黒の魔術師
ヨク楽シミ、ヨク殺ス
「さあ、殺し合いをはじめよう」
デスペアは静かにそう言った。
数刻前のことである。妖精祭を一晩だけ体験して、シンとサラは町を出た。馬車に揺られながらかねてからの計画通り、デスペアを探していた。
「よし、これで五つ数えるくらいには平均で保てるようになったわ」
シンが馬車の荷台でのんびり横になっていると、隣に座っているサラが何やらうれしそうに呟いている。
「どうした?」
シンは寝そべったままサラに問いかける。
「魔術の訓練をしているの。いままで体感で二つか三つ数える内に魔術がきれてしまっていたんだけど……最近では五つまで持つようになったの」
サラはうれしそうに言う。
今までの経験からサラは自分の実力不足を感じていたのであろう。元々勤勉な性格ではあるが日を追うごとに熱心に魔術の訓練をしている。シンはそんなサラを見ながら「上級魔術師になるだけはあるな」と勝手に感心していた。
無論シンも普段から訓練を怠っている訳ではない。いつでも身体が動くように体調の管理から、魔術の調子まで徹底的に把握している。それは師匠による教えが大きく影響しているが、サラの姿勢はシンの徹底ぶりと遜色ないほどであった。
(きっと大賢老とかいうお偉いさんもアイツにとって良い師だったんだろうな)
シンはそんなことを思いながら再び身体を休める。適切な訓練と十分な休息こそが向上への近道であることをシンは十分に理解していた。
「のんきに寝てるわね」
サラは馬車に揺られながら器用に寝る黒髪の魔術師に少しばかり呆れたように呟く。最も普段の入念な準備や鍛錬はサラも知るところであり、その切り替えの速さにサラは驚いているのであった。
「私も少し休もうかしら」
そう思い、サラはローブを羽織り軽く目を閉じる。
「…………っ!?」
しかし思い出される光景にすぐに目を開ける。焼けた村、焦げた死体の臭い、そして……。
(そうね。私にはそんな余裕はないわね)
サラは何故自分がこの旅に出ているのか再度確認する。自分にはやらなければならない使命がある。サラは自分に言い聞かせるように呟き、自らを戒める。
(ミナ……)
サラはペンダントを握りしめ再び魔術の訓練をはじめる。
(必ず……仇はとるから)
サラの魔術はよどみなく、回を追うごとに精錬されていった。
サラが魔術の訓練の手を止め、休憩し始めた頃、不意に馬車が止まる。サラは何事かと馭者の様子をうかがいに荷台から顔を出そうとした。
しかしその瞬間後ろからシンに頭を抑えられ、強制的に姿勢を低くさせられる。その頭の上にボウガンの矢が飛び去ったのは、すぐ後の出来事であった。
「姿勢を低く、隠れていろ。俺が合図を出す」
シンはすぐさま馬車の後ろから地面に転がり、荷台の下に滑り込む。そして自らを土の魔術で地中に取り込み、地面を通して周囲の人数を確認する。
(周囲には……一人?)
シンは不審がって、今少し地上の様子を魔術を通して伺う。しかし索敵範囲を広げてもいるのは目の前の一人であった。
シンは馬車の後方から這い出てて、馬車の影に身を隠しながら相手の様子をうかがう。相手はボウガンを手に持ったまま、ただ立ち止まっていた。
「出てきなよ。話をしよう」
唐突に目の前の男が話し出す。その声の質は男と言うより少年と形容したほうが適切であった。
「え?」
サラが不用意に荷台から顔を出し前を伺う。そして狙い澄まされたボウガンの矢がサラの目前まで迫ってきていた。
「バカかお前は」
シンは矢をナイフで弾き、目前の相手をにらみつける。そして躊躇うことなく風の魔法を打ち込み、首元を裂きにいった。
しかし風の魔法は男に命中するも弾かれてしまう。
(フィオネさん同様に魔術の鎧か?にしては弾かれ方が妙だ。まるで……)
「跳ね返されたみたいかい?」
不意に心を読まれたかのように発せられた言葉にシンは少し身構える。その男はケタケタと笑いながらボウガンに矢をつぎ直す。
シンは隣にいるサラを見る。多少の恐怖心はあるようであったが、既にその顔は戦いに気持ちが向っていることが見て取れた。
(少しはマシな顔になってるな)
シンはサラに馬車の後方に回るように指さす。サラの魔術により奇襲を仕掛ければ敵を容易に無力化することも可能である。シンはその線も考えに入れて、敵の面前へと荷台から降りる。
(馭者は……殺されてしまったか)
手綱を握ったまま事切れている馭者にやるせなさを感じながら、シンはゆっくりと男の前まで歩く。
「流石だね。ゆっくり、しかし一瞬の隙もないや。これじゃとても殺せない」
「何者だ。魔術を使えるところただの野党じゃないみたいだな」
「それは勿論、僕は君たちを殺しに来たのであって、モノを奪いに来たわけじゃないからね」
目の前の男は再度ケタケタ笑いながら答える。フードを深くかぶっているため表情を確認することは叶わなかったが、卑しい笑みを浮かべていることは想像できた。
「何故俺たちを狙う」
シンが問いかける。
「別に……なんとなくかな」
「なんとなく?」
「しかしまいったよ。ここら辺の警備が異常な程厳しくなって、街道という街道に魔術協会に人間がいた。魔術協会なんてどうでも良いけど、いくら何でも四六時中追いかけ回されるのは好きじゃないからね。なるべく人が少ない方に来たら運良く君たちが来た。それだけさ」
シンは男の説明に合点がいかなかった。魔術協会の人間が少ない方に移動してくることは合理性がある。その一方で自分たちを襲う理由、それが見えなかった。野党なら荷馬車かどうかの区別はつく。本来なら人を運ぶ馬車を襲うのは余程高貴な人間が乗っていて、人質にできると分かっているときだけだ。
(襲撃にだってリスクをともなう。ましてやこっちは魔術協会御用達の馬車を使っているんだ。襲うメリットがない。魔術協会に恨みが?これじゃまるで……)
シンはそこまで考えて、とある可能性にたどり着く。酷く残忍な可能性、人として常軌を逸している理由を。
「お前は人を殺すこと自体を……目的にしているのか?」
「……正解だ」
男はローブを脱ぎ地面に落とす。露わになった顔はシンと同年代の少年の顔であった。
「……っ!!」
荷台の後ろに隠れているサラがつい驚きの声を漏らす。
(知っている顔か?)
シンは少し疑問に思ったが、後方から感じるサラの様子からなんとなく察しは付いていた。
「まあ僕はちょっと有名だからね」
そう言いながら何食わぬ顔でシンにボウガンを放つ。シンは魔術の鎧によりそれを弾いた。
「僕の名はデスペア。見たところ君も同じみたいだね。人殺しの目をしている」
「……」
シンは黙って相手を見つめる。黒の魔術師において最も危険な人間としてマークされている男。それが目の前に立っていた。
(おそらく本当だろう)
シンは確かめる以前にその男がデスペアであることに疑いを持っていなかった。シン自身ひしひしと感じていた。目の前にいる男が人を殺すことになれきってしまっていることに。
「探す手間が省けたな」
シンは小さく呟く。
先程魔術で探知した限りでは罠も確認されていない。加えて先制の攻撃も防いだ。奇襲の利は既に失われている。
ただ此方にとって優位であるわけではない。不利を打ち消しただけである。シンは再度気持ちを改めて相手に臨む。
「シン・レスト、ここに戦いを決意し、勝利を予言する」
「さあ、殺し合いをはじめよう」
デスペアは静かにそう言った。
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