黒の魔術師 

野村里志

サラという少女









 そこは地獄だった。






 村は燃え尽き、多くの家が灰と化していた。人は後処理をするために派遣されたブランセルの人間ばかりで、普段見知っていた人達は見つけることができなかった。


(皆……どこ?)


 サラは走り出し、村の中に入っていく。


「あ、君!入っちゃダメだ」


 付き添いで来ていた協会の人間がサラを追う。彼がサラを止めようとしたのは危険だからではない。その少女にできるだけ地獄を見せまいとする配慮である。


(お父さん……お母さん……)


 サラは脇目も振らず目的地へ駆けていく。建物は何一つ残っていないが、どんなに焼けていてもなじみの道を間違えることはなかった。


(ミナ……!)


 サラは足を止める。かつて実家があった場所。家族がすんでいたその幸せの空間はすでに燃え尽き、見慣れた者は何一つ残っていなかった。


(そんな……)


 サラは呆然と我が家だったものをみつめる。何を考えるでもなくサラは立ち尽くしていた。


(これは……)


 サラは灰の中に光るものがあるのに気付き、近づいていく。その物体の輪郭が徐々に明らかになるにつれて、サラは願うように可能性を否定した。しかしその物体にかつて母が大事につけていたペンダントを見つけたとき、サラは胃の中のものを吐き出していた。


「見るな。見るんじゃない」


 協会の人間がローブで包むようにサラを覆い、サラはひたすらに吐き続けた。


「大丈夫だ。落ち着いて」


 彼は優しく水筒を取り出し、サラに手渡した。そして他の人間に指示を出して死体を収容させていく。


「おかぁさん……おかあさん……」


 サラは吐きながら、声を絞り出すように泣いていた。


 サラの様子から彼はその遺体が彼女の母であることを察した。そして「待ってくれ」と遺体を処理しにきた仲間達に声を掛けて遺留品であるペンダントを受け取る。


「せめて……君がもっていなさい」


 彼はサラの手にペンダントを握りしめさせる。サラは声にならない声で泣き続けていた。


(やはり連れてくるべきではなかったな)


 キトの村で何らかの問題が起きているという報告が入ったのはつい数日前のことであった。家屋が燃えているということは事前の報告で分かっていたが、それ以外の報告は要領を得ず、追加の情報を持ってくるはずであった報告班も帰っては来なかった。


 そうして要領を得ないまま、協会は人材を派遣し今に至る。現場がこのような地獄になっていると分かっていれば、数少ないブランセルにいたキトの村出身者とはいえ、年端もいかない少女を連れては来なかったのだが。


