黒の魔術師 

野村里志

許され、許されざる者









 かつての師、レナードレストは黒の魔術師達から魔術を模倣してそれを組み合わせることで時を戻す魔術を生みだそうとしていた。


 無論、最後までそれは完成の目処すら立たなかったのであろう。それ故に行動にどこか慎重さが見え隠れしていた。


しかしシンにはできるかどうかの検証など必要なかった。サラを助ける方法がそれである以上、危険などとうに承知であった。








「加速術式を『反転させ』サラに発動させる。足りない部分は『想い』で補え…………」


シンは魔術を起動する。


(世界全体は無理でも、彼女一人ぐらいなら……)


しかしその急造で歪な魔術はシンの身体に焼けるような痛みを走らせる。


「彼女の時が巻き戻るのが先か。俺が消滅するのが先か……」


 シンは激しい痛みの中、歯を食いしばりながらサラに魔術をかけ続けた。










 結論だけ述べると魔術は奇跡的に成功した。もっともフィオネ、ブライト、デスペアという魔術に秀でた人間達の技術を拝借している上に、レナード・レストという最強の魔術師の力まで借りているのである。一人の少女の時を巻き戻すくらいのことは訳もないのかもしれない。


 サラがおそらく生きているであろう事はわかった。魔力は途中で尽き、どこかで時の逆流は止まっている。しかしサラがどれほど前に遡っているのかは定かではない。


 シンはサラの生死を確認する前に、ブランセルを後にしていた。あのままあの場所にいてはサラの安否を確認するよりも前に処刑されてしまう。最後の力を振り絞り、町の外に出て小さな木の下で泥のように眠った。


 サラの時がどの程度戻ったのか分からない。願わくばこの旅をするよりも以前の彼女に戻っていてほしい。シンは彼女には戦いとは遠い場所で生きていて欲しい、そう願っていた。


(まあその後死体は全てこの世界から消し去ったから、ほとんどの記憶からも消えているはずだがな)


 シンは後日、ブランセルに忍び込み、サラが変に記憶を取り戻すことのないよう死体をフィオネの魔術により消していた。これで旅の痕跡の大部分が失われることになり、サラがもし旅の途中の頃に戻っていたとしても勝手に忘れてくれるはずだ。


もっともシンはコピーした影響もあってか、記憶が消えてしまうことはなかった。


(あとは……)


 シンは自らの右手を見つめる。歪な魔術の代償か、はたまた人を殺めすぎた故か、黒の痣は広がり、既に身体の様々な部分に痣ができていた。


 自分自身をこの世から消す。そうすることでサラはこの一連の旅とは無縁にまたブランセルで生活することができる。どこか記憶に混濁は生まれこそするだろうが、自然と忘れていくだろう。シンはそんな風に考えていた。


(ただ問題はアイツがどこにいったのかって話なんだよな)


 シンは墓標を削りながら考える。最後に生存を確認しておきたい。シンはそう考えていた。


ブランセルに忍び込んで情報を収集する限りではサラが亡くなったという話は出てこなかった。それ故に魔術は成功したのだとシンは判断していた。ただそれでも確証が欲しかった。


 しかし結局彼女の足取りは掴めないまま、かつての住処に戻ってきていた。


(あの殺し屋に壊されたまま、ずっと直してなかったからな。随分時間がかかってしまった。)


 シンは数日がかりで直したかつての家を見る。師と訓練した場所も、寝泊まりに使った部屋もなんとか修繕することができた。


(サラがどうなったかは結局分からなかったが……まあこれで心残りはないな)


 シンは家の近くに作った墓標に手を合わせる。遺体はないがせめてシンが忘れないようにと、これまでに戦ってきた人々やレナード、そしてミナの名前を刻んである。


 ミナにはなるべく多くのことを報告した。姉に会ったこと、立派になっていたこと、世話になったこと等である。それだけに彼女だけは巻き込んではいけなかった、シンはそう感じていた。


 (サラにはこのまま手を汚すことなくブランセルで生きていて欲しい)


 シンは切に願った。今回の旅において、シンにとっては必要な経験が数多くあった。しかしサラに取っては余り良いことではない、シンはそうも思っていた。


(姉さんを何度も危ない目に遭わせてすまなかった。許してくれよ、ミナ)


 シンは再度手を合わせ、空を見上げた。根拠はなかったがミナが笑ってくれている。今はそんな気がした。




 これで支度は整った。そう思ったときであった。






















 ある晴れた日のこと、西にある小さな村からさらに森の奥へ半日ほど歩いていくと一軒の小屋があった。辺りの空間はまるで削られたかのように、さながら木々が避けているかのようにその小屋には光が差していた。深い森にありながら差し込まれる光に照らされたその古びた小屋は明るさとは対照的にあまりにも不気味であった。


