黒の魔術師 

野村里志

忘れぬ想い









その戦いは消耗戦であった。しかも異常なまでに不毛な。


シンは冷静に相手の動きを見ながら魔術弾による攻撃を試みる。しかし彼女が纏う見えない鎧によって全てすんでのところでそれてしまう。


「そんなものかしら」  


 フィオネは優雅に小型の杖をふるう。シンは経験を基にフィオネの不可視の攻撃を避ける。幸運なことにその魔術は基本的に杖を振るった方向にしか出せないようであり、見えなくとも避けることは可能であった。


 しかし躱した先の地面はえぐれ、草は不自然な形で切れていった。


(くそ、やっかいだな)


 シンはじっとフィオネを見つめ、なんとか突破口がないか探る。


(触れることすらままならない以上デリフィードからコピーした肉体強化は役に立たない。かといって遠距離攻撃ははじかれる。可能性があるとすれば加速術式で詰めて近距離で魔術をたたき込むことだが……)


 彼女の鎧はシンの攻撃をうまく逸らしてこそいるが、その防御自体はさほど分厚い代物ではない。至近距離で彼女に対してまっすぐに攻撃を当てればダメージが通る可能性は十二分にあった。


 しかしシンはどうしてもその作戦に踏み込めないでいた。というのも相手が纏う魔術の鎧がどの程度堅いかが定かではないためである。彼女も近づいてくることなど想定しているはず。故に不用意に近づくことはできるだけ避けたい選択肢ではあった。


「ラド・ソレ」


 再び不可視の攻撃がシンに向けられる。シンはうまく躱すもローブの一部が攻撃に触れ、空間から消え去ってしまう。


(やるしか…ない)


 シンは覚悟を決める。


加速術式イグナイト


 シンは地面を強く蹴り、一気に距離を詰める。そして同時に地面に向って魔術弾を放ち土煙をあげる。


「なっ?!」


 フィオネは急に速くなり自らの視界から姿を消した相手に、つい動きを止めてしまう。


(よし、後ろを取った)


 シンは背後に回り、魔力を最大限に込めて魔術弾を放つ。それは人など跡形も残らないほどの威力を備えていた。


「しまっ」


 魔術弾の強い魔力にフィオネは咄嗟に振り向く。しかしその時には既に魔術弾は目の前にまで迫っていた。


 強い衝撃と爆発音が人気のない丘でこだました。








「流石に……跡形も残っちゃいないか」


 シンは息を切らしながら、自らが吹き飛ばした場所を見る。


 地面はえぐれ、砂埃が舞い、草がまだ空中を舞っていた。本来であれば黒の魔術師は死体を残しておくことが望ましい。しかしシンにはそんな力加減をする余裕はもとより存在しなかった。


 (彼女は優秀な魔術師だが……優秀な戦い手であるわけではない)


 フィオネはおそらく、いや確実にブランセルでも相当な魔術師であったのだろう。事の常識から外れれば外れるほど、基本的に魔術は難しくなる。この世界から存在を消してしまうような魔術など普通では考えられるものではない。そういう意味ではサラの魔術よりも難易度だけでいってしまえば高い魔術である可能性すらあった。


 シンはかなりの魔力を先程の魔術に練り込んだためなかなか息がととのわなかった。心なしか身体からは倦怠感が生まれ、思考のまとまりがないことも自覚できた。


(ただ……死体を確認したわけじゃない)


 シンは油断することなく、じっと感覚を研ぎ澄ませながら周囲を観察する。相手に勝ったその瞬間こそが最も心理的に隙ができることをシンは十分に教え込まれていた。


(「敗北の原因のほとんどが『思い込み』である。『勝った』や『勝てる』という思い込みが敗北をもたらす」いやというほどたたき込まれた)


