黒の魔術師
旅の目的
魔術協会の護送馬車は非常に大型であり、乗り心地も快適であった。少なくともシンやサラがこの旅で使ってきた長時間乗ると体の節々をを痛めるようなボロ馬車とは訳が違った。
(やっと旅が終わる)
シンは懐に入っている小瓶を手に取り、懐かしい目をしながら見つめた。
「ん?何だそれは?」
隣の魔術師が不審がって問いただす。
「毒薬ですよ。それも猛毒の」
「なっ!?」
魔術師の驚いた顔にシンは「してやったり」と笑った。
「もう使う必要もなくなりましたがね」
シンはそう言うと小瓶を魔術師に渡す。魔術師は恐る恐るその小瓶を受け取った。
シンにとって旅の目的は罪を贖うことであった。かつて自分が殺した少女、ミナに対して。そしてその姉であるサラに対してである。
初めてサラがあの森に来たとき、シンがこの世界に別れを告げようとしたあの日、シンは忘れることのできないあのミナの面影をサラに見出した。それ故に彼女が、かつてミナが言っていた姉であることは魔術を読み取るまでもなく分かっていた。
「いつかその報いを受けなければいけない」。シンはその時が来たのだと感じ、依頼を受けることにしたのである。
(本当は……きちんと話すべきなんだろうな……)
シンはサラに対して最後まで真実を伝えることができなかった。彼女はどこまでも優しい。話してしまえば復讐と温情の間で苦しむことになるだろう。それは彼女のためにも良くはない。
しかしシンはそんな考えが言い訳であることも十分に承知であった。本当は旅の中に見出していた安息、喜び、楽しみといった感情に自分が浸されていくのが怖かったのである。いつか伝えなければいけない、いつかサラが知るかもしれない、いつかなくなってしまう旅の日常を自ら壊すことが恐ろしかったのである。だから何も告げず、ひっそりと死に向いたかったのである。
同時にシンには既に生きる理由はなかった。それがサラが来たあの日に、自ら死のうとした理由であり、今現在死に向うことに抵抗がない理由である。
師匠がいなくなってから二年。既に待つことには疲れ果てていた。一人で生きることにも、そして過去に苦しめられて生きることにでもある。ミナを殺した自分に生きる価値があるとは到底思えなかった。
サラが来たことはあくまで延命しただけである。ミナへの贖罪、そしてサラへの贖罪として自らの命を使い果たすこと、それがシンの旅の目的である。
それ故にサラを懸命に守ってきた。彼女は戦場には不慣れで、度々足手まといでもあった。従ってただの罪人が依頼を受けたのであれば見捨てるべき機会は数多くあった。そこを踏まえるとサラにとってシンが旅の相手になったことは幸運でもあったと言えよう。
(まあおそらくサラが来たことも偶然では無いんだろうけどな)
シンはそんなことを考えながら目を閉じる。気がついたときには夢の中にいた。此度にいたってはもう周りを警戒しながら眠る理由はなくなっていた。
「おい起きろ。着いたぞ」
「へっ?」
シンは情けない声を上げながら大きく伸びをする。アタリは既に暗く、遠くにはわずかに日が出ているのが見えた。
「ここは?」
「ブランセルだ」
「もう着いたのか。高級な馬車は移動が速いな」
「違う。お前が一日近く寝ていたのだ」
「へっ?」
シンの間の抜けた受け答えに警護についている他の魔術師達が少し疲れたような顔をする。
「どうしたんだ?」
「許してやってくれ。皆疲れているんだ」
「そりゃ馬車に長く乗るのは疲れるだろうけど、それにしたって疲れすぎじゃないか」
「そうじゃないさ。皆君がいるから気が休まらなかったのさ」
「そりゃまたどうして?俺は眠りこけてたし、縄でも縛られているのに」
シンはそう言って縛られている両手を見せる。そんなシンの様子をみて魔術師達の長少し笑いながら言う。
「君は仮にも最も危険な魔術師の一人に挙げられていて、他の二人は既に君によって葬られてしまった。これで分かるだろ」
「まあ、わからんでもないけど」
「じゃあもう少し、それらしくしてくれ。あんなに無防備で眠られちゃ、逆にこっちが休まらない。余計に警戒してしまう」
準備ができたのだろう。また別に魔術師の集団が現れ、シンの身柄の引き渡しが行われる。シンは促されるままに魔術師達に付いていった。
「しかしブライト、デスペアを仕留めた男があんな少年であったとは。しかもあそこまで聞き分けよく、無防備で。順調にいきすぎて不安なぐらいです」
魔術師の一人が連れられていくシンを見ながら話す。魔術師達はようやくに任務が終わったことに安堵を感じていた。
「しかし大丈夫か?いくらなんでも聞き分けが良すぎる。何か悪いことでも企んでいるのかも……」
「確かにな。ただここブランセルには大賢老もいる。最悪な事態は避けられるだろう」
魔術師達の会話を聞きながら長は黙っている。おそらく彼は変に反抗したり、何かを企てたりもしないだろう。不思議とそう感じていた。
「ブランセルでも牢屋はボロか」
シンは入れられた独房を見渡しながら呟いた。ひょっとして綺麗な部屋が与えられるのではないかとも期待したがそんなことにはならなかった。
「大賢老様、こちらは……」
「いや、いいんだ。通してくれ」
扉の向こうで看守と年老いた男の声がする。話を聞く限り件の大賢老様が来たことが予想できた。
(いよいよ例の大賢老様とのご対面か)
シンはサラが自分の師である大賢老について話していたことを思い出す。自分の才を見出してくれたこと、修行を見てくれたこと、能力を評価してくれたこと。様々なことを話してくれたが、シンはおよそそういった彼の特徴を既に知っていたのであった。
(まあそれに気付いたのは随分と後になってからだけどな)
「こちらに」
シンの目の前に白髪と白い髭を蓄えた老人が入ってくる。やはりそうだ。シンは姿形が変われども、その男を見間違うことは無かった。
「すまんが、退出してもらえるかな」
大賢老はそう言って看守を外に出す。そして魔術で部屋の音が外に漏れないようにした。
「はじめまして……いや、その様子だともう気付いているようじゃな」
大賢老の言葉にシンはにやりと笑う。すると大賢老の姿は見る見る内に四十前後の壮健な男性の姿に変わっていった。少し歳をとったような気がしたが、非常に懐かしい姿であった。
シンは立ち上がり頭を下げる。
「お久しぶりです。師匠」
「ああ、久しぶりだ。元気そうで良かったよ、シン」
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