「さあ、もう行こう」


 彼はサラにそう告げる。そしてサラの手を引き、村の外まで歩いて行こうとすると、サラが足を止めた。


「どうしたんだい?」


 彼は問いかける。


「まだ……お父さんと……妹が……」


 サラは声を震わせながら訴える。


 村という村が燃え尽きるまで情報が来なかったこと、協会の情報班すらも消えてしまったこと等から考えると生き残りがいるとはとても思えなかった。


 そして聡く賢いサラは、幼いながらそれは十分に理解していた。それでも心が繰り返し否定しようとしていた。


「大丈夫。あとは俺たちがなんとかする。お父さんと妹もきっと見つける」


 彼はそう言ってサラをなるべく早くこの場から離れさせようと試みる。間の悪い報告が届いたのは丁度その時であった。


「隊長!村の外れに焼けてない少女の遺体が…」


 その言葉を聞くのと同時にサラは走り出していた。


 その速さはあまりにも速くわずかな間ではあったが、追いかける成人男性と距離を開けるほどであった。










「ミナ!ミナ!ミナ!」


 村の外れにある遺体。それが自分の妹でないことを心の中で願い続けた。ただ浮上した疑惑、ミナが死んでいるということを否定するためだけに、サラは村はずれに向った。


 キトの村は比較的小規模の村であり、端から端であっても、少女の足でさほどかからない。


 サラは比較的早くその現場にたどり着いた。


「こらこら子供は入って来ちゃいけない」


 遺体を処理している係の人間はサラに気付くと戻るように促す。しかしサラはその制止を振り切り、遺体を目指す。


 焼けていない遺体は数が少なかったのであろう。その珍しさ故にまだ布はかぶせられておらず、何人かの男達がその遺体を調べていた。


 そして男達の背中の間から、今まで何度も見てきた、最愛の妹の顔が、わずかばかり見えた。


「嘘……」


 サラは崩れ落ちるようにへたりこむ。サラの付き添いできている彼がサラに追いつき、再び見ないように促した。


「隊長、困ります。こんな幼い子供を連れてきては」
「すまん。一瞬の隙をついて走ってきてしまった。以後注意する」


 彼はサラを抱き上げ村の外へと向う。外に待たせている馬車で先にブランセルへと返そうと考えていた。


「待って」


 サラが彼に言う。


「妹を……妹にお別れがしたい。お墓を……」
「……」


 彼は本音を言えば今すぐこの地獄から少女を帰したかった。焼けている人、広がる死臭。全てが少女の記憶となって将来を苦しめる。それが簡単に予想できたからである。


「お願いします」


 そう泣きながら懇願するサラに、彼は足を止める。そして少し迷った末にサラを地面に下ろした。


「ここで……しばらく待とう。君に妹や家族の遺体を見せることはできないが、せめて調査が終わった後に、土に埋めてお別れを言いに行こう」


 サラはこくんとだけ頷いて「ありがとうございます」と呟いた。彼は何も言うことができずただサラの頭を撫でた。


(強い子だ……)


 彼はそう感じながら、項垂れ、震えるその少女の頭を優しく撫で続けた。






















「はぁ、はぁ、はぁ」


 サラは大きく肩で息をしながらデスペアを見る。拾った短剣を突き立てたその背中からはみるみる血が流れ出している。


「お前……なんで」


(どうやらうまくいったようだな)


 デスペアは思考がまとまっていないようであった。それもそのはずである。自らへの攻撃は全て反転の魔術により打ち返されるようにしていたのであろう。故に気付いていた後方からのサラの攻撃を無視していた。


 実際にはそれ以上にシンの記憶に興味があったのかもしれない。いずれにせよそれは大きな隙であった。


「『勝ちを確信したとき、その者は最も弱くなる』。自惚れたな」


 シンはデスペアが自らをコピーしようとしていたとき、同時に自分もコピーしていた。そして反転の魔術をデスペアにかけることで


(しかし、今はそんな原因を考えている余裕もないだろう)


 デスペアは加速術式と肉体強化を同時に使い一目散にその場を離れる。シンもその判断は間違っていないと感じた。


(今の一撃は致命傷。それにいくら傷ついているとはいえ俺はまだ魔術が使える。だとすればデスペアが取るべき行動は逃げて治療に専念するほかない)


 シンは無理に追う必要はないと判断した。もし仮に追ったとして、共倒れになってしまっては意味がないからである。


 しかしサラは逃げるデスペアを見て躊躇わず走り出した。


(あいつ、何やってやがる)


「戻れ!」と叫び追いかけようとするもうまく足が前に出ず、シンは転んでしまう。その間にもサラはどんどん離れていってしまっていた。


(なんとか、止めねえと。まだデスペアにも反撃するくらいの力は残っているかもしれない)


 しかし思いとは裏腹にシンの足には力が入らなかった。
























(クソッ!クソッ!クソッ!クソッ!クソッ!)


 デスペアはなりふり構わずひたすらに走り続けた。


(ここは見通しが良すぎる……なんとかして隠れなければ)


 デスペアは少し離れた茂みに向い走る。そして茂みに少し入ったとこで木のそばに腰を下ろした。


 背中からは尋常じゃないほどの痛みが走り、出血の量から早急な処置が必要であることが分かった。


(シン君の知識がここまで役に立つとはね)


 背中に傷を負って以降の判断及び処置が的確且つ迅速にできたのは偏にシンのコピーをしていたからであった。デスペアは肉体強化により出血を抑えつつ、魔術で傷口を焼いて塞いだ。


 木のそばで寄りかかるように座り、デスペアは自分の状態を確認する。


(これで外部に血が流出することはかなり抑えられたが、いかんせんダメージと内出血が酷い)


 デスペアは自分の傷が思ったより深いことから、あの少女が魔術によって速度をつけた上に体重をのせて刺してきたことを理解した。


(一体何が彼女にあそこまでの殺意を……)


