚みたいなものか」

 確かに脳内では電気信号が常に高速で行き来しているのだから、何かしら特殊な波の一つや二つ外界に対しても発生していそうではあるが。

「その思念波を世界に満ちたレグヌムという名の思念波伝達子が媒介し、共振し、思念波が増幅することで第一にミクロなレベルの事象に干渉し、それが積み重なって様々な物理現象が発現します。というようなことが研究者の間では言われていますけど、実際にそれを意識している人はいませんよ」
「まあ、そうだろうな」

 技術の原理も知らずにその技術を使うことは、よくよく考えれば恐ろしいことだが、普段は別段誰も気にしないものだ。
 例えば、物理の授業でテレビの原理などを習っても、実際にテレビを見ている時にそれを意識する者はいない。それと同じようなものだ。

(だから、アナレスは理屈について教えてくれなかったんだろうけどな)

 優先すべきはその力で何が可能かであって、その力が何かではないのだから。

「しかし、レグヌム、だったか? そんなもの、こっちの世界にもあるのか? いや、それがなければ、あの日の惨劇は起きなかっただろうけど」
「はい。この地球にも、それどころか宇宙空間にも存在しているそうです。元々その存在は仮定のものでしかなかったんですが、二〇年程前だったでしょうか。レグヌムの集積体、レグナを作り出すことに成功し、その存在が認められました。ちなみにレグナは思念波の伝達効率を大幅に高めるものとして重宝されています」

 そのレグナの名は作戦にも関わるために戒厳にも覚えがあった。

「……言い換えれば、理術の威力を高めるアンプリファイア、だったな」

 あの日アナレスが手にしていた杖についていた拳台の大きさの宝石。
 それこそが正にそのレグナだったはずだ。

「はい。これの登場で世界の情勢は大きく変わりました。レクトゥスの理術師がその身一つで空を飛ぶのを助け、容易く海を渡れるようになり、結果ただ単に世界に三国あっただけの状態から三国の対立状態に移行してしまったんです。そして地球とテラを結ぶ扉を生み出せたのもまた、レグナによるブーストがあってこそです」
「成程な。……でも、そんな物質が本当に実在しているのなら、地球側でも発見されていてもおかしくないんじゃないか?」
「いえ、ええと、ここからはアナレス様の考えですが、レグヌムは確か、その、準粒子? というものに近い粒子で、思念波を介してしか存在を確認できないのではないか、とこちらの科学に触れて考えているようです」

 それまで滑らかだった説明が、いきなりたどたどしくなる。
 この部分に関してはサクラも理解できていないのだろう。

「まあ、あくまでも近いだけなんだろうな。準粒子が塊になる訳がないし」
「お兄様、分かるんですか?」
「いや、聞きかじったぐらいだよ。確か物理の授業で習った半導体の正孔とかが確かそれだったはず。粒子とみなされているだけの現象に過ぎないから、寄り集まって物体に、なんてことは本来あり得ない」

 いや、あるいは、そうしたものを圧縮して閉じ込める檻のようなものがレグナなのだろうか。何にせよ、これ以上ここで議論するには少々難解過ぎる話なので、戒厳は別のことを問うことにした。

「それより、レグヌムが地球にも満ちているのなら、どうして俺達には理術が使えないんだ? 思念波の定義を考えると、俺達からもダダ漏れのような気がするけど」
「それは、体外に発せられる思念波の強弱が問題なんです。テラのとある神話によれば、こちらの世界は理術を扱えない人間を排除するために分けられた世界なのだとか。それが事実かどうかは知りませんが、地球の人々は先天的に理術を扱えない程に思念波が弱い、と言うよりは、身体が思念波を遮断し易いんでしょう」

 結果、外界に思念波が伝わりにくくなる、という訳か。
 もしかすると、時たま現れて超能力者と騒がれていた人の中には、突然変異的に思念波が強かったり、肉体の思念波を遮断する能力が低かったりして理術を扱えてしまった人もいたのかもしれない。

「ただ、決して思念波がない訳ではありません。お兄様とサクラが今こうやってお話できているのも、思念波による変換メタ・言語意思伝達トランスレイションのおかげですから」

 この一ヶ月の間、アナレスやサクラとは当たり前のように会話していたため全く考えていなかったが、よくよく考えてみればおかしな話だ。
 世界が異なれば、当然、言語も異なっているはずなのだから。
 いくら文化の根底の根底が同一だったとしても、理術という決定的な違いを孕みつつ築き上げられた文明は大きく形を異にしていても全くおかしくはない。
 事実、単語レベルでは何かと共通点が多いらしい日本とアシハラの言語も、文法の点では大幅に形が違うと聞く。
 にもかかわらず、普通に話をしていて少しも違和感がないのは明らかにおかしい。

「それでも、やはりこちらの人が相手に自分の意思を伝えるには思念波が弱過ぎるので、相手側が意識して思念波を受け取るか、あるいは、それも不可能であればレグナを利用しなければなりませんが」
「……そう言えば、あの日アナレスの言葉を普通に理解できていたな」
「意思の受信だけならこちらの人でもできますから。ちなみに、意思そのものを言葉に乗せて伝える訳ですから、微妙なニュアンスの違いも正確に母語へと変換されるらしいですよ。あ、でも、そのせいで吹き替え映画を見ているみたいに音声と口の形が合わなくなりますけど。聴覚に干渉するらしいので」
「そうなのか」

 確かにサクラの口元をじっと見詰めると僅かながら違和感があった。
 しかし、上手な声優に吹き替えられた映画のように気になる程ではない。
 余程意識して見なければ気づけない程度のものだ。
 読唇術を行う際には困るかもしれないが、耳が不自由な人に対しても意思そのものが伝わるのであれば問題ないだろう。スパイなどは困るかもしれないが。

「あ、あの、お兄様。そんなに見詰められては、恥ずかしいです」

 サクラは自分の唇に向けられた戒厳の視線を意識してか、頬をほんのりと赤らめて居心地悪そうにもじもじしていた。

「わ、悪い」

 そんな彼女の可愛らしい反応に羞恥が伝播してきて、戒厳は思わず顔を背けた。
 彼女の場合、胸を見詰められるよりも唇を見詰められる方が恥ずかしいらしい。また無駄な妹知識が増えてしまった。

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