黒の魔術師 

野村里志

輝かしき日を抱いて









「かつて獲物を取り逃がしかけたことがあった。あれは同じような冬の日だ。幾日も食べておらず力がうまく出なかった。その時もすんでの所で逃がしそうになって、何とか戦ったが年のせいもあって領域外での戦いは厳しいものがあった。最終的に勝ったは良いものの得られた食料と労力は見合っていたとは言えなかったな」
「その手を離しなさい」


 サラはナイフを構えて、ブライトに対峙する。


 シンは苦痛に歪んだ顔でブライトの腕をつかむ。しかしシンはそのダメージから老人を振りほどく力も残ってはいなかった。


「あのときほど領域を拡張しておけば良かったと思ったことはない。洞窟を出たとき、もう助かると思うあの瞬間こそ、一番獲物が油断するときでもあったのだから」
「早く離しなさい!さもなくば私がこの手で」
「……手が震えておるぞ、お嬢ちゃん」


老人は再度振りかぶりシンに剣を突き立てる。シンの衣服がさらに朱く染まっていく。


「ひっ」


その光景にサラはたまらず小さく息を漏らしてしまう


「そうじゃ。どいつもこいつも腰抜けじゃ。自分の手は汚さないくせに大きい面しおる。そのくせ人を簡単に切り捨てる」


老人はズリズリとシンを引っ張り洞窟内まで運ぼうとする。しかしシンの装備が重くうまく運べない。


「無駄に重い装備だ。此奴本当に魔術師か」


老人は少女への警戒を保ったまませめてものとシンに仕込まれていた小手と脛当てを外す。


「この痣……こやつ本当に……実際に目にすると切ないものよ」


 ブライトは少しがっかりしたような様子でシンの黒い痣を見つけた。


「お嬢ちゃんはその身なりから察するにブランセルの魔術師といったところか。そしてこの少年に危険な役を任せ、儂についての調査を行いにきたといったところかの」


 ブライトは憎しみと侮蔑を含んだ目でサラを見つめた。


「本当に貴様らのような人間をみると反吐が出そうになるわい。自分の手を汚さず、かといってそれに感謝もしない。傲慢で卑劣、最低最悪の人種じゃ」


ブライトはそれだけ言うとただゆっくりとシンを引きずりながら洞窟へと一歩一歩近づいていった。


「待って」


 サラは泣きじゃくるような目で老人に懇願する。


「お願い待って。何でもする私が代わりになる。だから」
「ほう、そうか。ならこっちへ来るんじゃ」


 ブライトはそれを聞くとあっさり了承して少女を手招きする。無論ブライトにとってこの少女と交渉する余地も必要性もなかった。


 サラは恐怖が故かうまく足が動かない


「早く動かんか、この小娘が!この少年を殺すぞ!」


 ブライトはここで初めて怒鳴りつけるように大声を発する。


 サラはゆっくりと足を進める。一歩、二歩。少しずつだが確実に歩みを進めていく。


 既にサラは気が動転して思考は止まっていた。どうすればいいのか、それすらも分からず敵の言葉だけが自分の支えだった。


(本当に愚かな連中だ)


ブライトは心底目の前にいる少女を見下していた。老人が少女に対しておよそ見せるはずのない憎悪をむき出しにして少女をにらみつけていた。


しかしそんなこともサラは全く気づかなかった。


「馬鹿な女だ。とっとと死ね」


 ブライトはそれだけ言うと風の刃をその少女の白く柔らかい首筋へ打ち付けた。「死んだ」。サラは咄嗟にそう感じた。


しかしその刃は少女の身体に触れることはなかった。


(な?ずれた?いや違う)


サラは突如空気の塊のようなものにぶつかり少し後ろによろけ、尻餅をついた。


「こいつがどちらかを生かしておくと思うか?ありえねえだろ」
「貴様、生きて」


 瞬間ブライトはシンを離し、距離を取る。そして土を隆起させ捕らえようとした。本来近距離はブライトの得意とするレンジではない。まだ余力があるとなれば、距離を取る必要があった。