 デスペアがそう思うや否や後ろから足音が聞こえる。


「見つけたわ」


 そこには先程の少女がいた。




デスペアはこの時に死期を悟った。
















「人が死ぬとき、どんな思いで死んでいくのか。それが気になっていた」


 後ろから来る足音が近くなってくる。


「叫ぶ者、わめく者は大勢いたが静かに死んでいく者もわずかだがいた」


 足音が後ろで止まる。


「そんな誇り高い連中がどんな思いで死んでいっているのか。内心で叫んでいるのか、はたまた心の中すらもそんな気高さをもっているのか。たまらなく知りたかった」


 デスペアは続ける。


「でもいまになってわかる。死を覚悟した人間、生きることに全力であった人間はそんなことを考えないんだ。ただその死を受け容れていく。それだけなのさ」


 デスペアは満足したように微笑む。そこには先程の歪な笑いとはほど遠い、幸福な笑みを浮かべていた。


 そしてそれはサラにとって耐えがたいものであった。


「ふざけないで!」


 サラはデスペアの前に立ち短剣を首に突きつける。


「何をそんなに怒っているんだ?君は生きているし、今の僕は君の手でも十分に殺すことができる。勿論捕らえて無力化することも。シン君もダメージこそ負っているが無事だよ」


 デスペアは静かに、そして冷静にサラに語りかける。


 死を前にしたその冷静さと、どこか死を受け容れているような満足さがサラは許せなかった。


「……キトの村」
「……?」
「あんたが……やったの?」
「なるほどそういうことか」


 デスペアはおおよそを理解した。この少女の怒り、そしてシンの記憶を辿ったことで。


「答えなさい!」


 サラは声を張り上げ剣を持つ手に力を込める。デスペアはそれがさらに滑稽に見えた。


「そうだよ。あれは僕が撒いた呪いだ」


 サラはデスペアの足に短剣を突き立てる。デスペアは小さく声を漏らすとすぐに笑い出した。


「こんなことして何になる」
「うるさい!」


 サラはまくし立てながら続ける。


「お前が殺したんだ。お前が奪ったんだ!故郷を、家族を!」
「……」
「妹は六つだった……生きる楽しみも知らず、死の覚悟すらもしていない!」
「そうか、残念だったね」
「……ッ!」


 サラは剣を引き抜きもう一方の足に刺した。デスペアの笑いはより大きくなった。


「気が晴れたかい?いくら僕を刺そうと妹さんは帰ってこないし、君が村に対して何もできなかったことは変わらないけどね」
「それをお前が……」
「違うかい?じゃあせいぜい僕のせいにして合理化して生きていくといい。僕は殺しを肯定する以上殺される覚悟はある。君も黒い痣と共に生きていくといい。妹も守れず、せっかくとった協会の資格を捨てて、黒い痣とともに惨めな生活を送るといい」


 デスペアは心底楽しそうに笑い始める。その笑い声はサラの神経を逆なでした。


「それをお前が言うことか!」


 サラは剣を振り上げデスペアに振り下ろそうとする。しかしデスペアの一言で不意に手が止まる。


「誰がミナを殺したと思う?」
「……え?」


 何故この男からその名前が出たのか、何故その事実を知っているのか、サラは知る由もなかった。デスペアそっとサラの手に触れて話を続ける。


「君の妹。なんで君の妹は焼けていなかったんだろう?」
「……」
「それに知っているかい?君の妹だけ刺された傷があったんだ。僕は人食いの呪いはばらまいたけど別に自ら手を下したりしてはいない」
「……どういうこと?」


 妹の身体に刺し傷があったことは、後に知らされていた。父親と母親は焼けていたものの所々に噛み千切られた跡のようなものがあり、後にそれが「人食い病」と呼ばれるものであると知った。


 だからこそサラは探していた。妹は誰かに殺されている、その相手を見つけなければならないと。


 そして今、答えを見つけたと思っていた。


「残念だが答えとしては不正解だ。僕は家族の命を奪うきっかけを作ったが、妹に関していえば直接的原因が他にある。
「どういうことなの……」
「それはね……」


 サラはかすれ声のデスペアの声を聞くため姿勢を落とし、顔を近づける。


 しかし同時に後ろからはなられた光線によりデスペアの心臓が貫かれた。


「もう反転の魔術すら用意できていなかったか」


 後ろからシンが現れる。


「お前は……黒い痣を、呪いを背負う必要はない」


 シンはそう言ってサラの肩に手をやる。しかしサラは少しの間動かなかった。


「どうした?」
「う、うん。なんでもない……」


 サラは振り向き少しぎこちなく笑顔を作る。シンは「そっか」とだけ言って、デスペアの生死を確かめる。


「……死んでいる」


 シンはデスペアを背負い、もと来た道を引き返す。馬車は多少損傷したがまだ使え、馬も無事であることは来る前に確認していた。


「どうした?行くぞ」


 シンの言葉に少し遅れてサラは「あ、うん」と返事をしてついていく。しかしサラはそれどころではなかった。最後にデスペアが残した言葉、その意味をずっと探していた。






































「シン君。彼だよ。君の妹を殺したのは」

















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