 シンは師との日々をふと思い出す。そしてそれを意識の外へ運び、再度周囲を警戒していく。


 次第に吹き上げられた砂や草が落ち着きはじめ、視界が開けてくる。シンの正面からは朝日が差し始め、シンは視界が奪われるのを恐れ左腕で目元に影を作る。


 しかしそんなことは杞憂であった。


 目の前に立ちはだかる女性の影によりまぶしい朝日はシンの目には届かなかった。


「確実に直撃させたはずだが」
「そうね。本当に…あぶなかった」


 フィオネはただそう言って、杖を構える。息も絶え絶えで撃てる魔術はおそらく後数発といったところであろう。


 しかしシンの魔力はそれ以上に枯渇しきっていた。自身の一撃に傷一つついていない相手。その精神的ダメージも少なからずシンの心を蝕んでいた。


(できて魔術弾を一発か二発。それも小規模な。とても加速術式は使えない)


 シンは他にも所持している武器や、その他の魔術による反撃の可能性を考えた。しかし自らの身体がそうした魔術を撃てることはないと、シン自身にシグナルを送っていた。


(加速術式なしには……躱すことすら難しい)


 魔術を撃たれれば死ぬ。シンは今までの数多の経験から、勝負の結果がおぼろげながら見えていた。


 しかしフィオネは一度杖を下ろし、語り始めた。


「ねえ」
「?」
「あなたは魔力の源、魔力が何故生まれているのか知ってる?」


 シンは急にされた質問に答える余裕もなかった。


「心よ……私たちの心。私たちの感情こそが、魔力の源なの」


 シンは黙って聞き続ける。


「そんなへんてこなことばかり主人は熱心に研究していたわ。わたしは名誉が得られるような魔術の研究ばかりして、いつもあの人はすごいすごいって。最初は私も得意げになっていた。あの人のことは好きだったけど、どこか見くびっていたわ。自惚れていたのかも」
「……」
「でも、人喰いの病が流行したとき……私はなにもできなかった」


 シンは逆光でまぶしく輝くフィオネの姿を見る。その目元には光が輝いていた。


「あの人は……恐れることなくあの病を研究したわ。そして予防方法を見つけた。画期的だったわ。これで世界が救われる。そういって夫は大喜びだった」


 シンは何も言わない。


「でもね。治療方法は見つからなかったの。最後までね」


 シンはそこで直感的にすべての合点がいった。彼女は病の最後の被害者、夫を殺したのだと。


「あなたは優しい。きっとあなたが想いを寄せる相手もやさしいのでしょう。しかし私は、私と愛する息子にかかる火の粉を打ち払わなければならない」


 彼女の目は真剣そのものであった。そしてそれはシンに「もしかしたら和解できるかもしれない」というわずかばかりの希望を捨てさせる事になった。


この女は自分を殺した後確実にサラを殺しに行く。シンはその一瞬で確信した。


そしてシンの魔力が膨大に膨れ上がったのはほとんど同時であった。


「これが最後の勝負かしら、あなたも限界が近いみたいね」
「ああ。次で決める」


 その瞬間、強い光と衝撃波が、町外の丘で生まれた。










「愛は無限の力を生み出す……、愛をもって戦っていたのが私だけだと驕っていたのが敗因かしら。人を想う気持ちなんて誰しもがもつことのできるもののはずなのにね」


 フィオネは腹部から血を流し、膝を折った。フィオネの魔術はシンの魔術を打ち消しきることはできなかった。


 ありとあらゆるものを世界から消し去る魔術、しかしそれも限界がないわけではなかったのである。


「どうして……どうしてあなたが」


 シンはやりきれない気持ちが募り言葉を漏らす。


「愛する人のため……あなたが彼女を助けようとしたようにね」


 彼女は血を吐き出し大きく咳き込む。


「でも驚いたわ。まさか私がやられるなんてね。私これでもかつては本当にブランセルで一、二番を争っていた魔術師だったのよ。随分と……昔のことだけど……」


 彼女は微笑む。シンは整理のつかない感情をうまく表現できないでいた。


「どうしてそんな人が黒の痣をって感じかしら?それともどうしてあの女の子を狙ったのか?」
「……すべてだ。どうして……どうしてあんな」
「簡単よ。わたしにとっては愛する夫と一人息子こそが人生のすべてだったの。そのちっぽけな幸せすら奪おうとする者を排除しようとしただけ」
「でも……もっと違う方法も」
「そうね。あったかもしれないわ。もっとうまい方法があったかもしれない。でもそうはならない可能性だってあるのよ」


