黒の魔術師 

野村里志

時来たりて、相見える

 










(ふむ、思ったよりも生きながらえるな)


 レナードは自室にてサラの死亡報告を今か今かと待っていた。


サラはシンとは違い黒の魔術師では無い。それ故シンの逃亡を手助けしたとは言え、裁判にかけずに処分を下すことはできず、現在治療が施されているのである。


(あの毒矢を受けた以上、長くは持たないはず……しかしローブの下に簡単な防具でも着込んでいたのか?矢が一本しか深く刺さっていなかった)


 レナードは悲願の達成が遅れることに少しばかりの苛立ちを覚えていた。しかし自ら努めて大きく深呼吸をし、苛立ちを抑えた。


(いかんいかん。焦ってはな)


 レナードは椅子に深く座り、窓の外を眺めた。星が美しく、綺麗に輝いていた。


(ブランセルでは久しぶりだな。ここまで綺麗な星空が拝めるのは)


 レナードはかつて住んでいた森の小屋を思い出す。


(あそこは星が綺麗に見えた)


 そしてレナードはこれまでの人生を振り返る。


 歴史ある魔術師の一家に生まれ、エリート魔術師として出世することを約束されると同時に宿命づけられた人生であった。


 レナードは魔術協会の治安部に配属され、エリートとしての道を邁進していた。どこまでもまっすぐで勤勉。努力家で周囲からの人望も厚かった。


 しかしある任務で無能な上官に反発したことでその道を踏み外す。


 自らの信念を貫き、上に反発した結果レナードは協会で左遷された。その一方、現場で多くの魔術師がレナードによって救われてもいた。


 しかしそんなレナードに両親や周りの人間がかけた言葉は辛辣なものであった。罵詈雑言に加えて誹謗中傷。次第にレナードの心は腐っていった。


協会での出世に失敗し、自身の信念を貫いた男。現場で慕われていたその男は最後にはそれを良く思わない別の魔術師に虚偽の疑いをかけられ、あの森へと流れ着いた。


(自分の信念を貫いた結果がこれか)


 レナードは乾いた笑いで自らの人生を振り返る。


「変えなくてはいけない。このふざけた世界を」


(そしてやつらに……)


 レナードは強く拳を握りしめた。


 その時ドアを叩く音がした。


(ようやく来たか)


 レナードは「入れ」とだけ言って報告を待ち構えた。


しかし訪れたのは黒髪に赤みがかった黒い瞳をした少年、かつての弟子であった。














「よくここに入れたな」
「あなたの教育の賜ですよ。師匠」


 シンはまっすぐレナードを見つめて答える。そして静かに懐からナイフを抜いた。


「待て、シン。私たちに戦う理由は無い」
「……」


 シンはナイフを構えたまま聞く。


「私はこの世界の時を巻き戻す」
「……」
「お前も見ただろう?ブランセルの魔術師達を。この都市を。お前なら分かるはずだ」
「…………」


 シンは何も言わない。レナードはそのまま続ける。


「しかし時を戻し、やり直すことができればこの世界は変わる。シン、サラはもうすぐ死ぬ。哀しいことだが、時を戻せばそれも一時的なことだ。もうお前は死ぬ必要も無ければ私を手伝わなくてもいい。もう全て終わったのだ」


 シンは黙っている。レナードの言うことはもっともらしく聞こえた。


 だがそれが正しいとは決して思わなかった。


「それは絶対に成功するものですか?」
「……ああ。必ず」


 シンはその言葉で覚悟を決めた。


「嘘ですね」


 シンは続ける。


「私の師は『絶対』なんて言葉は使いません。そんな思い込みは戦いの場において敗因を生むだけですから」
「だが可能性は十分だ。それに時間をかければ……必ず……」
「俺は……」


 シンがレナードの言葉にかぶせるように話す。


「俺はこの世界のあいつに、生きていて欲しいんです。もしかしたらもっといい世界が生まれるかも知れないけど、それでも今、ここにいるサラに、笑っていて欲しいんです。……死んで欲しくはないんです」


 レナードは何も言わない。


「その様子だとサラはまだどうにか生きているみたいですね」
「……ああ」


 レナードは静かに答える。


「サラの命は……助けさせてもらいます」


 シンは力強く言い放つ。レナードはシンの意志が十分に固いことを確認した。


「そうか……」


 レナードが動いたのはほんの一瞬の出来事であった。


 シンは光に包まれた。














「何が……起きたというのだ」


 レナードは予想外の出来事に少しうろたえる。しかし努めて冷静に状況を分析した。


 自分が魔法を撃ったところまでは覚えている。部屋に仕掛けられている罠を作動させ、シンの後方から魔術弾をぶつけた。そして同時に自身もシンに向けて魔術を打ち込んだ。


 問題はその後である。魔法を撃った後に自らの魔法が自分にも跳ね返ってきたのである。そしてシンは傷一つ無く正面に立っている。


「この防御のローブがなければ完全に身は朽ちていた」


 レナードはボロボロになった自分のローブを見て言う。既にレナードのローブは完全に破壊されその効力も消えていた。


「まったく一撃では仕留めきれないか。さすが俺の師匠だ」
「……やはり手は取り合えないか?」


 レナードはおどけて言ってみせる。これもちょっとした時間稼ぎであった。


「それは都合の良すぎる解釈ですよ、師匠。こんなでかい魔術を撃っておいて」


 しかしシンも即座に攻撃できぬ理由があった。


 シンの魔術が不完全であるが故であろう。デスペアの反転の魔術は完全に起動したわけでは無かった。シンは自らのローブの中に着込んだ鎧が破損していることを確認すると鎧を脱ぎ、同時にローブも空中へと脱ぎ捨てた。


「さあ、やりましょう」


 そこには迷いすべて打ち払い、まっすぐな瞳で自らを貫く少年がいた。


「そうか。ではここからは意地の張り合いだな」


 レナードはどこかうれしそうに小さく笑い、同じように邪魔になったローブを投げ捨て剣を構える。


 かつて魔術師でありながら初めて剣を握った男。その魔剣は余りにも有名である。


 魔術を扱うには必ずしも杖を使う必要はない。魔術が付与された特殊なものであればそれで代用することができる。レナードは戦闘が必要となる魔術部隊において、伝統に縛られること無く様々な備品で杖の代用ができるようにはからっていた。


 これにより治安維持部隊並びに警備隊の生存率や消耗率は劇的に改善している。


(デリフィードやその他の魔術師が剣を使うようになった先例。旅をして、他の魔術師をコピーしなければ知らない事実ではあったがな)


 シンも同様にナイフを構えている。この旅を通じて自分の知らない師匠の事について、いくらか知れた気がした。


「ここから先に正義など無い。あるのは互いの信じるものだけだ。勝ったものこそが正義を語れる」
「御託はいらないぜ、師匠。もとより黒の魔術師に必要なものは信じるもの以外のなにものでもない」


 シンはそう言い切る。


「そうか、ならば始めるとしよう」


 そう言ってレナードは息を吐きもう一度魔力を練り直す。その力は対峙してきたどの魔術師よりも強く、大きかった。


「シン、私に勝てると思ったか?」
「『青は藍より出でて……』」
「『藍より青し』……か。お前の出身である東の言葉だったな」


 レナードはかつての懐かしい記憶を思い出す。苦しみの記憶の中に残るわずかばかりの優しい記憶。その記憶も、時を巻き戻せば無くなることになる。


 両者は大きく息をはいた。互いの準備は既に万端であった。




「レナード・レスト……」
「シン・レスト……」




『『ここに戦いを決意し、勝利を予言する』』








戦いが始まった。











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