しかしシンはそれよりも素早く動き出す。


「この至近距離では風の魔法は咄嗟には使えないな。だが土の魔法も領域内とはいえ洞窟外だと少し遅くなるみたいだな」


「貴様っ」


シンはブライトの土の魔法を躱しながら距離をとりサラを守るように姿勢をとる。


「悪いがもうあんたの魔術は理解している。長い間触れさせてもらったおかげでな」


 シンはそう言いながら最小限の魔術でサラと自身の身を守っていく。


「あなた、血は……」
「それどころじゃない!手を貸せ!」


 シンはそう怒鳴りつけると正面に土の壁を作り風を防ぐ。


「チャンスは一度だ!土の壁の向こうから相手はこっちの行動を観測できない。俺が合図したら左右双方向から突っ込む。一か八かだ!」


 シンはブライトに触れたことでブライトの魔術の特徴、欠点をある程度把握できていた。ブライトの魔術にはわずかではあるが発動までに時間を必要とする。ほんの一瞬程度の時間ではあるが、加速術式を使う二人にとっては十分な隙でもあった。


サラはそんなシンの思惑は知らない。しかしその言葉を信じナイフを強く握りしめる。
 それと同時に風が止んだ。


「今だ!」


二人は同時に飛び出しブライトへと肉薄する。先に近づいたのはサラの方であった。


「これで……」
「無駄じゃよ」


ブライトは突風を起こしサラを簡単に吹き飛ばす。事前に準備されていた攻撃。老獪な魔術師は自分がやられて一番嫌なことを重々承知しており、その上で対策を講じていた。


そしてサラを吹き飛ばした方向にブライトは土の槍を生成していた。


(まずい!)


シンはとっさに攻撃を諦めてサラに飛びつき槍を躱した。


「まだ甘いの。今の一瞬、その小娘を捨てれば十分勝機はあったじゃろうに」
「ふん。言ってろ」


 強がってはみるもののチャンスを失ったのも事実ではあった。


「人数の利が活かせるのは互いの位置が離れている場合のみじゃ。同じ位置にいては意味も無い」


そう言うとブライトの周りに風が集まり始める。


(畜生、まだあれだけの魔力を持っていたか)


 シンは小さく舌打ちをして打開策を考える。サラは加速術が使えても身体強化は使えるわけではない。加えて今の風の攻撃を受けてか動きが重い。とても今から回避できるような状態ではなかった。


「やるしかないか」


シンも同様に風を巻き起こす。


(風の魔術がぶつかるとき正面衝突はしない。二つの風はそれぞれ道を譲りながら相手を切り裂くことになる。肉を切らせて骨を断つしかない)


「喰らうがいい」


 ブライトは周りに纏う風を二人めがけて解き放つ。その風は大地を切り裂きながらまっすぐ二人へと向かってきた。


 風は勢いよく二人を飲み込み砂埃を撒いた。












「やれやれあやつも最後に風の魔術を残していたとは。あれだけ豊富な種類の魔術を扱い、あの若さにしてあの戦闘センス。惜しいことをしたものよ」


 両者の風の威力は一見にして理解できるほどに大きく差があった。ブライトにはまだ余力があり、最後の勝負に十分な威力を込めることができた。一方でシンは既に消耗しきっており、シンが生み出した風はブライトの額を皮一枚切る程度のことしかできなかった。


 ブライトは歩みを進め死体を確認しにゆく。彼の目的は元来“食人”でありその本来の目的が達成されなければ意味が無い。


「む?死体ごと吹き飛ばしてしまったか?これでは元も子もない」


 その時丁度薄く朝日が届き始める。老人の顔元に届いた光は徐々にその位置を下げ足下まで照らし、そして二人が居たはずの位置を照らす。


「やれやれなんとも気持ちの良い朝日じゃ。まぶしくて目も開けられん。しかし日光はこの身体には毒だ。早く処理しよう」


 ブライトは右手で日光を遮りながら二人の居た位置を確認する。徐々に日光が全体像を照らしはじめ、ゆっくりと横たわる少女の姿があらわになる。


「ほ、よかった。原型はとどめて……」


 ブライトは近くまで歩み寄り少女まであと数歩という位置で足を止めた。顔を上げその主張の強い朝日に目をやった。温かく生命を包む光、その美しく輝く大地の恵みを老人は抱きしめるように浴びた。














そして老人は自らの死期を悟った。








「……なんということだ。最後に勝ち急いだのは儂の方であったか」


 ブライトは静かに、そして自らの身体の中にある空気をすべて吐き出すように呟いた。そこには自らの体内に潜むたまった膿のような感情が多分に含まれていた。


 ブライトは既に自らの領域から外れた位置にまで来ていた。何をするにも動こうとした瞬間に魔術弾によって身体ごと吹き飛ばされてしまうだろう。あるいは土の槍により貫かれるか、はたまた風によって首を飛ばされるか。