 しかしどこか優しげでもあった。小屋の近くの墓標に手を合わせる少年はどこか儚げな顔をしていた。少年は来訪者を見つけると、優しい顔をした。










「すいません。あなたがレナードさんですか?」


 少女は少年に尋ねる。


(生きていた良かった)


 シンは涙が出そうになるのをこらえながら、その少女を見る。丁度サラがブランセルを出て、自分に会いに行く頃の時まで時間が戻ったのであろう。それ故にブランセルを探していた自分と入れ違いになっていたのだ。


 少女は何も言わず此方の反応を待っている。


 これが彼女との最後の会話になるだろう。ここで依頼を断り二度と会うことはない。そうすることで彼女は本来通り幸せな一生を過ごすはずである。


(このままずっとこの時間が続けば良いものを)


 そんなことを考えながら少年は覚悟を決めて返事をすることにした。


「いいえ、違います」
「そうですか、では住んでいる場所をご存じだったりしますか?」
「レナードさんは……既になくなってしまっているので。これはその墓標なのです」
「そうですか……それは残念です」


 シンはそう言って再び墓標に手を合わせた。


 本来であればレナードによって、ここの住処の住人は少年であることが伝えられているはずである。それ故初めてシンがサラに出会った時は、レナードの恰好をしていたにも関わらず、バレてしまった。


 しかし今回に至ってはレナードに関する記憶すら消えているため、その心配はなかった。


(それならここに依頼をすることすら消えていそうなものだが……他の人間を介していると記憶が残るのか?フィオネさんの魔術もツメが甘いな。それとも俺のコピーが不完全故か)


 少年はそんな風に考えながら少女が立ち去るのを待った。これが最後の別れとなる。そう思って立ち去り行く少女に最期の挨拶をしようとシンは立ち上がった。


 しかしその言葉は発せられることはなかった。


「シン……」


 少年ははっと驚き少女を見る。


 一方で言葉を発した少女自身も驚き戸惑っていた。


「あれっなんでだろう、涙が止まらない」


 少年はどうすることもできず、ただ内心で焦っていた。


 彼女はまっすぐな瞳を少年の方に向けた。朱いフード付きの外套に青いまっすぐな瞳。それは紛れもなく少年が待ち焦がれた相手だった。


「……迷子じゃないわよ」
「なっ!?」
「…ちょっとは成長してるんだから」
「何で……」
「……あんたは随分と成長したみたいだけど」
「あ…………」
「あんたはいつもそうやって先に行って、挙げ句の果てに私を置いて死のうとまでして……」
「…………」
「許さないから……勝手に死んだら、私許さないから!」


 少女はたたみかけるように言い放ち、少年のもとまで詰め寄る。


「お前は……相変わらずだな。頑固だし、意味分からんし。それに小さいままだしな」


 少年は小馬鹿にしたようすで少女をからかう。もっとも涙混じりで何一つ恰好はついていなかった。


「うるさいわね!これからよ、これから!」
「まあお互いまだまだみたいだな」


 少年は笑いながら言う。


 本来なら記憶も当然消えているはずである。時が巻き戻りきっていないのであればブランセルからこんなに早く移動したりしない。


 では何故なのか。しかしシンはそんなこと気にする余裕もなかった。


(やはり俺の魔術はいつも不完全だな。また師匠にどやされる) 


 しかしもうそんなことはどうでも良かった。


「で、お前は一体どちら様だ?俺に恋する村娘かな?」


 少年は以前に言った少しクサイ台詞を口にする。あの頃は師匠の真似事であったが今は少しばかり似合うようになっている。


「違っ!…………わないけど……」


 少女は少し照れながら小さな声でそう言った。少年はその様子から心が締め付けられるような気がした。


 少女は軽く咳払いをしてもう一度少年を見つめる。


「私はサラ。魔術都市ブランセルの上級魔術師よ。大罪人シン・レスト。拒否権はないわ。私を……」


 少女はそこまで言ってとっさに口ごもる。


 頭を掻いたり、うんうん唸って一通り百面相したあと不意に深呼吸をして覚悟を決めたようにまっすぐシンを見つめた。


「私を……」


 少女はもう一度大きく深呼吸をする。


「私を受け取りなさい!」






 顔を赤らめ強く言い切るサラを、シンは強く抱きしめた。


























 黒の魔術師 完













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