 彼女はまっすぐシンをみつめた。


「私が愛した人は世界を信じ、みんなを信じ、みんなのために生きて、疎まれて死んだ。そんなあの人も好きだった。でもわたしにとって大切なのはあの人が大切にしていたみんながいる世界じゃない。家族だけだったの。あの人と息子だけが私の世界だったの。だから私はもっと非道かつ直接的で何より確実な方法を選んだ。それだけよ」


その言葉の重みにシンは返す言葉がみつからなかった。それ以上に返すだけの言葉も、想いも持ち合わせてはいなかった。


「……最後に一つだけ教えてくれ。あなたは夫を、愛する人をその手にかけて……」


 その先がどうしても出てこなかった。ぐちゃぐちゃな感情がうまく整理できていない。


(その先に続く言葉は?『後悔』?『感想』?『想い』?違うそんな言葉ではない。もっとうまく、もっと)


「無いわ」
「え?」


シンは不意に返ってきた言葉にうまく脳の処理が追いついていかなかった。


「私は確かに愛しい人を失ってしまったわ。でも愛しい人が全ていなくなったわけではないの。私は託されたの。愛しい人に、愛しい人を。息子のことを考えていたらそれどころじゃなかったわ」
「あ……」
「それにね」


フィオネは続ける。


「人は一人では生きていけないけど、生きていくのにそんなたくさんの人を必要としないの。一人、愛しい人が一人いれば私は頑張れる。きっとだれだってそうよ」
「……」
「だから後悔だって辛い思いだってしてないわ。私には生きる理由があった。走る理由があった、あの人がくれたから。人は前に向かって進み続けている間は生きていけるのよ。あの人は優しいからいつだって、死ぬ直前にですら私に生きる理由をくれるの。すすむ道を示してくれるの」


 そこまで言うとフィオネは膝から崩れ落ちるように倒れた。シンはとっさに近づき慌てて抱き起こす。


「あら、近づいてしまっていいの?いまでもこの距離なら道連れぐらいにはできるわよ?」


 シンは何も言わずにフィオネを見つめていた。


「黒くまっすぐな瞳。昔を思い出すわね。あの人の目もそんな風にまっすぐで綺麗で」


 そこから先の言葉が紡がれることはなかった。目の前の女性は完全に息絶え魔力を失っていた。


「……クソッ」


シンは吐き捨てるように小さく呟いた。


 彼女の人を殺すことへの正当化が傲慢に思えると同時に、どこか妬ましくも感じられた。


























「さあ、フィオネ。後は君の魔術で、僕ごとこの病を消し去ってくれ」
「嫌よ……そんな……」
「時間がないんだ。頼む」
「う……うぅ………」
「泣かないでくれ。最後はせめて君らしく、笑ってくれ」
「無理よ……私にはできない」
「フィオネ……」
「…………」
「アルスを……息子を頼む」
「…………」
「君の魔術を使えば、僕の事すらも記憶から消えるだろう。アルスも…君も悲しまなくて済む。僕は君には笑っていて欲しい」
「……」
「……発作が始まりだした。これが最後だろう」
「……いやよ。絶対にいや」
「泣かないでくれ、フィオネ。僕は君の笑った顔を見て、お別れがしたい」
「……」
「ハハハ。涙でぐしゃぐしゃだ」
「……」
「うっうう……」
「いや、そんなの。ダメ!」
「やってくれ」
「でもっ!」
「いいからやれ!!」
「いやぁあああああああ」
「……」
「……」








 夢はそこで覚めた。


 フィオネは隣で眠っている息子の頭をなでる。


「おかーさん?」
「ごめんね。おこしちゃった?」
「んーん」
「そう。まだ夜中よ。もう少し寝なさい」
「おかあさん」
「何?」
「今お父さんの夢を見た」
「……そう」
「僕……平気だよ。寂しいけど、母さんがいるからね」
「そう……ありがとうね」


 そうとだけ言うと息子はまた眠りにつく。この子だけは守らなければ。フィオネはそう決意し再びまぶたを閉じた。




とある夜。黒き髪に赤目をした少年が来る数年前の出来事であった。









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