 その瞬間自らに鈍い痛みを感じた。魔術による光線が自らの心臓を穿ち、焼いていた。それでいて後ろから一切油断することのない少年の息絶え絶えの呼吸音が聞こえてきた。


「そこまで傷つき、今にも死ぬかもしれないという状況で……まだ持久戦をやるつもりだったのか」


 少年は答えない。おそらく答えることができないほど疲労やダメージが蓄積しているのであろう。ただ荒い息づかいだけが聞こえてくる。


「勝ちたかろう、早く楽になりたかったろうに……。まったくよくやるわい」


 老人は「ゴホッ」と血を吐いた。胸の穴からは血が流れ続け、自らのローブが徐々に重くなっていくのを感じた。


 最後の瞬間、自分が勝負を決めに行ったのに対して、シンも同様であったと思い込んでいた。そうであったら良いなという希望的観測。早く終わりたいという甘え。そんなものがブライトにはあった。


 一方でシンは風の魔法で一か八かを狙うとみせかけて、最小限の土の魔法を用いてガードに徹した。おそらく簡易の塹壕のようなものを作り耐えたのであろう。


 あのとき二人で飛びかかった時もあの少年は自分を狙うのではなく少女をかばうことを優先した。ブライト自身あのときは甘さかと思ったが、最後のおとりに使うには絶好の餌でもあった。少なくとも甘さなんて生やさしいものではない。


(いつだったか。同じような男をブランセルで一度だけみたことがあった)


 ブライトはかつてまだ自分が人食いの病にかかる前、人に疎まれることなどなく敬われていたときのことを思い出す。


「なあ、少年」


 ブライトはかすれた声で問う。


「もう一度、名前を教えてはくれないか」


 シンは呼吸が整わないまま答える。


「シン……レス……ト」
「そうか」


 そういってブライトは振り返る。そこにはかつて見たとある魔術師の面影を見いだすことができた。


 戦闘技術に優れ、将来も嘱望され、そして何より揺るがぬ信念を持った男。そして誰よりも他者を愛しながら他者によって葬られた男。


「君はあの男……、レナード・レストの息子なのだな」
「……違う。弟子だ」
「そうか」
「ただ……」
「ただ?」
「父のように思っている。少なくとも……俺……は」


 シンはそこまでいうと立つことができなくなり、その場に倒れ込む。


「見事だ。見事だよ。少年」


 ブライトも同様に倒れる。




 ほのかに暖かい陽だまりの中、息を引き取る老人の顔はどこか幸せに満ちていた。














 懐かしい日のことである。


 それはとある晴れた日のことだった。


 ある魔術師の男は妻と二人の娘とともに魔法都市ブランセルで仲睦まじく暮らしていた。


 そんなさなかその魔術師は一つの依頼を請け負うことになる。


 人を喰らう鬼のような魔術師、その男の退治である。


「無茶よ。ブランセルの官僚達は一体何を考えているの!」
「そう怒るな。今ブランセルにいる魔術師の中で最も戦闘に長けているのは私なのだから」
「あのレスト上級魔術師も功績を取り上げられたどころか、ありもしない罪をかぶせられて追放されたのよ!あなただって……」
「でも誰かがやらなきゃならない」
「でも……あなたはそもそも戦いなんて向いてないのに。一介の魔術学者じゃない。なんで
王都軍の魔術部隊が行かないのよ!」
「そう言うな。俺だけで行くわけじゃない。きっと大丈夫さ」


 そう言って男は出て行った。


 魔術協会から派遣されるはずだった魔術師は上級五名を含む計十人以上。しかし現れたのは中級二名とまだ若い下級魔術師達であった。


 男は死闘を繰り広げ、自分以外の全ての犠牲と引き換えに任務を果たした。


 しかし男もその病を患った。


 そしてやっとの思いで帰ってきた男に待っていたのは犠牲への非難と病を患ったことへの侮蔑の視線であった。


 (このまま家に帰れば家族にも……)


 男はあの輝かしい日々を思い起こす。そしてもう戻れないのだと悟った。










 男は二度と家族の元へ帰ることはなかった。















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